普段、生や死について深く考えることはないのですが、

大好きで尊敬する、地元に国交に、貢献した祖父

愛情をたくさん注いでくれた不器用な父の早すぎる死

こういったことを経験した時に

「人の生き様」について、いやでも考えさせられます。



昨日は、
帰宅すると、ポストに本が届いていました。

それはたった二度しかお会いしていませんが、

長く病気と闘い、生き抜いている方の本。

「自分の経験が同じ立場の方々の役に立てば…」との思いで自費出版された、悲願の本で
ご家族の皆さんが一つ一つ梱包して送ってくださったものでした。

「ほんとに形になって、すごいなぁ。」ってじんわりときたのもつかの間、

その直後に開いたFacebookで、
その方の悲報が目に飛び込んできました。


言葉がでてきませんでした…。




神さまって、時に意地悪ですね。

まるで、本が届くのを待っていたかのように…。


私はその方とすごく親しかったわけでも、
なにか役に立つことができたわけでもありません。


でも、
「一生懸命生きている」

その姿に、勝手に勇気をもらっていたたくさんの人の中の1人です。


私の尊敬するお仕事のパートナーの方がいつも言っていることがあります。


「僕は、成功したいとか、お金がほしいとか欲は全然ないんですが、
一つだけ思うのは、自分が死んだ時に、悲しんでくれる人がいるといいなぁと思うんです」と。

私もまったく同じです。


おそらくみなさんもそうではないでしょうか。


自分がこの世に生を受けたことで、
誰かの役にたてて
誰かのなにかのきっかけを作ることができ、
誰かの幸せに少しでも貢献できた。


それが、エゴかもしれませんが、

自分が生きた証
自分が生きる意味

なんだと思います。


この方は、その生き様で、たくさんの人に勇気と元気と与えてくれました。

ご家族の方の悲しみは考えただけでも込み上げてくるものがあります。


ただ、
皆さん、その方の家族であることを誇りに思い、強く生きていかれるんだろうな、と想像します。


今はただ、
何年もすごく頑張ってきた
ご本人、ご家族に、
ゆっくりしてください
そうお伝えしたいです。


と、同時に
与えてもらった命
一生懸命生きよう。

このくらいでいいと思ってない?
やる前から諦めてることない?
力半分くらいで楽してない?

そんな自問自答を
改めてさせてもらいました。


一生懸命生きよう。