この精神医療の世界に関わって15年ほど。これまで数多くの方と知り合ってきました。不必要な薬によって人生を左右されてしまった人も多くいます。
そうした中、先日、フェイスブックを覗いていたら、ふと、以前「統合失調症」という診断を受け、大量の投薬、その後入院までした方が、現在は介護士として活躍している記事にぶつかりました。
あの人が介護士になっていた!
大量の薬による副作用から不安定になり、そのことで薬への不信感が生まれて、自ら薬を減らしていって、断薬。
もちろん通院もやめてしまったところ、病院からは受診するようにとの矢の催促をうけました。それでも、障害者手帳を返納して社会復帰をする、という決意までは知っていました。が、その後の数年は連絡も途絶えたまま。
その人が介護士として、来年には国家資格にも挑戦するとのこと。
もしあのとき、医師の言うなりに「治療」を続けていたら、薬を飲み続けていたら……。
そう考えると、まったく不思議な気持ちになってきます。
医療という前提のもと、統合失調症と診断をして、治療のために薬を飲ませる。
その行為がどれだけその人のためになっていたのか。
普通、医療というものは、その人のために行われる行為のはず。
しかし、精神医療に限っては、どうもそう単純な話ではないようです。
統合失調症は放置しておいてはいけない(その人のためにも、あるいは社会のためにも)。
といっても、まあ、前者は後者を守るために精神医療が作り出した詭弁でしょう。だから、アウトリーチをしてまでも、「統合失調症」と診断した人につきまとうのです。自分たちの診断力がどれほどのものなのか、わかっているのかと、この方の例を待つまでもなく、問いたくなります。
もしあのとき「治療」を続けていたら……。
いや、もしあのとき「薬」をやめていたら……。
どちらも人生が大きく変わっていた可能性のある「医療」。
「医療」から離れたことで「病気」から解放されるとしたら、いったいこれまでどれくらいの人が「医療」を受け続けることで、あったかもしれない可能性をつぶしてしまってきたことか。
あるいは、使われてしまった「薬」のために、もう「薬」から逃れられなくなってしまって、本当の病人としての人生になってしまった人もいるでしょう。
しかし、精神医療の側から見れば、いやいややっぱり「病気」だったから、薬がずっと必要なのだ、ということになります。そのあたりのことが、非常に巧妙にこんがらがっているのが精神医療の世界です。
それにしても、離れたことで人生が好転していく医療とは、いったい何のなのでしょう。
この人が特別なの?
いやいや、同じような人をこの15年、たくさん見てきました。
それはいったいなぜなのか?
ずっと私のなかでくすぶり続けている問題です。
(薬が必要な人もいる。薬があるから人生が成り立っている。たぶん、そういう意見が精神医療にぴったりはまって、くすぶり続ける問題をさらに深い霧の中へと押しやっているように感じます。)
だからといって、今薬を飲まれている人が、急激に薬を減らしたり、やめたりしたら、大変なことになります。それも精神医療、精神薬の巧妙さ、面倒なところです。
今より状態が悪くなる可能性もあり、さらに精神医療に深くはまることになります。
どうか減薬、断薬は慎重のうえにも慎重に。
精神薬は生易しいものでないことを肝に銘じてください。