JR横須賀駅からどぶ板通りを歩いて、京急 横須賀中央駅を経て…
前回、横須賀に来た時には時間切れで訪問できなかった戦艦三笠記念艦へ。
日露戦争において1905年 日本海海戦でバルチック艦隊を破った東郷元帥乗艦の帝国海軍の旗艦。
艦尾の「みかさ」の金文字は現役当時のものだそうです。
砲塔・上部構造物は復元、船体他は修復再現かもしれません。
1902年イギリスにて竣工、1905年日本海海戦後、佐世保港にて後部弾薬庫が爆発337名という犠牲者を出し、修復後1908年に旗艦として復帰。
第一次世界大戦後、ワシントン軍縮条約を受けて廃艦決定。引退後、保存されるべく回航途中、横須賀港で係留中、関東大震災に遭い、岸壁に衝突、船底に破孔が開き浸水。
陸上に固定され展示保存、その際、艦首を皇居方向に向けて設置されたとか。
第2次大戦後、連合国の占領政策により、ソ連から憎っくきこの宿敵艦の解体を求められるも、GHQの恩情により折中案で、武装等上部構造物を撤去の上、船体の保存は認められました。が、敗戦後のどさくさで部品の盗難が相次ぎ、その後、管理を任された日本の民間企業により、船上に場違いなダンスホールや水族館を造られ、主砲等は売り払われ、荒廃にまかせたと…
イギリス誌により、その惨状を報じられ、国内外からの募金やこの艦の価値を知る米英の資金援助を受け復元保存されたそうです。
戦闘中ではなく、平時の爆発事故で兵員の大損失を出したり、関東大震災で破壊されたり、奇跡の復活を果たすなど、まさに数奇な運命の艦です。
こんな脆弱そうな機関砲で敵艦船体には損傷を与えれそうにないので船員を狙ったのでしょうか。
帆船時代、射程の短い臼砲より、狙撃兵が船員を撃ち戦力を低下させたという戦法の名残かと。
建造時には、まだ艦首衝角で敵船にぶつかり攻撃をする戦法があったので、錨は艦首後方に設けていたそうです。
衝角戦法は、敵艦より味方艦を損傷させることが多かったので無くなっていったそうです。もちろん砲の高性能化があったからですが。
本日、晴朗なれど波高し。
皇国の存亡この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ。Z旗を揚げよ(後が無い、背水の陣という意味)
の名文句が艦橋より発せられたと。
日本海海戦で「敵艦見ゆ!」と第一報を報じた、信濃丸は大東亜戦争中まで生き残り、浮いているのが不思議なほどボロボロでしたが、水木しげる氏補充兵を南方ラバウルまで届けた最後の船になったそうです。以降の補充兵を送る輸送船は敵船によりことごとく沈められたとか。
第二次世界大戦中、横須賀港も相当爆撃を受けたのでしょうが、それをくぐり抜けて遺ったのは奇跡でしょう。
復元ということで、あまり中身には興味が沸かなかったのと、次の目的地があったので内部には入りませんでした。
世界の三大記念艦ということですが、後の2艦は知りませんでした。
よく世界の3大〇〇とか世界の7不思議とか言われますが、そのほとんどは聞いてもすぐ忘れてしまいます。
ちなみに後の2艦は、米英戦争のアメリカの「コンスティテューション」、トラファルガー沖海戦でスペイン無敵艦隊を破ったのネルソン提督乗艦の旗艦 イギリスの「ヴィクトリー」だそうです。