今日のブログはちょっと伝わりにくいかもしれません。

わかりにくかったら、スルーしてくださいね。

 

 

 

 

三日ほど前、朝起きたら

 

「何をおこなうかというより、どんな波動でおこなうかが大事」

 

という言葉が浮かびました。

 

 

アメリカ大統領選挙に関しての報道が、あまりにも一方的で、

いても立ってもいられず、

「選挙不正がこんなにあったんですよー」と、いろいろ発信してきたけど

伝えたい人達にはほとんど伝わっていない感じで、すごくもどかしくて。。。

 

 

私が、自分の怒りを手放せないままに、シャカリキになっているので

発される波動は、怒り、不安が先に立っていて

やっぱり、なかなか伝わらないよなー。

 

 

そうだなー、とわかっているけど

その怒りが、どうしても手放せませんでした。

 

 

私はよく

「絶対的に正しいことも、絶対的に間違ったこともない」

「絶対的な善も、絶対的な悪もない」

と言っているし

今回、それも何度も思いました。

 

 

でも、リアルタイムでおこなわれている、このあからさまな不正と偏向報道に対して

「オッケー👌」を出すことは、

自分にはやっぱり無理・・・。

何回考えても、やっぱり無理・・・。

 

 

これを許せたら、もう、「何でも許せる自分」になれそうだと思いながらも・・・。

 

 

いくらなんでも、これはだめでしょ?

これを許したら、世界はほんとにめちゃめちゃになってしまう。

 

 

世界の変わり目なのに

今がすごく大事な時なのに

ここで、「正義」が「巨悪」に力づくで、追い落とされてしまっていいわけがない・・・。

 

 

でも、よくよく見てみると

 

 

「この怒りを手放したいけど、手放せない」のではなく

「手放せる自分になりたくない、そうなったら大変」

 

と、いうのが本音。

 

 

こんな「巨悪」を、甘んじて受け容れる自分になりたくない、

もし、これにオッケーを出してしまったら

自分自身が消えてなくなってしまうような

もう、この私なんて、どこにも居場所がなくなってしまうような気持ち。。。

 

 

でも、なんか変だ。

何かを受け容れたから、自分がなくなってしまうなんて

そんなわけはない・・・

 

 

そこでやっと気づきました。

 

 

 

「受け容れたら、なくなってしまう」と、しがみついていた「自分」は

「真我」じゃなくて、「偽の自分」。

つまり、「エゴ」ですね。

 

 

自分がどうしても手放せなかったのは

「私はこんな人間だ」と思いこんでいたい、自分の虚像だったんですね。

 

 

それに気づいたら、すごくほっとしました。

 

受け容れたって、自分はなくなったりしない。

本当の、真の自分は、そんなことには全く動じない。

 

 

 

今までだって、SNSやたくさんの人々が

この世界の、たくさんの不正や問題点を教えてくれました。

でも、あんまり真剣に取り合ってきませんでした。

問題なんて、世界にいくらでもあって、

一つ一つの問題に、注意を向けている間に

どんどん自分が落ち込んでしまいそうだし

問題にフォーカスするよりも、素晴らしいことにフォーカスするほうが楽しいし

そう思ってきたし、それはそれで100%良かったけど。。。

 

 

 

「どうしても許せない」ことに出逢って

葛藤して、許せるようになることが、今必要だったんだと思いました。