今日は一冊、本を紹介します。

『いますぐ彼を解きなさい イタリアにおける非拘束社会への試み』

 ジョバンナ・デル・ジューディチェ著 

岡村正幸(監訳) 小林絹恵(訳)(ミネルヴァ書房)

 

イタリアSPDC内での拘束死亡例から

イタリアといえば、精神病院をなくした国として有名で(1978年、法律180号=通称バザーリア法を制定し、精神病院の廃止や新規入院を禁止した)、日本では精神医療の「理想」のように取り扱われる場合が多々あるが、じつはなくなったのは精神病院という施設だけであり、じつは、同じ法律180号において、総合病院の中に「SPDC」(=診断と治療のための精神科サービス)という「場」が規定されているのである。

 本書は、このSPDC内で起きたある男性患者の拘束を原因とする死(肺血栓塞栓症)から、イタリアの改善取り組み(拘束廃止運動)を、当該事故の起きた施設の責任者であるジョバンナ医師自身がつづったものだ。

 この患者(カズ)に起きたことについて驚くことが二つある。一つはこの事件が起きたのが2006年であるということ。バザーリア法は1978年制定されたが、「あのイタリアにおいて、拘束がここまで日常化しているとは」という驚きは本書を読んだ際、確かにあった。もう一つの驚きは、このカズのSPDC収容のされ方が、まさに日本における措置入院と同質のものであったからだ。

 カズの職業は野菜やフルーツの移動販売。それには許可証が必要だったが、カズはそれを持っていなかった。そこで法外な罰金(2度にわたる60万円の支払い命令)を科せられ、当然のごとく彼は激しく抵抗した。

 憲兵と口論になり、ついには乱闘となった。その結果、なぜか「精神保健センター」が介入してきて、彼はそのままSPDCへ強制入院となったのだ。この本に書かれていることだけを読めば、行くべきは精神科ではなく、警察だったのではないかと感じる。

強制入院となったカズに対して、SPDCスタッフは執拗に薬を勧めた。しかし、彼はそれを拒否し、薬を飲むために渡された水の入ったコップを地面にたたきつけた。

即座に、看護師による拘束(胸部、手首、足首)が始まった。拘束後は、縛られた状態で薬物も投与されている。

その後、拘束は胸部のみ外されたが、手首、足首を縛られたまま、7日間が過ぎたとき、カズは死亡しているところを発見された。

この彼の死が「拘束」についての変化の発端になったというわけだ。

どのような経緯で改善に取り組んだか、改善の内容については本書をお読みいただくこととして、ここではイタリアの精神医療を垣間見るためのいくつかの情報を挙げておく。

SPDCとは、本書の説明ではこうある。

 SPDCは、1978年法律180号の精神医療改革で規定された、自発的及び義務的治療における精神的困難を抱える人の治療のために、総合病院に割り当てた精神保健局のひとつの機関である。SPDCは、総合病院内にあるが、あくまで地域精神保健サービスの一部であり、緊急で一時的なものとして位置づけられている。

 

 緊急で一時的……つまり、日本のように何十年もそこにいる「社会的入院」はあり得ず、入院という形態をとっているとは言うものの、「あくまでも地域精神保健である」という(ちょっと苦しい気もするが)位置づけなのだ。

 その地域精神保健サービスであるはずのSPDCで、拘束が行われ、死亡事故が起きた。

 この事故(事件)の起きたSPDCは、イタリアの大きな島の一つであるカリアル県内の総合病院内にある。

 病棟は電子ロックのついた閉じた扉の先にある。そして、ロビーカウンターの後ろには「監視」のための武装した警備員と看護師が配置されているという。

 カリアル県のこのSPDCの病床数は32床。しかし、イタリアの法では、最大16床と定められている。この過剰なベッド数は、「曖昧な方針で指揮している精神科医によって存続していた」と本書は書いている。

さらに、このSPDCには22人の専門看護師と、9人の補助看護師がおり、精神科医はなんと13人いたという。しかし、医師は午前中のみ働き、午後はたった1人の医師がいるのみだった。

また治療方針として、精神疾患は生物学的要因を中心に考えられ(つまり薬物療法)、社会やさまざまな関係の文脈にある苦悩の実在をとらえることにはまったく欠けていた。

そして、薬の効果がなかったり、薬を拒否したときは、カズの例のように、「拘束」に頼っていた。拘束はいわばルーチン化されていたともいえる(まさに日本と同じ)。

このSPDCにおける拘束の実態は以下の通り。

2002年・233件。2003年・325件、2004年・257件。

さらにこのSPDCでは電気ショック療法もかなり頻繁に活用されていたという。

しかし、この時代、イタリアでは電気ショック療法は時代遅れとされている。2007年に電気ショックを行った施設数は、イタリア全土で12か所。2018年にはそれが3か所にまで減少している。

 

なぜ縛るのか

 根源的な問題。

 なぜ精神医療スタッフは患者を縛るのか。

 彼らは、患者が自傷他害の恐れがあるため、それに対処し、解決することを目的に縛ることがある。また、薬を拒否した場合、投薬するために縛ったり、薬の投与で鎮静された患者のベッドからの転倒を防ぐために縛ったり、逃亡しないために縛ったりする。さらに、患者の抵抗や違反といった行為への「罰」として行われる拘束もある。つまり、病棟の規則を守らせるよう、スタッフが患者を「脅迫」する道具として拘束を利用している。

縛る側の言い分として、病気の症状としての攻撃性を挙げることが多い。しかし、ではなぜ患者が「攻撃的」になっているのか振り返りは一切行われないのだ。

縛る精神科医は、精神病理学的状況の危険性と患者の攻撃性との関係において「彼の最善」のため、あるいは他の患者を守るために「正当な」対応として縛ったとしばしば主張する。

 また、多剤大量の薬物を使う代わりに拘束をするという医師もいる。

 しかし、現実は以下のようである(本書を引用)。

「研究や証言に基づくと、精神科病棟で縛られて亡くなった人々のケースでは、拘束の実施は、すでに投与された薬物療法に加えて、向精神薬の大量の追加投与が常に伴っていると断言することができる。つまり、拘束は、人の興奮状態を悪化させ、そのためさらなる鎮静が必要となり、ますます拘束を強化し正当化する悪循環に陥っているのである。」

 

 縛る理由としてよく挙げられるのが、スタッフ不足である。これも拘束を正当化するもっともらしい言い訳だが、この理由も本書では否定されている。(以下引用 「しかし、科学的研究は、拘束を実施する多くの変数要因の中で、より科学的で中心的だったのは、人員の量的配置よりも個人の姿勢、スタッフの指導とスタッフの質であると明らかにしている」。)

 

「縛る専門家たちは、常に患者の暴力について話すが、決して精神医療の制度のもつ暴力については話さない。」

 

「最新の分析によると、医療従事者は拘束実施を患者の行動及び、または構造の欠陥にだけ関連付けており、スタッフの行動やサービスの組織モデルについて批判的に疑問を投げかけることも全くない。」

 

 さらに言えば「「拘束」とは、専門家の在り方を問題にするだけでなく、政治、制度、社会全体を問うものであり、その国の人々の民度を示すものなのである」。

 

 拘束廃止への闘いは「精神障害者の危険性という偏見に対する戦い」である。

 

「伝統的精神医学の歴史は、収容の歴史であり、診断の分類、非人間的で野蛮な処遇、精神病者絶滅の歴史である。そして、それは精神科医の歴史であり、患者の歴史ではない。」

 

 本書にはこのように印象的な言説が数多くちりばめられており、拘束による患者死亡という出来事を真正面から受け止め、改革の道をたどるイタリアは、やはり、精神医療においては先進的と思われる。

が一方で、バザーリア法が制定された以降も、本書にあるような「事件」は起こっているわけで、それは一つには人間の本性に根差す、理性とは対極にあるものが関係しているのかもしれず、私たちはそのことも十分に考慮する必要があるように思う。

 それにしても、日本の精神医療を見る限り、私たちの「民度」は相当低いと言わざるを得ないのではないか。