いろいろと話題の多かった今年の冬至から

一週間が経ちました。

 

 

「話題の多かった」というのは

ご存知の方も多いかと思いますが

 

「この世界では二極化が進んでいて

地球も、ポジティブな地球とネガティブな地球の二つに

分かれようとしている。

どちらの地球に行きたいかは、今なら選ぶことができるが

それを選ぶ最終期限は2021年冬至だ」

 

という話ですね。

 

 

 

地球が二つに分かれるってどういうこと?

なんでそんな期限があるの?

誰がそれを決めるの?

 

 

などと頭で考えようとするとわからなくなりますが

私は、この話をいろいろな方面から聞いて

ピンとくるものがありまして

 

 

「二つの世界に分かれていく有様を

今はっきりとイメージできなくても

私は、ポジティブな新生地球で生きていく」

 

ということは

はっきりと決めていました。

 

 

 

とは言うものの

「最終エントリーが2021年冬至」

となりますと、

 

「じゃあ、それを知らなかった人はどうするの?

その人は新生地球に行けないということになるの?」

という疑問がわくのは必至ですよね。

 

 

でも、もちろん

その話を知らなかったとしても

スピリチュアルな事柄に興味のない方でも

ポジティブに、明るい方に向かって生きていれば

ポジティブな世界にいけると私は思っています。

 

 

ただ、

この情報に行きあたること自体も

その人にとって大きな意味があるわけですから

 

私は、以前からピンと来た方には

この話をお伝えしてきましたし、

そうでない方には、話しませんでした。

 

お伝えして喜ばれることもあれば

それっきり音信普通になる方もいました。

(それが原因なのか、他に理由があったのかはわかりませんけどね)

 

 

「地球が二極化する」なんて話、

聞く人にも、ある程度の下地といいますか

「聞く準備」というものが必要ですね。

 

また

 

どの人も、その人にとって本当に必要な情報なら

どういうやり方にせよ、アクセスし、ゲットするものだ

 

と考えていたこともあります。

 

それを伝える役割が自分にあれば

喜んでお伝えするスタンスでOK😊と思っていました。

 

そして

そのことを再確認するような出来事がありました。

 

 

私はオンラインで、ジャズピアノを習っているのですが

件の冬至一週間前に

そのレッスンがありました。

 

 

夜の21時からレッスンが始まったのですが

10分ほど経過したところで、先生が急に

「なかなか体調が戻りませんでしてね」

と話し始めたんですね。

 

先生はここのところ、体調を崩されて

レッスンできなかったり

Youtube配信も休んだりされていました。

 

 

「今はいろんなことが浮かび上がってくる時期ですしね」

と、なにげに返していますと

 

先生がですね、

「それはどういう意味ですか?どういう時期なんですか?」

などと、真剣に食い込んでくる感じで、

 

遂にはご自身から

「今は地球は二極化が進んでいる気がするんです」

ときっぱり話し始めました。

 

 

きょとんとしたのは私のほうです。

ジャズピアノの先生は

全然今までそういう方面も興味を匂わせたことがなく

「『2021年の冬至の話』を、お話してみようかな」と

頭をかすめたこともありませんでした。

 

ピアノレッスンの時間は、1時間と限られているし

私は一時間みっちりと、ジャズピアノを習いたいですしね(笑)

 

 

「え???

先生、こんな方だったんですね。。。

めっちゃ意外なんですけど。。。

あれれ。この話を聞きたい人が、こんなところにいたのね」

 

と、かなり面食らいながらも

これが今、私の役割なんだ、と腹を決めて

並木良和さんの新刊本の紹介、

冬至の日のビッグイベントのお知らせも含めて

私の知るところを、惜しみなくお伝えしましたら

22時半まで話し込むことになりました。

 

 

その日のレッスン内容は別の日にまたやってもらうことになりました😊

 

それからまだレッスンを受けていないので

先生が結局どうされたのかはわかりませんが

 

 

大事な時期に

大事な情報にアクセスするための

一つの電波塔の役割を果たせて、良かった💕

 

と思いました。

 

 

私も先生に、それらしい話を匂わせたことは微塵もないのに

なんで、私にその話を振ろうと思われたのか

なにかありそうだと思われたのか

理屈で考えると不思議なんですが

 

おそらく、先生のハイアーセルフが

ツンツンと先生を突ついたって感じなのかな

と、思います。

 

「人はみんな、ちゃんと導かれている」

ということを、また再確認したできごとでした。