今日は
 私のこれまでの生い立ちについて⏳


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 5歳まで大阪府の東大阪市で育ち、


 6歳からは奈良県の天理市で育ちます。 



 子供の頃からすぐに風邪をひき、

 胃腸を弱らせては、熱を出してしまう

 今思うと手のかかっただろう幼少期時代。 




 両親が共働きでもあり、

 0歳から大阪での保育園に入り、

 小学生から奈良県に引っ越してからは



 実家の隣には母方の祖母がいたので

 熱を出して学校を休む時には、

 いつもよく祖母に看病してもらっていました。


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 好きなことは体を動かすこと

 と。今も当時とは変わらない思いで


 体を鍛えよう!!と入った

 空手道部で

 学生時代は部活に練習に明け暮れる放課後。

 (今この話をしても、

 想像がつかないと言われます😅)



 入部当初、

 試合では負けに負け続け、 、


 先輩はもちろん


 後輩にもなかなか

 思うように勝つことができない


 思うように技が決められない悔しさと

 挫折感で試合の後は一人

 よく泣いていました。



 悔しい思いをする中でも

 諦めたくない

 休みたくない

 諦めず練習する毎日でした。

 (負けず嫌いですね〜)

 

 試合の日なんかは

 ホント、逃げ出したくなる時も多々

 ありましたが、、💦笑



 (負けず嫌いの甲斐あって?)

 体格は小柄ながらも

 大会では体格のいい相手にも立ち向かえる

 

 粘り強さと、少しの勇気に

 身も心も鍛えられた学生時代。



 恩師の先生には今でも感謝と

 ふと、思い出して勇気が湧く

 学生時代の体験の一つです。




 そんな学生時代、共働きだった両親が離婚。

 

 私と2つ下の妹は母子家庭で育ちます。 




 私自身は看護師になる道に進むべく、

 小学生の頃からの念願の看護師になります。 




 患者さんと身近に関われ、

 日々の観察を通して

 時に笑顔が見られる看護の仕事が好きで

 働く中でしたが、、


 当時、段々と気持ちに変化と余裕が

 なくなっていきます。 




 先輩からの言葉や評価に一喜一憂し、

 自分でも周りと比較することで

 しんどくなっていることにも

 当時は気づかず、 



 だんだんと何もできない自分に

 思えてしまっていました。 




 それでも、日々目の前には患者さんがいる。


 患者さんと話すのが好きなはずなのに、

 興味を持っているのか

 いないのか、関われていない感覚に


 業務に追われ、 

 なんだか相手の言葉がきけていない感覚に



 自分は何をやっているのか、

 何のためにやっているのか、

 自分が自分でも嫌いにもなっていました。



 休職や、退職、スタッフが入れ替わる

 環境の中で


 看護師として働いてはいるけど

 自分でなくてもいいのではないか。

 という思いが

 募っていきました。



 人間関係や色々な関係、環境の変化で

 周りで辞めていくスタッフもいる中


 

 気分で機嫌が変動する上司、

 口を開けば他人の話、

 愚痴が飛び交うスタッフ間にも

 

 私自身、自分から何かを

 相談したいとも思えず、、、


 こんな風にはなりたくないと思いながらも


 家に帰ると

 心配させたくないと

 母や祖母にも仕事の話は

 当時

 ほとんどできていない状態でした。



 『わたし、この仕事向いてないのかも』

 

 仕事を辞めようと真剣に考える時期でも

 ありました。




 仕事への向かい方、

 自分を変えていきたいと思い至った

 「後半」へつづく