昔からずっと憧れだった。


「友達みたいに仲のいい親子」が。


お母さんとどうやったらあんなに親しく近い距離で接することができるのか疑問で不思議で仕方がなかった。




昔通ってた病院の先生に
「お母さんのことすき?」

そう聞かれた瞬間固まって答えが出なかった。



「すき」
その一言を発することができないと気づいた時やっとわかった。




素っ気なくて家庭的ではなく、
わたしと性格が真逆で、


そんな姿を子どもながらに苛立っていたけど「きらい」っていう感情では片付けないようにしてきた。



でも、わたしはお母さんのことをどう頑張っても「すき」にはなれそうにないみたい。

「きらい」にならないように努力をすることはなんとかできそうだけど。




あなたの行動に振り回されて
あなたの些細な言動に傷ついて



そんなことすら気付かず、頑張って歩み寄ってはただ後悔するだけ。



親子ってなんなんだろうか、
血の繋がりってなんなの、




生きるって大変でもう投げ出したいよ 。

月日の流れってこんなにも早かったっけ、?
歳をとると時間が早くすぎてくって本当なんだなって毎日嫌でも実感させられるな。



21歳っていう年齢が嫌で20歳過ぎても生きちゃってる自分がやっぱり好きになれない。
周りの友達が100倍もキラキラと輝いて見えて自己嫌悪が止まらない。





ちょっと心に余裕があるときは、

「あの子とわたしとでは生きてる世界が違うんだ」
「見えてる世界が違うんだ」
「価値観が違うんだ」
「同じになろうとしなくていい、比べなくていいんだ」
「わたしはわたしだもん」

そんな風に思って自分に強く言い聞かせることができるけど今のわたしには到底無理で。




「いつから道をはみ出してしまったんだろう」
「なんであの子みたいに器用に生きられないんだろう」

そんな感情で死にたくなるんだ。







気がつけば2018年も3月で。
気がついたら花粉症の症状に苦しまされて。
気がついたらもうあったかくて春がすぐそこまで来てる。




わたしが過食に振り回されている間にも当たり前だけど世間はどんどん進んでる。


わたしが毎日足踏みして前にも進めずむしろ後退するような生活を送ってる間にも月日は流れてる。





当たり前の現実が今のわたしにはものすごくつらい。ものすごく生きづらい。


このつらさは歳をとるごとに増していくんだろうな。







毎日過食してどんどん太って吐ける人を羨んではただただ死にたいと泣きわめく日々。


自分が醜くて外に出ることが怖くて病院にすら行けないこんな毎日。







こんな日々いつまで続くんだろ、


なんで生きなきゃいけないのかな、?

「20歳までに死にたい」
「20歳まで生きる予定はない」



いつからかこんな風に考えるのが当たり前になっていて自分の成人した姿を想像することができなかった。

毎日ただ生きることだけで精一杯で、夢も希望もない。だから勝手に20歳を区切りに物事を考えることが多かった気がします。




そんなわたしが先日21歳の誕生日を迎えました。


正直、なんだか不思議な感じです。
あ、20歳過ぎてもわたし生きてるんだって気持ちで埋め尽くされてる気がします。

自分でもこの気持ちはよくわからない。
だけど、わたしは今も生きていて“21歳”のわたしとして毎日を送っているという変わらない事実が存在している。




成人したあとの人生なんて10代後半の時は考えたこともなかったし考えたくなかった。

でもこれからは逃げずに向き合わなきゃいけない。




誕生日を素直に喜べないし、いつからか11月が怖くなった。


でも、いつかみんなからの「おめでとう」に心からの「ありがとう」という言葉と一緒にこんな私でも見捨てずに支えてくれている感謝を伝えたい。伝えられるようになりたい。




“生きる” ことってわたしにとってはかんたんなことではないし、毎日一瞬一瞬送るだけでも苦しくて逃げ出してしまいたくなる時の方が正直多い。



だけど、いつか心から「生きていてよかった」って笑って思えるようにまた一歩一歩歩んでいけたらなって ね。