認知行動療法と薬物療法

では、このように「傷ついてしまった脳」は治らないのでしょうか?

この著者が紹介している研究結果を記します。

オランダの脳科学者、フロリス・デ・ランゲ。2008年の研究報告によると、トラウマとの関係が深いといわれる「慢性疲労症候群」の成人に対して行われた「認知行動療法」。この治療によってわずか9ヶ月で、萎縮していた大脳辺縁系の「前帯状回」の容積が回復した。

そして著者は、「幼少期のトラウマをもつ人に対しては、認知行動療法や薬物療法が有効であることがわかってきています。」と書きます。

 オランダの精神科医であるキャサリン・トーマス氏らの研究により、認知行動療法と薬物療法を受けた人は、偏桃体(恐怖を感じる部位)の過活動が低下し、前帯状皮質側部や背外側前頭前皮質、海馬の働きが活発になることを明らかにしたそうです。

 さらに、アメリカの精神科医であるダグラス・ブレムナーの研究では、薬物療法によってPTSD患者の海馬の容積が治療前に比べて増加したことが確認されているといいます。

(ちなみに、ダグラス・ブレムナーの著書『ストレスが脳をだめにする―心と体のトラウマ関連障害』という訳書が出ています。)

 これらは子ども時代にうけたマルトリートメントによる脳の萎縮を大人になってから「治療」するという研究です。したがって、マルトリートメントを受けた(受けている子ども)への治療研究ではありません。しかし、著者はこう書きます。

 

「(こうした研究結果が示すように)、ほぼ成長を終えたとされる大人の脳でさえ希望があるのですから……子どもの場合、一日も早く適切な治療を施すことで、脳とこころが回復していくスピードも変わってくる」と。

 そこで著者の行う治療を紹介します。

 

 薬物療法と心理療法

 まずやるべきことは、可能な限り早期にマルトリートメントの状況から救出すること。養育環境を変えることといいます。これはもっともなことです。

 

その他、支持的精神療法、暴露療法、遊戯療法、トラウマフォーカスト認知行動療法、眼球運動による脱感作と再処理法(EMDR)、そして薬物療法です。

 (以下引用115頁)

「薬物療法は、慢性期の治療に有効ですが、疾患の早期支援や早期治療(これらを「早期介入」といいます)の段階においても効果が期待されます。」

 

 具体的には、たとえばトラウマを持つ子どもには睡眠障害や集中困難、易刺激性(イライラ)があるので、これに対しては抗不安薬(ベンゾジアゼピン系薬剤)や抗精神病薬を使う。

 さらに抑うつ状態があれば、抗うつ薬のSSRIを投与。

 衝動性やパニック症状が強い場合は、非定型の抗精神病薬を投与。

 子どもの体重に応じて少量から慎重にスタートする。

 また、心理療法と併用すること。

 

 私が最初にこの本を閉じてしまったのは、この部分を読んだからでした。

 症状に合わせて、薬を結構使うんですね、というのが正直な気持ちでした。

「子どもの脳を傷つける」……。

 傷ついた脳に向精神薬を投与する。それがどうにも腑に落ちません。

 もっとも、こういう説もあります。長嶺敬彦医師(『予測して防ぐ抗精神病薬の「身体副作用」』から(24頁)。

「神経細胞の変性という観点から抗精神病薬をみると、定型抗精神病薬には神経変性を抑制する作用はなく、むしろ用量が多くなると神経毒性が現れます。それに対して、非定型抗精神病薬であるリスペリドンやオランザピンには神経保護作用があり、神経細胞の再生を促す可能性が示唆されているのです。」

 

 しかし、向精神薬の長期服用は確実に脳に変化をきたします。そのことが「脳を傷つけている」ことにならないのかと、この本のタイトルが皮肉に感じられました。

 

 また発達障害とマルトリートメントによる脳萎縮の違いですが、この著者の発達障害(自閉スペクトラム症、ADHD)のとらえ方は以下のようなものです。

発達障害は「主に先天的な原因で発症する疾患」。発達障害を「疾患」ととらえていること、また生まれつき(環境要因をほとんど考慮しない)であるととらえていること……。

 愛着障害と発達障害の違い(治療や対応の違い)についても、発達障害(とくにADHD)は薬物療法で機能を正常な働きにまで近づけることが可能と書き、もちろんかかわりも大切だが、愛着障害の方がよりかかわりが重要になってくるといいます。

 

 それから「虐待は連鎖する」ということに関しては、わかりやすい数字があります。

 親(養育者)からマルトリートメントを受けて育った人の3分の1は、自分の子どもにマルトリートメントを「行い」、3分の1は「行わない」。また残り3分の1は「どちらにも傾く可能性がある」というのです。

 また、マルトリートメントを受ける子どもにも、それに対する強さ弱さがあり、同じ環境でも症状が出ないこともあると書いてあります。

 

 いずれにしても、親のかかわりがいかに子どもの人生を決めてしまうか、ということです。「虐待」などしていないと考えている親が多いでしょうが、何気ないかかわり、良かれと思ってやってやっているかかわりの中にも「子どもの脳を傷つけている」言動があるかもしれない、そういう思いをもって子どもとかかわっていけたらいいのではないかと思います。

「完璧な子育て」「完璧な親」などいません。したがって「完璧な脳」なんていうのもない。

 その昔、自閉症の発症原因を「冷蔵庫マザー」(自閉症は冷蔵庫のように冷たい母親の対応が原因)とする説に母親たちは苦しめられました。その解放が「発達障害は生まれつき」とする説だったわけですが、このマルトリートメントの考え方が、冷蔵庫マザーの時代をよみがえらせてしまう可能性もあるかもしれません。

 ただ、少し違うのは、この研究が、親(養育者)の「不適切なかかわり」が子どもの「こころ」だけでなく、実際脳を傷つけ、それが「萎縮」として目に見える形で残っているということを証明したことにあるのでしょう。

 

 しかし、やはり疑問なのは、薬物の使い方が安易な印象を受けることです。子どもへの対応で薬物を使ってしまうと、発達障害の薬物療法を見ていてもそうですが、それでもう安心してしまい、「かかわり」を考慮しなくなるということがあります。そうなると薬のやめ時を失い、長期服薬になっていきます。そうなったらもう、それこそ薬を飲ませたことで「子どもの脳を傷つけた」ことになりかねません。

(そもそも前前のエントリーで、子どもにはベンゾ系の薬は脱抑制を起こすので使用しないほうがよいこと、抗うつ薬の効果への疑問についても、ガイドラインにはあったはずです)。

 友田医師の肩書Wikipediaでは脳科学者。また他では小児神経科医という肩書もあります。現在、福井大学子どものこころの発達研究センター教授。