ある精神科医とのやり取りです(というか、ここで紹介するのは医師の書き込みが多いです)。FBでのコメントですので、世界中に公開されています。

 

私の「もしかしたら統合失調症なんてないかもしれない」というつぶやきに対して、山のようなコメントが入りました。

回りくどい言い方や他の話題への横滑り、専門用語で煙に巻いたり、じつにわかりにくい文章ですが、肝心と思われるところだけ、抜き書きしておきます。

 

***統合失調症を確実に診断する方法は現在の精神医学にはありません。幻覚妄想が統合失調症の診断根拠のように言われますが、そうでないことは十分な証拠があります。精神医学に限らず医学診断はあくまで確率の問題です。

 

精神医学は診断の正確さを求めて研究し進歩を続けています。ここ10年間の進歩はめざましいものがあります。何冊かの本を読んで統合失調症がどのような病気であるのかを正しく知ることは現時点では無理な話です。しかしそれは統合失調症という病気がないと言うことではありません。

 

現時点で統合失調症はどのような病気かと問われれば「胎生期に始まり、脳の神経細胞の構築の異常を来し、成長とともに徐々に脳の萎縮が起こり、ある時点で社会不適応を起こし、それが進行性に悪化していく疾患で、症状と経過は患者によって非常に異なる病気」といえると思います(他の精神科医なら別の言い方をするでしょう)。

それを診断するためにDSMICDのような診断基準が用いられ、より正確な診断とすべく改良が重ねられている(しかし不完全である)ということです。

 

(統合失調症をこう定義するその証拠して以下のような研究をあげました。現在、その研究の詳細について問い合わせ中です)。

統合失調症の脳の細胞構築の異常が見つかっているわけですね。これは胎生期に出来たものです。統合失調症の家族のハイリスク時研究というのが1970年代に始まってCTMRIでの追跡研究が行われている。統合失調症を発症する人は発症前から脳の萎縮が始まっている。また誕生日が冬生まれに多いという事実があり、これは出生3か月前にインフルエンザの流行がある。1957年のアジア風邪の大流行の時は流行が6月で、この年の生まれの統合失調症患者さんは9月生まれが多い。インフルエンザとは限らず、出生前のウィルス疾患の流行と何らかの関係がある。出生3か月くらい前に母体内で何らかの脳の発達に影響があった。

 

統合失調症と診断した患者さん及びその家族には「おそらく統合失調症と考えられます。統合失調症は放置すると脳の萎縮が進んで回復困難になる病気です」と説明します。

 

 それに対して、私は、

「確からしい」という判断で、当人や家族に、「統合失調症は放置すると脳の萎縮が進んで回復困難になる病気です」と説明されるのですか。当事者としてはかなりショックなことだろうと想像します。これは「一生服薬」を前提としての言葉なのでしょうか。としたら、脳の萎縮に抗精神病薬が果たす役割は何なのでしょう。抗精神病薬で脳の萎縮が起こるという研究もあるようです。

 

これに対して、直接の答えはなく、ただ、以下にまとめて、抗精神病薬による脳萎縮を否定しています。

また、その後、私から

「統合失調症と診断をする際決め手になるのは何ですか。またそのときどのような鑑別を行っていますか?」との質問に対する回答。

 

現代精神医学に「決め手」は存在しません。身体の方でも「疑い」とか「おそらく」という診断をするわけです。精神医学が例外ではない。被害妄想とか幻聴を患者さんが訴えて来ますね。被害妄想や幻聴は脳の器質疾患でも、感情障害でも解離性障害でも発生します。神経学的所見や血液生化学的検査をして、結果が出る前に抗精神病薬治療を始めます。明らかに重度うつの可能性の方が高ければ抗うつ剤から始めることもあります。

抗うつ剤は統合失調症を悪化させる可能性が高いことと、非定型抗精神病薬がうつに効くこともあるので、どちらかという抗精神病薬少量から始めます。

社会的背景が明らかであれば認知行動療法を併用します。経過を追っていって統合失調症の可能性が高ければ「おそらく統合失調症」として治療していきます。どのような治療にも反応しない患者さんもおられます。経過と共に「おそらく」が「かなり確からしい」「ほぼ確実だろう」となることもあります。身体疾患を除外することは出来ますが、覚醒剤依存だと後で分かることもあります。統合失調症だと思っていたのが躁うつ病だったということもあります。確実な除外診断の方法は現代精神医学にはありません。

もう一つは社会適応が原因も分からず進行性に低下していっている場合です。陰性症状のみの統合失調症もあるわけです。この場合も抗精神病薬をいろいろ試し、作業療法への導入を図ったりします。幻覚妄想がほとんどなくても社会生活が著しく改善するケースは結構あります。あと環境調整もいります。

 

科学は、そして医療は1人の人間の経験と判断で成り立っているわけではないのです。1人の人間には偏見も妄信もある。多くの研究者が地道な努力、研究を重ねてきた結果として今の精神医学がある。もちろんその全体像を把握できている精神科医はどこにもいません。教科書や仲間の医師の経験から学んでいる。そして教科書にも仲間の経験にも誤りが多くありますし、明らかに間違った治療をしている精神科医も大勢いる。そういう点では精神科も身体科も同じです。ただ身体科は現在急ピッチで科学的に進化しており誤った治療が行われる可能性はどんどん低くなってきている。精神科はその後を追っているということです。

 抗精神病薬による脳萎縮についても研究が行われています。そして統合失調書の脳萎縮は抗精神病薬では説明できないというのが結論です。治療開始前から脳萎縮は始まっているのです。統合失調症があるのかないのかは科学的事実の問題であり、多くの独立した研究機関、治療機関が証拠を積み上げてきた結論が正しい確率が最も高いのです。個人の経験や意見は信頼性が極めて乏しいわけです。ただし1人の臨床家としては教科書的知識、先輩の意見、自分の経験と科学的推論を組み合わせてよりましな治療を探っていくしかないわけですね。

 

私以外からも次のような反論が出ました。

「治療」する能力がない状況で、かつ「病因」も特定されていない段階で「専門家」まがいの人がヤマ勘で与える「病名」などに価値があるでしょうか。その意味で科学的に特定もされていない「病気」に特定の医療関係集団が「病名」を与えていても、そんな「病名」に疑念が出てきて当たり前です。将来、科学的に「病因」が特定できた時に、与えられる「病名」があえて言えば、本当の「病名」ですね。その時にその「病因」に与えられた「病名」が「統合失調症」であれば、「統合失調症と言う病気の歴史的理解」という意味で「統合失調症」という病気があったとか、なかったとか、その病名の有効範囲と共にちゃんと議論理解できますね。

 

 すると、

DSM-Ⅲ以前は山勘による診断治療が中心だったわけですね。「ゲヒュール・ダイアグノーゼ」という言葉があった位です。だから診断基準を明確化しそれを改定していかなければならない。それと精神医学に限らず過去の医学の治療には多くの誤りがありそれを示していくことも大事です。ただ、1人の医師がそれを全てすることは出来ません。テキストブックを完璧にマスターすることは出来ないし、勉強していく途中で医学は進歩しかって勉強うした内容は古くて使い物にならなくなる。そして何が正しい情報なのかを見定める能力もいります。

イカサマ情報があふれているわけですから。医療告発も正しい告発もあり、間違った告発もあり、僕には判断できない膨大な領域がある。僕にとって大事なのは今ここで診療している患者さんに少しでもまっとうな医療を提供することです。それ自体が非常に難しい。

 

現在の薬物療法は幻覚妄想を改善することから偶然見つかったものであり、本質的な改善ではありません。風邪を治すのに風邪薬で熱を下げたり、咳を止めたりしているのと同じです。ただ、それによって特に欧米では入院患者さんがへり、社会生活をする患者さんが増えて、日本では社会復帰があまり進んでいませんが重症患者さんは桁違いに減りました。僕らが精神科医になった当時、会話するのも困難だった重症患者さんは今では希です。奇声を上げながら院内を徘徊されていた患者さんで退院された方もかなりいます。薬は治癒をもたらさず本質的な症状改善すらあるという証拠はありませんが、より社会的な生活をすることで病状の進行が防げるという証拠はあります。

 

 もう一人の反論。

「薬を飲まないと脳が委縮して廃人になる」という脅迫的な説明を若い患者さんやご家族にする事がどこまで妥当なのか? どうしても私はそこがひっかかります。その言い草はこれまで精神医療がやって来た杜撰で暴力的な行為に対する言い訳だと思っています。

 

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 正直、議論をしても仕方がないくらい「統合失調症ありき」であり、人の意見を聞く耳をもたず(聞いているポーズはとっていますが、他者の指摘を参考にすることもなく、絶対に持論を曲げない。何とか相手を言いくるめようとする)。

 それはまさに精神科医の特徴そのものと感じました。ともかく、自身で読んだ本をほとんど頭から信じ込み(自分に都合のよいように)、それを引用して、ではなぜそれを引用するのか、自分はどう感じているのかの説明はなく、ひたすら「難解」を装う。

 この医師は石郷岡病院事件には憤りを感じており、さまざま反応をしていますが、実際患者さんにどういう治療をしているのか、「統合失調症ありき」「進行性の脳萎縮」=「治らない病気」という前提で患者を診たとき、どういう治療になるのか、ちょっと想像すればわかると思います。それはもしかしたら、石郷岡病院事件で起きたような事件の温床を医師が作り出していることにもなるわけで、その自覚を持たない限り、私には精神医療の改善など、「百年河清を俟つ」気持ちです。

 

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