180度人格までもを変えてしまう「過食」。


ダイエットと過食をただ繰り返して、生きたくもない毎日をただただ過ごすだけで精一杯。





「寛解」なんて夢のまた夢で、

そんな落ち着いて暮らせる日がわたしにも来るのかって途方に暮れてはまた悲しくなって 。



わたしは何のために生きているのか、なんで死ねないのか。

そんな答えなんか出るはずもない問いに自問自答しては苦しくなる。





【世の中が言う「普通」なんか目指すな、
お前が生きやすい人生を歩め】


本気で死のうとしていたわたしに本気で真正面から向き合ってかけてもらったこんな言葉も。


高校生だったわたしに先生がかけてくれたこんな愛のある言葉すらも、



22歳になっても、やっぱりどこかで世間と比較して自分の劣等感に耐えられなくなっては自ら命を断つこと考えてしまう。





時間だけがどんどん過ぎて、私だけが取り残されていく。




あの頃隣にいたはずのあの子が見ている世界は、今ではこんなにも違う世界になってしまった 。

なんだか久しぶりにブログが書きたくなった、
1日に2つ投稿とかいつぶりだろ。



Twitterに摂食垢作ってから愚痴とか悩みとか死にたいとか、、簡単に悩みを言えるところを作ってからブログは見る専門になっちゃってたな。






生きるって難しいなって最近つくづく考えちゃってただただつらい。



発散方法が過食以外に見つかればいいのに。
趣味があったとしても何しても過食に勝るものはわたしにはなくて。



モヤモヤした気持ちを消すために、醜い自分を傷めつけるための手段は過食しかなくて、
なんで生きてるんだろーってただただつまらない毎日を死ぬことができないから生きている。
そんな感じの毎日です。

まだ吐くことができたら気持ちが救われるのになー、って。ね。




太ると外に出れなくなるのになにやってるんだろ。


整形したい気持ちが最近どんどん大きくなっていってますます生きにくい。


大好きなアイドルも元気をもらうために楽しんで見てたのにいつの間にか体型にしか目がいかなくなって最後は絶望だけが残る。




人には向き不向きがあるけど、わたしはきっと生きることに向いてないんだなって。


そんなこと中学生くらいから分かってたけど年取るごとにその現実の重みが何倍にも膨れ上がってその重みに窒息しそうだよ、





高校の時の先生に
「お前の病気は一生治ることはないだから受け入れて自分が生きやすい人生を送るしかないだろ」って言葉をかけられたことがあるけど、そもそもわたしが生きやすい人生ってなんなんだろうね。



いっつもわたしの結論は「死」だけで、それ以外の答えは21才になっても見つからないよ。




わたしはいつまでいきるのかな。
わたしの生命はいつつきるの?



この前ネットでわたしが生まれてきてから「8000日」になる日を見つけてしまって。


そんなキリのいい日に人生を終わることができたらなんて幸せなんだろうって、そんなことを考えてしまった。

非嘔吐のわたしは幸せなんでしょうか。

ただの甘えかな、贅沢病かな。






吐かない「非嘔吐過食」の方が治りやすいとか、

吐かないから身体に支障が出ないとか、

吐かないなら症状が軽くて大丈夫とか、




そんな言葉わたしは求めてない。



ネットに並んでる言葉に苛立って、棘のような言葉に傷ついて、吐けない自分に苛立って。

はち切れそうなお腹で絶望しながらも、どうすることもできないこの気持ちが治まるのをただただ耐えるしかできない。



みんなそれぞれ苦しんで悩んで、毎日「食」と「生きる」ことに闘って。


そんなこと頭では分かってるのに、嫉妬と自分に対する怒りで毎日心がついていかない。