昨日の夜、長男と進路のことについて1時間ほど話をすることが出来た。でも、今朝の私、いくら考えてもスッキリしない気持ちが残ってしまっているので、自分の気持ちの整理のために、今日のブログは書いていきたい。


話のきっかけはいつもの通り、勉強もしないでテレビ見てゲラゲラ笑っている長男に、私が文句を言ったこと。6月には希望進路別の三者面談が始まるのだけれど、あんたは大学へは行きたいというばかりで何の努力もしていないじゃないか、そんなら就職して自立した生活を始めるほうがいいんじゃないか、と。


長男はこう答えた。自分はまだ将来何をしたいのかがよく分かっていない。漠然とこうしたいってのはあるけれど、その為に具体的に何をしたらいいのか分からないから、とりあえず大学へ行ってその手段というか方法を探したいんだ。


私。大学って将来こうなりたいからここの大学へって考えて決めるもんじゃないのか? 高校へ入るときは、今の時代高校は義務教育みたいなものだからそれでもいいと思っていたけど、それから2年間何を考えてきたんだ。


長男。考えてはいたんだけどわかんないんだよ。本当は、7.8年前からテレビで人に感動を与える仕事がしたいと思ってはいたけど、爺ちゃんが生きてるうちは何言ったって聞いてもらえないのが分かってたから今まで何も出来なかったんじゃないか!


爺ちゃんとは、2年前に亡くなった旦那の父親。頑固というかわがままというか、すべて自分の思い通りにならないと気がすまない人だった。お酒を飲むと必ずスイッチが入って暴れたし、それ以外のときでもどこでスイッチが入ってしまうか分からなかったので、私たちは、息を殺して生活しているようなところはあった。だから、それを言われると私は何も言えなくなってしまう。ただ不甲斐なかった自分を認め、子供には謝るしかないと思っているから。そんな気持ちを知ってか知らずか、長男はそのことを口にした。


でも、爺ちゃんが死んでからもう2年も経った。この2年の間は今まで以上にはやりたいことをやらせてきたつもりだ。私が見て感じた限りでは、あなたはアイドルのコンサートに行ったり、友達と遊び歩いたりばかりだったと思うけれど?


・・・でも本当に今はどうしていいのか分からない。とりあえず大学卒業という資格は欲しいし、大学へ行きながら道を探す生き方のどこがいけないんだ。


道を探すなら、働きながらでもできるじゃないか?大学へ行けば、年間100万円以上のお金がかかる。それに見合った努力をすることができるのか?働いて社会人としての勉強をして、今までと違った角度からものを考えられるようにしたほうがいいのではないか。


高校卒業してすぐに働くつもりは今のところ無い。家の仕事を継ぐ気もない。(これは父親もOKしていることだけど)。出してもらったお金の分は勉強はするつもりだ。入る大学は、今の自分の成績で入れるところを探す。


入れるところで、自分の身になる勉強ができるのか? 何の努力も無しで大学へ行ってそれでいいのか?


俺はそれでいいと思ってる。どこの大学だって、卒業すれば大卒の資格は手にできる。まずそこまでしか考えられない。



まあ、大まかな感じ、こんな話なんですね。つまり、今はまだ努力をすることが面倒くさいから、とりあえず大学に入ってみようかな、って感じがどうしても付きまとう。確かにそれも1つの考え方なんだろうけど、今この時期に至って、まだ自分の将来のことを少しも考えて無いっていったいどういうことよ?って怒りにも似た気持ちが沸いてくる。息子にはあまり言いたくない言葉だが、正直な話、我が家の経済状態は、この不景気のあおりを結構モロに食らっていて、遊びに行くんなら行かせられない、というのが私の本音。途中、爺ちゃんの話の下りで泣き出すしさ、なんか考えが甘いんじゃあないですか、としか思えない。取りあえず、5月にある全国統一模試の結果が出るまでは何も言わないでくれ!といわれて話が終わってしまったのだけれど、どうしても納得がいかない、私の気持ちの中で。今の高校生って平均してこんなもんなんだろうか。石川遼くんや浅田真央さんのようにもっともっと小さい頃から自分の目標を決めて日々頑張っている子もいるんだよね。この子達が特別なのは分かっているからそう押し付けようとは考えないけど、どうしてもどうしてもスッキリしない。


どうしたらいいんだろう。ためいきしか出ないよ、今朝は。