「私ってこれでいいのかしら?」

「私って、取りたてて得意なこともないし、つまらない人間だわ」

なんて思っている人、

 

「私はこんなこともできるし、あんなこともできる

こんな実績を上げてきて、なかなかよくやっているけど

でも心の奥ではいつも不安」

なんていう人、けっこういるのではないでしょうか?

 

 

自分で自分の素晴らしさに本当に気づき

自分を認めることができたら

もう、それで「悟った」と言えそうです。

 

でも、それがなかなかに難しいのですね。

 

 

いくら周りの人から

「あなたって素敵ね」

「素晴らしい人ね」

とほめてもらっても

自分が自分を本当に認めるまで、

その不安は続きます。

 

 

外側は

自分の使っている周波数が映し出した「現象」に過ぎず

本当の幸福感、安心感は

外側でなく、内側からしか得られません。

 

 

周りの人に承認を得ることによって

自分を承認しようとする努力は

結局は、徒労に終わります。

 

 

それを確認するような出来事がありました。

 

 

年末、オフ会をしまして

スピリチュアルなセミナーで知り合った人たちと

初めて、リアルで会いました。

 

その中で、一人が口を開けば

「私って、こんなにすごいのよ」

っていう話を、おられたんですね。

 

初めての顔合わせなので

「自分はこんな人です」

と、それぞれ自分のことを話しますし、

できること、得意なこと、おもしろいエピソードなども

話します。

私もそうです。

 

 

でも、その方は

「ここにいる人に、『すごい人』だと思ってもらわなければ、帰れない」

位の、必死さが感じられました。

 

自分が求めているほどの

賛辞や承認が得られていない、と感じたのか

次々と

「こんなこともできる」

「あの人にこんなふうに褒められた」

という話が続きます。

 

 

それを見ていて

 

「あ! カケラが、カケラに向かって

一所懸命に自分を認めさせようとしている」

と感じたんですね。

 

 

「カケラ」というのは

不完全なもの、とか

つまらないもの

という意味ではありませんよ。

 

 

 

 

私達は、

「サムシング・グレイト」

「大いなる源」

が細かく分離してできたもので

本質は同じものです。

 

 

その一つが

他の一つに向かって

「私はすごいのよ」

と認めさせようとして、躍起になっている

 

と見えたんです。

 

 

「自分は素晴らしい💕」

と自分で認めればいいだけなんだ

 

 

と、今まででもわかっていたつもりだったことが

はっきりと見えた瞬間でした。

 

スピリチュアルなセミナーで知り合った人なので

彼女も、今までにも幾度となく

「あなたは素晴らしい」

と教えられたり、本で読んだりしてきたと思います。

だから、それは

「わかっている」はずなんですね。

あとはそれを

本当に自分で認める、

腑に落ちる、

ということだと思います。

 

 

 

彼女がやっていることは

多かれ少なかれ

多くの人がやっています。

私もやっています。

 

 

ほめられると素直にうれしいです。

でも、ただそれを喜べる在り方と、

思うとおりのリアクションが得られなくて

それによって自分の価値が下がったように感じる在り方、

周りの判断に、自分の感じ方を左右される在り方とは

まったく違います。

 

 

「私って、こんなにすごいの!」

っていう話を他人にして、思ったほどの反応が得られなかった時

「あ、そうなんだね」

と、こだわらないでサラっと流せるか、

または

ガックリきてしまうかで、

自分がどんな状態かがわかります。

 

 

周りはすべて鏡なので

自分のことを自分で認められていない人は

そういう現実を映し出しますね。

 

 

こんなことを書いている私ですが

昔と比べたら、比べ物にならないくらいに

自分を認められるようになってはいますが

完全ではありません。

 

 

今回のことも

そのことに気づくために

自分で写した映画のようなものだと思いました。

 

 

 

生きていくことは

「自分なんて・・・」

というような思い込みや周波数を

玉ねぎの皮をむいていくように

手放して、完全な意識に戻っていく旅だと思います。