現在私が集中しているのは、2012年に起きた「石郷岡病院」事件です。以前もブログで「ケイジさん」について書かせていただきましたが、今回はさらに取材を重ねて、一冊の本にしようと考えています。

 例の保護室の映像を何度も何度も繰り返し見ました(私のブログに張り付けた映像はいま見られない状態ですが、あるページで公開されているものは見ることができます)。じっくり見れば、この行為が単なる暴行罪(2人の被告のうち、1人の準看護師に下された判決。もう一人は無罪です)ではないことはよくわかります。

暴行罪とは、人に対し暴行を加えた場合で、相手が傷害を負わなかったときに成立する罪です。(相手が傷害を負った場合は「傷害罪」になります)。つまり、この判決は、ケイジさんの首の骨が折れたのは、この准看護師の行為によってではない、ということを言っているのに等しいことになるわけです。

こんな不当判決はありません。さらに、この暴行罪の公訴時効は、3年です。しかし、起訴の時点ですでに3年(事件が起きたのが2012年1月1日で、逮捕が2015年7月8日で起訴はその後)が経過しています。違法判決でもあるわけで、したがって、検察側はもちろん、被告側も控訴しています。

この裁判そのものがかなり「公平性」に欠けていると言わざるを得ない状況ですが、その背後には何があるのでしょう。

 

 それにしても、精神科病院の問題はじつに多岐にわたります。精神障害者に対する世間の意識、それを反映したかのような病院職員の人権意識、さらに薬物療法、拘束の問題、閉鎖病棟の問題、保護室の問題、社会的入院の問題等々。

 私は今から30年ほど前、ハンセン病療養所の職員として働いたことがあります。配膳、部屋の掃除、生活介助等々。そして、仕事をしながら、控室で交わされる職員たちの会話を耳にするたび、幾度となく驚かされ、彼女らの胸底にはびこる偏見、差別感を直に感じました。親兄弟からも縁を切られた入所者の方たちの人生は、どこまで行っても報われず、孤独で、救われようのないものに思いました。施設が生涯の住処となること、そこから派生する問題も多々ありました。そもそも「らい予防法」などという世界でも珍しい「隔離」を正当化する法律がつい最近まであった国です。

 こうしたハンセン病の問題は精神科病院の問題と重なる部分も多々あります。が、決定的に違うこともあります。薬物療法と、さらに患者の「病状」に対する偏見です。精神科の患者の言うことは、何を言っても「病気」とされてしまう傾向があり、誰もまともに取り合わず、それがさらに人権侵害を深めている現実。過度の薬物療法により、薬剤性の精神病にされてしまう現実。まさにマッチポンプのような「治療」のなかで、患者はどんどん人間性を奪われていきます。

 

 私には石郷岡病院事件で弟さんを亡くしたお姉さんの次の言葉が胸に突き刺さっています。

「ちょっとした落ち込みで、精神科クリニックを受診し、薬の副作用が出て入院。

17種類もの向精神薬を飲まされ、副作用が酷くなり、縛りつけられ無理矢理、点滴で投与され続け、

薬の副作用でジストニアになり、ジストニアが手に負えないと病院から追い出され、

転院先でのジストニアの治療も功を奏さず見捨てられ、

今度は電気ショックをされ、それ以降会話もままならなくなり、

失禁も繰り返すようになり、石郷岡病院へ入院するも人間扱いされず、

果ては暴行され死にました。

弟の人生はなんだったのだろう」

 

 以前、『減薬・断薬サポートノート』を30数名の医師に送付しましたが、その中でリアクションがあった医師はたった一人だけでした。

 定塚甫さんという愛知県でメンタルクリニックを開業している精神科医で、私宛に2冊の本を送ってきました。どちらも自著で、その一冊は次のようなものでした。

『私たちも人間として見てほしい ――健常者という「人格障害」に翻弄された精神障害者の現代史』

 帯にはこうあります。

 青年医師の闘いの記録

 鉄格子の中に無理やり入れられている精神障害者の人格と尊厳を守ろうと、孤軍奮闘の戦いを始めた青年精神科医。隔離された病棟を開放し、患者も責任と義務を負って労働することで、人間性を回復していく。改革は成功し、病院と患者は、地域の人々にも溶け込んでいったが……。

 

 まだ読了していませんので、感想はのちほど。