僕はようしょうきから病気で

ほとんど学校にはいっていない


義務教育をうけてない

といっても過言ではない


勉強とはいい大学にはいったり

いい就職をするために

と思っていたが


いささかそうではないと

最近思う


その上で勉強とは大切だと

痛感する


人間の人生を豊かにするのは

知識だと思う


例えばリンゴは赤い

このみたままの表現を

知るということで

リンゴは甘い

芯は食べれないとか

様々な説明が表現できる


リンゴだけで五分しゃべれたら大したものだ(笑)


見て触れて考えて

ものを知る

とても大事なことだと思う


歌詞を書くものとして

やはり

伝えたい

しかし言葉をしらないと

人の心に響かない


怖い

これは

何色?

いつ?

なんで?

それは

時に白くいやに晴れた午後

無限の自由に何をしたらいいかわからず

ただただ時間と空間に迷子になってしまった


みたいな接続詞にボリュームがでる


昔塾の先生が

言った


勉強をしないと

重い足かせと

砂袋をひきずってあるかなければならないと


こうもいった

日本人とばかり会話してなにが楽しい

英語しゃべれたらもっと楽しいと


みとめたくないが

たしかに今のところ当たっている


勉強しなかったせいで

いつまでも肉体労働になり

つらい仕事をしいられる


しかし、英語にいたってわ

文明の力で幸いにも、翻訳されるじだいに


塾の先生はきらいではなかったが

まだまだ反抗したい


重い砂袋をかつぐ人生は

勉強しなかったからではない


自分が、その環境に甘んじているからであり

評価してくれる場所はきっとあると思う


例えばニューヨークにいったら

例えばどこぞの部族に出会ったら

まぁ飛躍したが

大袈裟てはない


ものを売るのもそうだが

いつものところで売ると

数百円が

場所をかえると

数千円の価値がでたり


要はきちんと評価される場所にいかないと

いつまでたっても変わらない


変わるとは自分をかえなければ

環境もかわらない


そして物事をはじめるのに遅い早いはないと


僕の知ってる空手の先生は45さいから

空手を始め今では先生になっている


勉強もそうだろう

もう、遅いとおもえば

それまでなんだろう


勉強のために勉強したくない


ものを知り

人生を豊かにするために学びたいものだ