これを読んで、みなさんどう感じられたでしょう。

 ちなみに、「不承認」となった今年提出した診断書のなかで、それ以前の診断書と違うところは、「通院と服薬」の欄が、これまで「要」だったものが、今年は「不要」になっている点。また、「就労状況について」の欄が、これまで無印だったのが今年は「一般就労」に印がついていたこと。それが不承認の根拠なのではないかと鈴木さんは言います。

「たしかにその2点は事実だし(一般就労といってもバイトを週1日程度ですが。福祉作業所に通っているわけでもないし、ハローワークの障害者枠で職を得ているのでもないので一般就労ということでしょう)、手帳が不承認になったこと自体は不服ではありません。

ただ、精神科医というのは何というか、話していて、いつもはぐらかされていると感じます。こちらの質問にきちんと正面から答えてくれない。精神科医は、論点をずらして話をすり替え、何の話だったかわからなくさせる話術のプロです」

 自ら書いた統合失調症の診断書を提出して、精神障害手帳の申請が「不承認」になった途端、「実は統合失調症ではなく、非定型精神病でした」という。統合失調症と診断し、診断書にもそう書き続けてきた医師本人から、いともあっさりと、顔色一つ変えずにひっくり返される。これは当事者にしてみたら、詐欺にあったような気分です。

「この10余年間、治らないと言われている統合失調症の診断のもと、やってきた私の人生は何だったのでしょう……」

 

統合失調症という診断の重さ

 鈴木さんは言います。

「この会話でもそうですけど、精神科医の態度はあまりにその場しのぎです。目の前の患者の気持ちを考えることなく、自分の専門家としての立場を守るのに必死な姿を見てきて、こんなことでいいのか……と本気で思いました。それに、『一生』という言葉を、あまりに簡単に言い過ぎです。そう言われたら、もう思考停止するしかないじゃないですか」

今の主治医は二人目ですが、鈴木さんが最初にかかった大学病院の医師にはこんなふうに言われたと言います。

『隠しても仕方ないから言うけど、薬は一生飲まなければならないのよ』。

「若い女医さんでした。なぜ、『隠しても仕方ないから言う』なんて言い方をするのでしょう。そういう言われ方をされた患者の気持ちを考えたことがあるんでしょうか」

 

鈴木さんの精神科医に対する不信感は募るばかりです。

私も医師とのやり取りの録音を聞いて、大きな違和感を覚えました。

最初の方で、医師は申請が不承認になったとわかるや、こう言っています。

「統合失調症かどうかということに関しては、まあ、鈴木さんの場合、典型的な統合失調症ではぜんぜんないと思いますけどね」

 では、なぜ診断書に「統合失調症」と書いたのでしょう。まったく辻褄があっていません。

 もちろん、統合失調症の診断で手帳の継続を望む当事者、家族もいます。医師にそういう診断書を書いてもらうために贈り物をすることもあるそうです。それは本当に統合失調症であるかないかということより、現在働けない状況になっている(一つには薬の副作用等による薬害もあって)、そのような方にとって手帳が切れてしまうことは、家族を含め死活問題です。ですから、医師が診断書の継続的に統合失調症と病名を書くことに対してすべてを批判しているわけではありません。

 しかし、この場合、あまりに安易です。言っていることが「後出しジャンケン」なのです。

「後ろ向きでなければわからない」とも医師は言っていますが、精神疾患の場合、そういうことが多いのも確かです。しかし、それが言い訳にしか聞こえないのは、前半のこうした安易な言葉があるからでしょう。

 統合失調症診断は、ある意味で医師を守るための診断ともいえます。そう診断しておけば、「なにか」あったときに、いかようにも言い訳が成立するからです。そう診断された患者の心情を想像する気持ちは医師にはないのかもしれません。一生服薬、治らない病気という烙印を押されることが、患者にとってどれほど重大なことなのか。にもかかわらず、「不承認」という事態になった途端、手のひらを返すようにその診断を覆す。その「手のひら返し」のところに、非常な不信感を覚えるのです。

 また「寛解」という言葉に対するこの医師の敵意にも似た物言いは、なぜなのでしょう。

「統合失調症は治らない」、この考え方は精神科医として骨の髄までしみているようです。だから口が裂けても「完治」とは言えない。でも、現在の鈴木さんには薬なしでいかなる症状も出ていない。なら、統合失調症の寛解と言えないのか? そう問うと、そうではなくて、そもそも統合失調症ではなく非定型精神病だったのだという。

 統合失調症には寛解も完治もない。(ただひたすら廃人への道を歩むのみという考えなのか?)

 もし、鈴木さんが服薬を続けていたら、おそらくずっと病名は統合失調症のままだったでしょう。主治医も、服薬をやめて症状もないにもかかわらず、これまで診断書には惰性で「統合失調症」と書いていたわけですから、服薬していれば、当然、統合失調症で、一生服薬となっていたはずです。

 統合失調症と診断していた患者が、数年間も服薬しないまま、いかなる症状も出現しないことに、この医師の頭は混乱したのかもしれません。そういう統合失調症はあり得ない。だから、統合失調症ではなく、非定型精神病。

 目の前の患者の様子を見て「ぜんぜん統合失調症ではない」と言いながら、「不承認」という結果がない限り、統合失調症の診断を見直すこともせず、不承認になればなったで、今度は「統合失調症ではなく、非定型精神病だった」という。

 それは裏を返せば(医師への不信感は置いておき)、減薬、断薬がうまくいったなら、医師から「一生治らない」「一生服薬」と言われ続けていても、それがくつがえる時がくるかもしれないということです。医師からあっさり「統合失調症ではない」と言われる可能性もあります。精神科の診断は絶対ではなく、こういう形で診断が変わる例もあるということです。

「統合失調症と診断された人は一生治らない」と思い込むことのメリットとデメリットをよく考え、「画一的な情報」にとらわれたり、惑わされたりしないで、自分の人生は自分で決める、そのくらいの自由は統合失調症患者といわれる人にもあると信じます、と鈴木さん。

「医師は診察室でさえ患者を一個人として見ないけど、私の周りの人々は、私個人を見てくれて接してくれた結果、今があります。夫は、まだ私が服薬していた時、統合失調症という病名を聞いた上で結婚を決意してくれました。もし、精神科医がとても人間として信頼できる存在だったら、依存してしまってかえって回復できないでいたかもしれません。そして今の医学界の常識の中でしかものを考えられない理想的な患者のままだったかもしれません。

だから、いっそ精神科医は、患者に不信感を持たれるような言動をドンドンしたほうが、

患者は自立できるのかもしれませんね」

 もちろん最後は鈴木さんの精いっぱいの皮肉です。