去年、神尾真由子のマスタークラスに行って衝撃を受けて

(真由子さんの音色の素晴らしさとと楽器の音の素晴らしさと

あまりにも楽譜を考えつくして常に弾いていることに対して。

伴奏のピアノについても勿論熟知されているし、とにかく凄すぎたのだ。)

今年も行ってきたよ。色々思うことあったから記録しとく。

 

3日はフランス人のバイオリニストのオリビエ・シャルリエ氏と

桐朋学園の4年生の学生。

 

曲目はフランクのバイオリンソナタ第一楽章だったけど、

同じフレーズの繰り返されるその一楽章を絵に例えて仕上げていく表現は

さすがフランス人だと思った。

 

そして、何よりもびっくりしたのが、通訳の方!!

音楽用語もしっかり、拍子の指示も完璧だし、表現を解りやすく演奏者に伝える力。

この人、只者ではないと気になり調べたところ、藤本優子さんと言うパリ国立高等音学院のピアノ科を出られている方でした。

超納得。フランス語のできる音楽専門家だったのか。

終始彼女の通訳に聞き入ってしまった。

 

オリビエ氏は終わったあとも、生徒にテクニックのことなど言い残した事を伝えてくれていました。

にしても、1時間もフランス語を真剣に聞いて結構疲れたわ。フランス語、ほんとどこかのタイミングで真剣に再勉強したいと思いつつもう10年くらい(体感では)経つよ。

 

4日目は堤剛先生と東京音大の修士課程の学生とで

バッハの無伴奏チェロ組曲第6番、プレリュードとアルマンド。

 

この回、演奏云々より気になったことが。

 

まず、去年もそうだし、今回の3日のバイオリンの学生もだけど、開演ギリギリまで練習をしている。

先生が会場に見えられたあとは今回のバイオリンの子は音は出さないけど、

指をさらって、弓もさらっていた。

 

でも、このチェロの子は楽器も出さずに、口紅塗ってたからね~

 

いや、誰か練習できるよ?練習しなよって教えてやれよ(←この教えてあげるという発想もすもももだいぶゆとり寄りになっている)

そもそも偉大なる堤先生をお迎えするにあたって、開演10分前になっても楽器を出さないとはどういうこと?

普通はチューニングも済ませて楽器もって待ってるもんじゃないんか。

普通のレッスンだって、前の子が終わるまでに楽器出して準備するもんじゃないの?

前の子が終わってから部屋に入って、さあ楽器をだして、肩当てつけてってやるの?(バイオリンの場合)

 

このままだと堤先生の方が先に楽器を出してチューニングはじめてしまうのではないかと

すももは違う所でハラハラしていた。

※ちなみにこの翌日にプロピアニストの牛田智大くんが受講生のマスタークラスだったらしいけど

彼もギリギリまで練習していたらしいよ!

 

そして、5分ほど前になって、やっと楽器を準備した彼女は

本番でミスってたよね。あーあって思うよね。

 

それはもういいとしても、堤先生にこの曲をどう表現しようとしているか質問を受けて

「組曲最後の曲だからバーン(どーんだったか)って感じに弾こうと思う」みたいに答えていて、

なかなかそれも衝撃的だった。

音大1年生ならわかるけど、曲がりなりにも修士課程でその解釈なのか?

もっと曲の構成や背景など音楽理論的な意見はないのか?

そして、結局堤先生が曲の構成や構成に対する弾き方のアプローチについて

聴衆にわかりやすく解説してくれた。

(堤先生は終始、曲の解説を歴史的背景を踏まえて当時の楽器と今の楽器の違いなどもまじえて超わかりやすく解説してくれて

とても勉強になったし、より音楽を聴いたり知ることができた。マジ尊敬。先生偉大すぎる。しかも演奏も素晴らしかった。)

 

これ、逆に我々理系の学生だったら、マスタークラスを専門家に対する自分の研究発表会の場だとすると、

相当勉強してくるし、想定質問回答集も作るし、あわよくば専門家に逆に聞きたいことリストも作るし

少なくとも完全理論武装していくけど、音楽って違うんか?

楽器が上手に弾けると進学していくもんなんか。

もっと、音の意味を歴史背景や作曲者の意図や楽器の特色など色々考えて演奏をしていくことを目標として

よりよい演奏を目指していくものかと思っていたけど、

この修士の学生さんからは、クラスの開催前からそんな感じは見て取れず。

 

最後に、堤先生が何か質問はあるかと伺ってくれていました。

(こんなチャンス中々ないと思うし、

普通だったらキター!!!まじラッキー!ってなると思う)

 

 

「ビブラートのレパートリーが少ないって言われます」

 

 

「まずどういう風に曲を表現するか考えたらいいと思います」