朝の6時過ぎに施設から電話があり、母の状態が良くないから会いにくるように連絡がありました。
膝が心配でしたが…なんとか車を運転して施設まで行く事ができました。
そして、施設の人に説明して車椅子を借りて、押してもらいました。
そこには、酸素マスクをつけた母がいました。
目は少し空いていましたが…
私は母にお礼の言葉をかけました
ありがとうと来世はいい人生を歩めるように願ってあげました
でもまだすぐには亡くなるようには思わなかったので、
私は母の施設の横の病院へ兄に車椅子で押してもらい、待合室で診察を待ちました。
しばらくすると…兄から、主治医の先生からの説明ではもう何も処置をしない方が本人も楽だからこのまま静かに見守るとの説明があったとの電話がありました。
そして、しばらくすると…また兄から電話があり、母の息が少しになって来てるから施設に来た方がいいと言われ、兄が迎えに来てくれて、車椅子の私を押してもらって、施設に戻りました。
部屋に入って見た母は完全に息をしていませんでした。
自分でも何がおこったのか一瞬わからなかったけど…左の足を地面に打った事と、前の歯が少し欠けた事はわかりました。
なんとも言えない気持ちでしたが…なんとか家にたどり着き…
これは…膝のお皿が割れたのではないかという恐怖と母の命がもうそんなにないという大切な時にこんな足になって…惨めで…情けなくて…娘たちがいてもかまわず、大声で泣き続けました。
9月26日に母が旅立ちました。

若い時から病気、ケガが多くよく入院していました。
もう人生何回入院したんだろうって思うくらい入院してました。
負けず嫌いだったけど、誰にでも声をかけて、目立つ所がありました。
人情があるのに負けず嫌いが災いして、みんなから好かれているのか嫌われているのか…わからないところがありました。
そんな母が突然体調が良くないと…施設から連絡があり、顔を見に行くと…もう意識はないようでした。自分の身体が痒いのかかこうとするので…ミトンを手にしていました。
少しショックでしたが…もしかしたら治療次第でまだ大丈夫かもしれないと思ってしまいました。
そして母の家の郵便物を取りに行った時、普段引っかかったことなどない駐車場のチェーンに
足が引っかかって…私は前に思いっきりこけてしまいました。