少し古い時代に書かれた本ですが、最近読んだ2冊の本を紹介します。

『アサイラム 施設被収容者の日常世界』 E・ゴッフマン著 日本発売は1984年。

『施設神経症 病院が精神病をつくる』 ラッセル・バートン著 日本発売は1985年。

 

 前著は訳文が少々難解(?)で、読みにくのですが、少しだけ引用してみます。

 この場合の「施設」というのは精神科病院を含めて、障害者の収容所、結核療養所、ハンセン病療養所、さらに刑務所、矯正施設等を含めての話です。

 

「新米の被収容者は、彼の帰属する家郷世界におけるいくつかの堅固な社会的仕組みによって作り出された自分自身の自己についてある観念像をもって特定営造物に来る。入所すると直ちに、彼はそのような仕組みによって与えられていた支柱を剥奪されるのである。古くからある全制的施設が用いている正確な用語で表現すれば、新米の被収容者の自己は、一連の貶め、降格、辱め、非聖化を受ける。彼の自己は、非意図的であることも多いのだが、組織的に屈辱を経験するのだ。」

 

「施設の職員は、初対面のとき新来者に職員に対して適度の敬意を払う用意があれば、爾後の日常生活において従順な被収容者の役割をとる兆しだ、と感ずるのが普通だ。職員が被収容者に、自分たちに対して相応の敬意を払うべきだ、ということを伝える最初の機会は、被収容者を挑発して反抗させるか、それとも敬意を払うようにさせて所内にいる間の平穏な生活を確保するように仕向けるか、構造化されている。」

 

「反抗的態度を示す収容者は直ちに見せしめの罰を受けるが、この罰は彼がはっきりと〈敗北を認め〉、従順になるまで強化されるのである。」

 

 翻訳の日本語に少々難があるのでわかりにくいですが、要するに、以下のようなことを言っているわけです。

精神科病院等へ入院したときに、患者はまず「個」を奪われます(荷物を取り上げられたり、携帯電話を没収されたり、金銭の管理も施設側にゆだねなければならないことになります(しかも管理費として、1日、それなりの金銭を支払わなければならない)。

 それは一つには患者にそうした能力がないということを思い知らせるための手段ともなっています。つまり患者にしてみれば、人間として「降格」、「辱め」を受けることになります。

 さらに、患者と医師、看護師は、暗黙のうちにも力の上下関係がすでに出来上がっていますから、患者は職員に「敬意」を払わねばならず、それに反抗する患者は「罰」を受けるのです。

 体験者の話ですが、病院側に反抗的な態度をとっている限り、退院の可能性はないと考え、演技として、病院側の人間に絶対的な服従の姿勢をとったと、そういう話も聞きます。

 

 こうした施設の特徴から(特に「罰」の存在から)、次の本でいう「施設神経症」なるものが作られるというわけです。この本も少し引用で紹介します。

 

「施設神経症を生み出す原因のリストに……暴力、乱暴、威嚇、荒々しさ、いじめ、拷問などがある。これらの忌まわしい行為は、少数の冷淡で無知なスタッフによって、非公式に隠れて実行されており、そしてたぶんこのことが、ある患者たちを無気力で臆病、無口でおどおどした状態に追いやっている重要な原因になっていると思われる。」

 

「しかしあいにく、精神病院というところは、そのような精神的変化を精神病の結果であると仮定する傾向がある。これは、正しくない。施設神経症は……患者を病院に送り込んだ病気以外の要因から生じるものである。いわば「精神的床ずれ」というべきものである。」

 

 施設神経症の原因として著者は、①施設外との接触がない、②ぶらぶらしていることを強いられる、③暴力、おどし、からかい、④職員の専横さ、⑤友人、個人の所有物、個人的事象がない。⑥薬 などをあげています。

 ③暴力、おどし、からかい について、(以下引用)

「たいていの病院では少数ではあるが、物事をわかっていない職員が、言いなりにならない患者たちに、こっそり身体的に暴力を加えている。……暴力、おどかし、乱暴な扱い、過酷、からかい、そしてひどい扱いは常に病院に潜んでおり、くすぶっていて今にもボーっと燃え上がりそうな状態にある。……このようなことは起こらないし、起こりえないという前提は、愚かで非現実的なものであることを、(私は本書で)いくたびも示してきた。」

 

「(しかし)調査によって暴力が明らかになったとき、あとからやってくるある仕返しが一番けしからぬのである。取り調べにつながる事件を報告した証言者は、経営側から被害を受け、同僚たちから村八分にされることが多い。」

 

「(したがって)暴力は処罰されず、通常は職員の誤った忠誠心(仲間を差し出すようなことをするのは、裏切者の倒錯者がすること、という考え)のため、また、証言者は威圧されてしまうため、見つけることは難しい。たいていの場合、疑惑も持たれておらず、否定されており、病院の権力者によって覆い隠されてしまう。したがって、暴力は容認され、いっこうになくならない。」

 

④職員の専横さ

「たいていの人は、精神病の人よりも自分の方が個人的に優れており、もっと重要で価値があると絶対的に決めてかかる。……優しく、患者に友好的な職員の方が、そうでない職員より多いことと思う。しかし私が受けた印象では、専横的な態度は例外的であるというよりむしろ習慣となっている。……

 看護人は「患者はそういうことがわかるには悪化しすぎている」とか、「患者が自分がしたいことをわかるには狂いすぎている」などと言って、自分たちの決断を変えようとしない。……(しかし)多くの場合、看護人たちは患者のまともな扱い方を教えられたことも、おどかしを使わずにどのように扱えばいいか示されたこともないのである。……どんな個人をも責めることは不当である。なぜなら、個人は頻繁に入れ替わっても精神病院は変わらないままである。責任は集団にあり、ある程度までは、その構成員の各々のせいである。」

 

⑥薬

「もっともよく行われる治療法は、パラアルデヒド(当時は睡眠薬として使われていた)とバルビツール酸(睡眠薬)である。他のものは、パラアルデヒド、バルビツール酸、レセルピン(強力な精神安定剤、降圧剤)あるいはフェノチアジン(コントミン・レボトミン・フルメジン・PZCなどの抗精神病薬)で定期的に鎮静されていることがある。こういった医薬品のいくつかは、無感情になりやすくさせるだけでなく、中毒を起こす可能性もあり、そうなってしまうと、患者をもっと強く精神病院に拘束することになり、退院はまったくおぼつかなくなってしまう。……障害がある患者には電気けいれん治療法が何度も繰り返し行われる。この療法は患者を鎮め、数時間どぎまぎさせることはできても、患者の長期にわたる治療としては何の役割も果たさない。」

 

 この本は翻訳されたのは1985年ですが、初版が出版されたのは、1959年です。

 60年近く前の主にイギリスの精神病院の様子を描いたともいえる内容ですが、(看護人という言い方や、精神科看護という教育のなさ、さらに使われている薬の種類を見ると、時代を感じさせるものもありますが……、)現在の日本の精神科病院において当てはまることが多いのも事実です。

 「精神科病院に入院していること自体が病気を悪くする(つくる)」ともいえる本書の内容は、実際、精神科病院への入院を経験され、同様の辛い体験をされた当事者の方にしてみれば、うなずくことが非常に多いものと思います。

 今後は、こうした方面の調査も考えています。精神科病院に入院しているときに、医師、看護師等から受けた暴力、からかい、おどし、人権無視、非人道的な扱いなど、体験談をお寄せいただければ幸いです。

kakosan3@gmail.com