こぴっとちぴっと

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やってみたいことをやってみた

いずれ遠からず別れの時が来るのは分かっていましたが、突然のお別れがきました。

そんなこともあり、写真はカメラを持っている時にだけ気まぐれに写して、彼女たちのチャーミングな表情を積極的には撮っていませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

まだ冬の名残があった春先から、どこからか現れ地域猫になった2匹のメス猫。

イヌ派の私は積極的に関わることほとんどありませんでしたが、ひょんなことから時を同じくして、お付き合いすることになりました。

 

最初は、裏山で落葉の腐葉土をペール缶に掬っている際、崖の上から「このおっちゃん何してはるんやろ?」というように警戒しながら覗き込んでいたのを見るでもなくほうっておいたのですが…

 

 

 

 

 

 

痩せぎすだったので、サカナの食べ残しの皮や骨をそばに置いてやるとガッついて、不憫であったので、それからしょっちゅうそんなことをしている内に、警戒心を解かれ擦り寄って来るようになりました。

 

虐待を受けた過去があるのか、飼われていたものが野良で孤独に命をつないできたのか、公園で子ども達が放つ大きな物音にビクビクしてキョロキョロ辺りを見回す…それで「キョド」と命名。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日のようにエサを与えていると、腐葉土を運ぶペール缶がキコキコ鳴ると崖の上から飛ぶように駆け下りてきてワタシの足にしがみついて見上げてくる…

この時、爪を立てられるのが痛かったけれど。

 

 

 

 

 

 

 

エサがもらえるから愛想を振りまいていたのかもしれませんが、野良猫にこんなに懐かれるのは初めてでした。

 

昔、猫は飼っていましたが、同時に飼っていた犬の方が気持ちが通じ合えるというのが本音でした。猫は自分の都合の良い時しか擦り寄ってこない薄情なヤツと思ってました。

 

 

 

 

 

 

 

 

「キョド」はサビ色で、一見、美女には見えませんでしたが、お付き合いしている内に、仕草やこちらに全幅の信頼をおいて身を預けてくる様子がcuteでした。

ある時、エサを置いてすぐに去ろうとすると、エサをそっちのけにして跡をついて来ることがありました。「撫でてちょうだい!」と言わんばかりに家までついて来る。警戒心が強く公園の外にはまるで出ていかなかったのに。

満たされたのかエサより撫でてもらうことを望んでいるようでした。

 

 

 

 

 

嫉妬深いところと独占欲が強いところもあり…膝の上に当然のように跳び乗ってきて、夏場暑くても降りようともしない。

もう1匹のメス猫に対するライバル心が強烈。

 

 

 

 

 

その対するメス猫「クロミャア」。キョドより後に懐いてきました。それまでは家の裏の給湯器で暖をとっていたようでした。

 

最初、こちらが近づくと脱兎の如く逃げていましたが、「キョド」のついででエサをやっていたら徐々に距離をつめてきて、すぐにガードを下げ、擦り寄ってきました。

 

 

 

 

 

 

夏場、勝手口の窓を開放して網戸で風を入れていたら、家の中の物音を聞きつけてそこにやってきて「ミャアミャアミャア」と相手してよと訴えるように鳴き続け…窓を閉めざるをえず。こちらもエサよりも撫でてもらうことを好んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

とにかくずっと鳴いて甘えてくる妹キャラ。

玄関ドアを開けたら、そこで待っているような有様でした。

 

ちなみに嫁さんは犬には触れられましたが、猫は大の苦手。

クロミャアはそんなことお構いなしに嫁さんにも擦り寄っていって怖がられていました。隙あらば玄関ドアを開けたらスルリと中に入って来て、何食わぬ顔で2階へ駆け上がる…お前は、ホントに野良猫なのか?というような懐き方。どこかで飼われていたのかもしれません。

 

遂には外から屋根伝いに2階のベランダ内へ相応の高さを跳び上がって待っているという荒業を成し遂げ…そこでも嫁さんに悲鳴を上げさせる。こちらは笑いをこらえるのに必死…

黒猫というのも不吉だと言われるので、日本人だって地毛は黒だろ?と屁理屈で庇ってやると、「それなら出ていく!」との家庭内不和を生じさしむる。

 

 

 

 

 

 

出会った頃は、ガリガリに痩せていました。

 

これまでの様子から、冬に差しかかると暖をとろうと家の中に入って来ようとするのは目に見えていたので、職場の知り合いで保護猫レスキューボランティアをやってる職員に相談すると快く受けてくれ、協力を約束してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ある夜、映画「E.T」のFBIか異星人調査員のような集団が公園に現れ、地域猫を捕獲ケージで捕まえていました。

ガヤガヤやっていたので初めは中国人の集団かな?とも思いました。メンバーの中に保護猫レスキューの知人がいたので、変な誤解は解けましたが…

 

キョドは先に捕まえられ、ケージの中で泣き叫んでいましたが、クロミャアはなかなか捕まえられないようでした。

ワタシがいつものように口笛を吹くと肩に跳びのってきて、それをレスキューの人に手渡すと、保護ケージの中に入れられました。

クロミャアも泣き叫んでいましたが、ワタシに裏切られたと思われたかもしれません。

 

 

 

 

 

そういうわけでこの子達は家の周りからいなくなりました。

避妊手術とウィルス検査の後、我が家に戻り、保護団体の斡旋で里子に出される予定でしたが、人懐っこいので馴らし飼育なしですぐに希望の里親に引き取られていきました。つまり、家に戻ることなくお別れになりました。

「クロミャア」は名前を「スミ」と変え。墨色だから。

 

 

 

 

 

 

 

しばらくしてから里親から2匹の現在の様子の写真が送られてきました。

外飼いの時より毛艶も良く、表情も丸くなったように感じたので良い環境なのだと思われました。

ここより幸せ環境なのだとは納得していますが…

 

 

 

 

 

朝夕2回エサを与えているとずいぶん健康的な体形になった2匹の猫たち。

 

いつも外から帰宅する時に玄関の前で待っていてくれた猫。すっかり懐いてキョドキョド癖が消えた猫が、身の回りから突然いなくなってしまったのは寂しいものです。

死んだのではないから、喜んでやるべきなのですが。

 

 

 

 

 

10か月ほどの三角関係でした。いずれは思い出の底に消えていくのでしょう。

 

まだ開けてないキャットフードの袋とペット病院に通院するためのネコキャリーバッグが残り…ぽっかり穴の空いたようなメリークリスマス!

81年12月23日と表示されながらも、季節が夏にしか見えない写真。

 

1年前は在った、画面中央奥には明石海峡大橋架橋事前地盤調査用のやぐらはもう見えません。

 

 

 

 

 

 

EF58は好んで撮っていました。1~174号機まで全部撮りたいというのは後年の目標になりました。中学2年頃にEF58はほとんど消えていました。

 

左にはこれから建つライオンズマンションのモデルルームが。そこにはもと関西汽船の修学旅行専用船を陸揚げしたレストランシップ  シートピア「明石丸」が在りました。

 

「シートピア 明石丸」の伝説の「ワァ~オ」なCMがyoutubeの規制をくぐり抜け遺っています。

家族でそこへ食事に行ったら、思いのほか料金が高く、会計時、父親の所持金が足りず大ピンチ。家族を人質に家に戻って追加の料金を返しに来るという赤っ恥な昭和的家族史が。もちろん2度と家族で行くことはなく…

 

しかし、ただで入れたので、小1の頃は友達と入り込んでかくれんぼしたりゲームコーナーに入ったり、トップデッキからディカプリオのように海に向かって唾を落としたりして遊んでました。

1980年 小3の頃、解体されたらしいです。

 

 

 

 

EF65一般型もまだボディーに艶があったようです。

 

 

 

 

 

 

当時、貨物機なんか魅力を感じませんでしたが、ここで日中撮れるものは荷物か貨物かDC急行か…

 

 

 

 

 

 

大阪駅に入って行く時にたまたま停まっていた荷物列車の先に見慣れない茶色の機関車。慌ててカメラのカバーを開け、レンズの蓋を取る…

 

EF58といえば、あこがれの機がありました。茶色のお召予備機60号機です。

本務機のロイヤルエンジン61号機の陰で60号機は踏切事故に遭い損傷、お召予備機を解任、荷物列車の牽引に立っていた機。

 

 

 

 

 

 

 

 

高揚する気持ちでフィルムを巻き上げ激写!「どないやねん!」という痛恨の間の悪さで柱が…鈍クサイ。

 

 

 

 

 

 

大阪駅に着いた電車から息せき切ってホームの先へ…当時、大阪駅ホームではここから先は荷物列車専用で立入禁止でした。

近づきたかった60号機は遥か遠く…

 

 

 

下り普通電車に乗り込んで狙った当該機。

曇天の暗さと薄汚れた窓ガラスにAF焦点とシャッタースピードが狂わされピンボケ。

 

 

 

 

甘いAFカメラとのお付き合いはいつまで続いたか…その後、60号機は何度か見かけましたが、カメラは持っておらず。

1983年 当該機引退後解体。

 

もう4年前になるか…遠い昔のような旧ブログは、もうログインのやり方を忘れてしまいました。

でも今とほとんど同じ表現で60号機のことを書いていました。

画面右下の日付 80 7 22は、1980年7月22日を表す、当時の安いAFカメラにあったアナログ 手動ダイヤル式の日付記入機能なのですが…

古い写真を見直していると、同じ80 7 22が入った他複数のものが発掘されました。

 

撮り鉄デビューが小学3年のその日だと書いたのですが、どうも、その日付は怪しく思えてきました。

日付に信憑性が無いのでは…ということです。

 

 

 

 

 

 

同じ日付の山陽電車。

夏の暑い日、独りで山電に乗って、親に無断で出かけたことは記憶に残っています。

ドキドキしながら子ども料金 100円玉で切符を買ったことも…

 

今と違って、国道2号線にはアオギリだったか緑の並木が…とっくに全部根元から伐採されました。

 

 

 

 

 

須磨浦公園で乗り換えた、当時乗り入れていた阪急電車。

 

 

 

 

 

 

 

須磨浦公園から一つ隣の山電 須磨駅へ。

 

 

 

 

 

 

 

山電 須磨駅で降りました。

この写真を見て、当時の駅ホームには屋根が無かったことを思い出しました。

奥に写るホーム上の樹木、その奥のホームへ昇降するボロッチイ階段口。あんなのだったかな…全然覚えていません。

 

これはここまで乗って来た阪急編成ではなさそう。

小3児童が屋根の無いホームでニワカ撮り鉄をしたようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

須磨浦公園を出ていく下り阪神電車。

その左奥に立つ煙突。こんな煙突が立っていた記憶はなく、今は煙突はありません。まさかの銭湯?

今ではだいたい高い建物群が建ち、遠望は見通せません。右奥の緑地もマンションがぎっしりです。

 

この後、駅近くの国道を渡った場所にあった駄菓子屋で「ビッグ・ワン・ガム」を買って、おまけつきガムのそのチープなABS樹脂プラモデルはヨーロッパの可変翼戦闘機「トーネード」でした。当時は戦闘機など興味はありませんでしたが、振り返ると垂直尾翼が1枚だったので。

マジックペンで色を塗っても剥げ落ち、風呂に浮かべて遊んだものでした。

 

 

テレビCMでは超カッコよく、色分けされたスナップキットモデルの映像が流されていましたが、組み立てると似ても似つかぬ「舐めとんか!」というチャチな出来。

でもプラモデル禁止令が厳命されていたので、そうやって買えるプラモデルは¥100~300くらいの涙ぐましいチープモデルでした。

 

「クロコダイル」KATO様がリリースされるとは…久しぶりに欲しくなりましたが、もう買わない!と物欲を抑え込みました。

当時の「ビッグ・ワン・ガム」では、ラインナップモデルにクロコダイルがありました。

その映像もリアルでカッコよかったですが、どう見ても精巧な高級モデルがレール上を走る姿をコマ撮りで流していました。

今なら景品表示法に抵触、JARO案件でしょう。な~にが「ホンモノの手応え!ビッグ・ワン・ガム!」だ。(当時のCMのナレーション)


 

 

 

 

これは、3年後の小6の頃の夏の山電 須磨駅の写真。

山電に「海へ」のマスコットヘッドマークが初めて着けられ始めた頃。

 

この時期もまだホーム上に屋根はついていませんでした。雨が降れば傘を差して高架上ホームで電車を待ったという…今からは想像できません。

 

 

 

 

ニューアルミカー3641.

小6の頃から3639がニューデザインの大きい前面帯で登場したのでした。だから記憶に残っています。

 

 

 

 

 

 

 

3000系はこの伝統の山電旧塗装の方が似合っているような…

 

 

 

阪急車両も上部アイボリーホワイト塗装は6300系だけにしておいてほしかったです。

カッコイイ前パンタ 7000系は旧塗装で側面Hマークの方がスマートで断然よかった。

 

 

 

 

写真に残る年月日 日付が疑わしい…と思うようになったのは、この写真から。日付は、81 12 23となっています。

 

当時、1981年開催の神戸ポートピア博に合わせて北陸特急「雷鳥」の一部が通常大阪止まりだったものを三宮 神戸まで延長運転され、西明石へ送られるその回送が定期的にここを正午頃に通過していた…

その時代、485系がここを定期的に走ることなどなかったので、珍しいその回送を狙っていた、ボケボケ写真です。

でも、線路際の青々した草を見ると12月の様子ではない…冬場なら枯れているはず。

 

 

 

 

 

 

同じ日付が残った、同じ場所を通過するEF58 46の単機回送。雑草の植生や光線具合は絶対、夏の昼過ぎのはず。

 

多分、当時日付ダイヤルなど出鱈目の無頓着にしていたと思われ、日付に信憑性は無いと…残念!

 

こうやって昔撮った写真の背景を見て、失われた当時の空気感や昔日のバカさ加減を思い巡らすのもひと味もふた味も味が増しますわ。