最近、断捨離にかかっています。
やってみて、断捨離とは、


自分の潜在意識のふたを開けてみること
自分と向き合うこと

 


と実感しています。



「私はだめだった。。。」という、つらい記憶を
「いや、でも、けっこういけてた」という、自己肯定に
書き換えることができたんです。




私は毎年、年末大掃除をかなり真剣にやるので 
わりと片付いていると思っていたんですが
持ち物すべてを、箱を一つ一つ開けて
見ていたわけではありません。



特に、「アルバム」と書かれた小さな段ボール箱などは
何十年も開けていなかったのです。



断捨離は 捨てること自体が目的ではなく 
物との関係を見直すこと
ものの新陳代謝を図ることが大事だなーと
認識していたので
その箱もこの際、きちんと開けてみたんですね。



昔の自分に出会うみたいで、ちょっとドキドキしました。怖かったです。



今までその箱を開けてみなかったのも
そういう怖さがあったからだろうなと思います。


開けてみて、意外にも

感動して、泣きました。。。



私は 新卒で 私立の幼稚園に就職し 4歳児の担任になりました。
大学を出たばかりで
「子どもを自由に、生き生きと育てたい!」
という理想と情熱だけは、山もり持っていました。


でも、初日から、手痛い洗礼を受けました。


まず、クラスの子ども達みんなに
「お部屋に入って、椅子に座って、こちらを注目してもらう」ことが、
ものすごく大変でした。


3歳児クラスから上がってきた小数を除いて
4歳児の子どもは、生まれて初めての集団生活です。


私は
既に幼稚園の生活に慣れて、
ある程度社会化されている子どもしか
見たことがなかったので

生まれて初めて幼稚園に上がった子どもたちが、どんなふるまいをするものか
全然わかっていませんでした。



子どもは放っておくと
ドアから走り出てしまうし
それを見たほかの子どもも面白がって走り出てしまうし
私のクラスは、まったく収拾がつかない集団になってしまいました。
結局、それなりに落ち着いてくるまで10日ほどもかかったでしょうか。


20年のベテランの先生には
「時間かかり過ぎ。こんなん見たことない。前代未聞や」
と言われました。


その後の教育でも
わからないこと、うまくいかないこと、悩むことだらけでした。



子どもを自由に育てたいという理想と
それでも、幼稚園では、最低限の社会生活を
覚えてもらわないと その先何事も始まらない、単なる放任になってしまうんだーという現実とのはざまで
とても悩んだし
自分の指導力のなさを思い知らされました。


結局、一年で結婚することになり、三重県に引っ越ししたので、退職。


私の幼稚園教諭時代は
ものすごく情熱を持って、一所懸命に取り組んだ、という自信だけはありましたが


一方で
「至らなかった。指導力がなかった。 申し訳なかった」
という気持ちが拭えませんでした。



心の傷になるほど、悪い記憶ではないけど
なんとなく、ぼんやりと
「けっこうつらい記憶」
として、心の奥底にあったんですね。


子どものころの、ほんとにつらい、ひどい記憶なら
後から見直したり、癒したりしてきたのですが
この幼稚園時代は、それほどでもないけど
「わりとつらい記憶」
だったわけです。


それを無意識に押し込めて
見ないようにしてきたんですね。




今回開けてみたアルバムには
子ども達と親御さんがくださったアルバム、
そしてお手紙が。



もちろん、外交辞令的なお手紙もあったんですが
子どもが本当にこんな風に成長して、本当に杉浦先生で良かったとか
いつも正直な先生でうれしかったとか
今までで最高の先生だったとか
下の子の担任になってもらおうと楽しみにしていたのに、残念とか



私の気持ちとか情熱とかは伝わっていて
本当に喜んでくださっていた人が、たくさんいたんだ、と
今になって感じることができたんですね。



昔のマイナスの記憶を
今、楽しい、プラスの記憶に書き換えることができたんですね。

 



断捨離って
物に向き合うことを通じて、自分に向き合うことができるんものなんだーと実感しました。
解放されました。



ふたを開けてよく見てみなかったら
ダンボールの中に、古い記憶を文字通り閉じ込めて
そのままにしてしまっていたでしょうね。




小さな解放ですが
一つ一つ、物と向き合っていくことで得られるもの。
けっこうお得です。


大阪・豊中でレイキセミナー開催中です。