トラウマと離脱症状
この問題について、最近、いろいろ考えています。
ベンゾジアゼピンや抗うつ薬など向精神薬の離脱症状は薬理学的に起こりえるものではありますが、個人差が大きいのも事実です。
それは体質や薬に対する忍容性だけの理由によらず、それぞれのもっている性格や生活様式、過去の経験や、ストレスに対する強さ弱さ、あるいは遺伝的要素も含んださまざまなファクターが関係しています。
もちろん、飲んだ薬の量や期間、種類によって、離脱症状の状態をある程度段階的に分けることは可能ですが、たとえば、ベンゾをジアゼパム換算にしてこれだけ飲んだから、それに見合った離脱症状が発現したと、単純に数値化できる世界の話ではないということです。
そこで関わってくるのがトラウマ‥‥…トラウマの深度は、向精神薬の離脱症状の重症度に影響を与えるのではないか。
大きなトラウマを抱えている場合、離脱症状はより深刻なものになる可能性があります。
人間とは複雑な存在です。
トラウマは、本人が意識していなくても、その人の人生の中である時ふとしたきっかけを捕まえて、思わぬ形で姿を現すことがあります。精神的な症状に限らず、かえって身体的な症状として出てくることが多いようです。
不調の原因を突き止めるためさまざまな検査をしますが、はっきりした原因もわからず、「自律神経失調症」「不安障害」などという診断が下されます。結果、心療内科、精神科の門をくぐることになるのです。そこで処方される薬(ベンゾ系、あるいは抗うつ薬)によって、一時、症状は改善するかもしれません。
しかし、問題の根本はいっこう癒されていませんから、薬の効果もやがてなくなり、副作用が現れてきたりして、減薬、断薬という段階に進みます。
そのとき出てくる離脱症状……。
精神医療は出ている症状しか見ませんから、治療を行えば行うほど、患者はまったくお門違いの方向に連れていかれることになります。その結果、「薬害」状態に陥ることにもなるわけです。
一言お断りしておきますが、この話はすべての人に当てはまるわけではありません。
ただ、トラウマという視点から離脱症状というものをとらえてみると、また別の世界が見えてくることもあるということです。
今回出版した本の中で、こんなことも考えてみましたが、なかなかうまく伝えることができていないかもしれません。
しかし、経験者の話を聞く中で、辛い離脱症状を乗り越えた人の中に、一本突き抜けたような輝きを発する人がいました。それはおそらく、その人が抱え続けてきたトラウマが、離脱症状を乗り越えるのと一緒に解消されていったからではないかと感じる瞬間でした。
こんなことを書くと、断薬できないことを敗北と言っているように受け取る人もいるかもしれません。
いいえ、私はそんなことは言っていません。
断薬をした人でも、トラウマに気づかず(気づこうとせず)、その辛さをすべて薬(医師、製薬会社、国等々)のせいにして、憎しみだけを育て続ける人もいます。
憎しみは、いっときのパワーになります。
だから、辛さの中から立ち上がるため、憎しみをエネルギーにしてもいいでしょう。
しかし、憎しみ続けることは、悲しいことです。
本当の意味での回復とは何か?
本ではこうしたことも考えてみました。
私は当事者ではありませんから、的外れのことを言っているのかもしれません。当事者でないから、そんなきれいごとを言えるのだと感じる人もいると思います。
ただ、当事者でないぶん、嵐に飲み込まれず、考えることはできます。