借金を重ねる

典子さんのメールから。

「(S大学病院に転院した)この春から夏にかけての下宿生活中に息子は、それは面白がるかのように何度もオーバードーズをしていたようです。愛用のiPad内にたくさん、薬を山盛りに持った自分の手のひらの写真を保存していました。Twitterにはその写真と共に、おーでーん!(OD)おでんするで! そんなふざけた言葉と共に何度もアップされているのを、亡くなったあとみつけて何度も泣きました。

息子はすでにこの大量の薬によって、本当におかしくされていたんです。そしてたくさんの薬理学や向精神薬についての本などを購入していたようです。

 また、後になってわかったのですが、息子はこの春の関西の旅行で、父親に会っただけでなく、友だちとあちこち旅行し、金融会社で30万円の借金をしていました。

そして、この下宿に戻っていた数か月の間に息子は好きな高額のゲーム機やソフトなどのゲーム用品やネットの課金ゲームなどでお金を浪費していたのです。あれほどカードを作ったり借金したりしてはダメだと言い聞かせていたのに、この時期に45社ほどカードをこっそり作り、ローンで買い物したり借金をしていたようなのです。」

 

 借金を重ねる生活。それでも欲求を抑えられない精神状態。さらなる借金……。

薬によって衝動性が増し、また抗うつ薬の影響で躁転したのかもしれない。浪費という「副作用」はよく耳にする症状だ。もう欲望をコントロールできなくなっていたのだろう。

それでも、俊夫さんは借金を何とかしようとあちこちのアルバイトに応募しては、落とされることを繰り返していた。あれだけの薬を飲んでいれば、もう見た目も「普通」ではなくなっていた。

 

「バイトの面接にことごとく落とされ、自暴自棄になって、精神病患者を差別するこんなくそみたいな日本なんか、ほろんでしまえ!! 泣きながらある面接からの帰り道電話してきたこともありました。

ある時などはやっと受かった面接のバイトに行く朝電話してきた息子が、母さん、バイト先に行く送迎バスの場所に来たけど間に合わなかった。どうしよう……と。

どうして時間を逆算して家を出なかったの? と聞くと、

わからんかった……と。

急いで出たけどバスもない時間だったからタクシーで集合場所まで来たけど、もう誰もいなくて……だから、帰りのお金もない。どうしたらいい? と。

タクシーで送迎バスの場所まで行くって、そんなのバイトの意味ないでしょう。いくらしたの? というと、4000円というのです。

そんなことすらわからなくなっていたのです。ただただバイトをしたい……。それだけの気持ちからでした。

今考えると息子が自死する直接の原因となったカードローンは、すべてこの少し前4月に作られたものばかりで、一気に買ったり使ったりしたものを、私にばれないように、下宿にいる間にこっそり完済したかったのです。そのために何が何でもバイトを探したかったのです。

すぐに駆け付けることも出来ず、私はただただどうしてこんなことになってしまったのだろうと電話を切ってしばらく泣き続けました。

この後しばらくしてやはり無理だとわかり、息子は実家に戻ってきました。」

 

薬の影響で……

実家に帰ってきたのは去年の夏前、俊夫さんは薬の副作用でたった半年のあいだに10キロ以上太り、目つきも恐ろしいような鋭さを放っていた。

しかし、実家に戻っても何をするでもなかった。そこで、典子さんの父親が夏だけやっているプールの監視員の仕事を、無理を言えば俊夫さんも雇ってくれるとのことだったので、典子さんは清掃員として、父親と俊夫さんと、親子三代で同じところで働くことになった。

しかし、薬の影響でまともに動ける状態ではなかった。ぼーっとしていることが多く、若いわりに重い物も持てず、満足に掃き掃除すらできなかった。眠気に襲われ、途中で帰ることもしばしばだった。

「あんたの息子、なんもできんなあ~」

シルバー世代の職場の中でおじいちゃんのような人たちにそう言われ、典子さんは、

「すみません。病気なんです。その分私が二倍働くので許して下さい」

 そう言って泣きながら仕事をした。

 

「そんな状態なのに息子はまた東京への旅行を計画し、お金が必要だけど、バイトもできないので、お金ちょうだい……と。それ以前にも、下宿にいた頃の、仕送りの額も半端ではなく、携帯代も急に何倍も請求額が上がり、調べてみると携帯のゲームのサイトの課金か何かに数万円毎月使われていることもこの頃わかりました。

それを問いただすと、自分はやってないと言い張った息子。携帯を何度か落としたから、その時誰かに使われたのだろうと。当時私はその言葉を信じて、泣く泣く何万円も支払いました。

そんな多額の支払いが続き、再婚した相手に、連れ子である息子に関するお金をお願いするわけにもいかず、すべて私の貯金や給料でまかなっていましたが、貯金もどんどんなくなり……そんな旅行のお金なんてあるわけないよ、と言っても息子は子供のようにちょうだい……と。もう友だちと約束したからと、うつろな表情で私の部屋から動こうとしませんでした。

仕方なくプールのバイト(本業は在宅ワークをしています)のお金を全部息子に渡し、旅行に行かせました。旅行の時はとても楽しかったようで何度もメールで、楽しい!ありがとう、母さん! そう言ってくれて安心していました。

でも旅行から戻るやいなやどんどん悪くなり、当時は気づきませんでしたが、あとから考えると息子はいつも旅行から帰ると同時にものすごく状態が悪くなっていました。

その当時、実は、デパスを別の病院にこっそりもらいに行っていたようでした。」

 

CP換算値2675㎎

そして、状態はどんどん悪化していった。

ちなみに、昨年8月にS大病院で処方された薬は以下の通りであるが、前にも書いたように、このような処方は3月から……つまり5ヶ月以上も飲み続けていたものと思われる。

 

イリボー2.5ug 1錠・・・(過敏性腸炎の薬)

エビリファイ12mg 2錠・・・抗精神病薬

エビリファイ6mg 1

ラミクタール25mg 6錠 夜6錠・・・抗てんかん薬(気分安定薬)

メトリジン2mg 朝夜各1錠・・・血圧を上昇させる薬

パキシルCR25mg 2錠・・・抗うつ薬

ヒルナミン25mg 1錠・・・抗精神病薬

サイザル5mg 1錠・・・抗アレルギー疾薬

ヒベルナ糖衣25mg 朝昼夜各2錠・・・抗パーキンソン薬

アモキサンカプセル25mg 朝昼夜各1錠・・・抗うつ薬

タスモリン1mg 朝昼夜各1錠・・・抗パーキンソン薬

マグミット330mg 朝昼夜各2錠…下剤

ベンザリン5.5mg 眠前2錠・・・ベンゾ系睡眠薬

フルニトラゼパム2mg 眠前1錠・・・ベンゾ系睡眠薬

ジプレキサ10mg 眠前2錠・・・抗精神病薬

ロゼレム8g 眠前1錠・・・睡眠薬(メラトニン)

ランドセン0.5mg 不安時2錠(13回まで)・・・ベンゾ系抗てんかん薬

ロナセン4mg 不安時1錠(13回まで)・・・抗精神病薬

ハルシオン0.25mg 不安時1錠・・・ベンゾ系睡眠薬

ソラナックス0.4mg 不安時1錠・・・ベンゾ系抗不安薬

インヴェガ3mg 4錠・・・抗精神病薬

 

ピレチア25mg 6錠・・・抗パーキンソン薬

アネキトン1mg 6錠・・・抗パーキンソン薬

サイレース2mg 眠前1錠・・・ベンゾ系睡眠薬

アレロックOD5 1錠・・・抗アレルギー薬

他漢方薬

プラス別でもらっていたデパス・・・抗不安薬

 

 こうした薬を俊夫さんはきちんと仕分けケースに並べていた。その写真がiPadに残されている(写真)。この頃は、1日に50錠は飲んでいたと思われる。

それにしても、抗精神病薬だけを見ても、CP換算値2675㎎――。1000㎎で大量投与と言われる、その2.5倍以上の処方である。その他にも、ベンゾ系睡眠薬や抗不安薬、アレルギーの薬、副作用止めの抗パ剤が重複して出されている。

そもそも抗精神病薬は3剤まで。それ以上は減算の対象となるが、5種類処方されている。さらに睡眠薬は2剤までだが、4種類(フルニトラゼパムとサイレースを同じものとカウントすれば3種類)、これも減算の対象である。

じつは典子さんはこのS大学病院と、その前に通院していたS第一病院に俊夫さんと一緒に行き、それぞれ主治医を問い質したことがある。

 当時は薬については何もわからなかったが、それでもあまりの量の多さに「異常」を感じとっていたからだ。

「先生、この量、多すぎませんか? こんなに飲んでたらもっとおかしくなりますよね?」

そう聞いても、どちらの主治医の答えも同じだった。

「私も出したくないんですよ。でも息子さんがどうしても出してくれって聞かないんです」

 俊夫さんには統合失調症のほか、うつ病、パニック障害、社会不安障害、強迫性障害、解離性障害、広汎性発達障害……の診断がついていた。

 もちろん、こうした薬の処方をレセプトで通すための「病名」なのだろうが、それにしても……である。

 そして、S大学病院の医師は検査で俊夫さんに発達障害の傾向があると出たことから、

「彼には発達障害特有の頑固さがあり、薬を出すまで納得しないんですよ、お母さん」と典子さんに言ったという。

 もし発達障害でこだわりが強いということがわかっていたなら、その傾向が処方薬依存に向かわせやすいという分析にまでなぜ至らなかったのか。発達障害の特性を、単に自分が患者の言いなりに処方するその言い訳にだけ使うとは……。

 そもそもこんな「クレイジー」な処方を医師は患者が「お願い」すれば、実際してくれるということだ。国立の大学病院の医師が、これだけの向精神薬を飲んでどうなるか知らないというのだろうか。なぜ、言われるがまま処方したのか……この医師の行為は「殺人」にも匹敵すると思う。

 

9月のある日のことだ。俊夫さんはそれまで吸ったこともない、むしろ子どもの頃から毛嫌いしていた煙草をベッドの上で、灰皿もない状態でくわえたまま、うつろな表情でパソコンのSkypeで誰かとしゃべっていた。

「何してんの?!」と典子さんが怒鳴りながら部屋に入ると、

「何が悪いんだ! 煙草くらい誰でも吸うだろうが! おやじだって若い頃から吸ってただろうが!」

 そう母親に言い放った。

「灰皿もないでしょ? 大体あんた昨日行ったファミレスでも喫煙席に通されて、こんな煙たいとこ嫌だと怒ってたでしょ」

「だからなんなんだ? 一日で嗜好が変わることだってあるだろ! だいたい勝手に部屋に入ってくるな! 出ていけ!」

その後もものすごい形相で狂ったように怒鳴り続ける俊夫さんは、もう典子さんの知る俊夫さんの姿ではなかった。

 

減薬のための入院

それでも、結局この日を境に俊夫さんはやっと今のこの状態は薬のせいかもしれないと思い始めるようになったという。

「それで、実家から通える、入院できる精神科を一緒に探し始めました。幸いにも評判のいい病院がわりに家から近いところに見つかり、息子も納得して一緒にM病院に行きました。

その時診てくれた医師はのちの担当医ではありませんが、ちゃんと話を聞いてくれるいい先生だと感じました。ここならと息子も言って、S大病院に紹介状を書いてもらって、昨年の10月からM病院に入院となりました。

担当医はとても美人で優しい女医さんで、人当たりもよく印象もとても良かったのです。

息子が当時飲んでいた薬を全部並べて、

「大森くん、これとこれとこれってみんな同じ作用の薬だよね。これだけ飲んでたらどれが効いてどれが効いてないか、なんの副作用が全然わからなくなっちゃってるよね?」

 と言い、別の病院でもらっていたデパスについても、

「こういうこと絶対しちゃだめって大森くんならわかってたはずだよね? 自分で自分の首絞めちゃってたんだよ?」

そう優しく叱ってくれました。

この量からの減薬なら最低でも6カ月はかかるだろうと主治医も息子自身も考えていて、当初その予定になっていました。

そして、入院後私は毎週土曜日に面会に行きましたが、2週間後くらいからどんどん良くなりはじめ、本人も、すっごい調子よくなってきた。めしも結構うまいし、作業療法とかも楽しくて、患者さんもいい人多くて、毎日楽しいわー。そんなことまで言えるようになっていて、私は嬉しくて仕方ありませんでした。

その後1ヶ月くらいは外泊で戻るたび、どんどん元の息子に戻ったように、普通に会話や行動もできるようになっていて、私の両親も大喜びでした。

 そして、同じくらいの時期に病院内で同じ統合失調症の女の子と仲良くなり、付き合うことになったと、11月の半ば、外泊時には「やった! 彼女ができた!」とガッツポーズで家に入ってきた息子。

昔から女の子には奥手で、しかもこんな病気でここまでひどくなった息子に彼女は一生できないだろうとあきらめていた私は嬉しくて嬉しくて……。

母さん嬉しすぎて涙がとまらんわ! そう言って息子に抱きつき、頭をなでて喜びあいました。

 すべてがやっと振り出しに戻り、すべてがやっとこれからうまく行くと家族みんなが信じていました。

それなのに……。

良くなって見えたのは、きっと彼女ができた喜びや、減薬の初め頃までだったのだと思います。

彼女ができたことや、長い入院生活にあきたのもあったでしょうか、半年の予定だった入院を、3か月で退院したいと言い出しました。

無理は良くないよと言ったのに、いや、大丈夫って。勝手に退院を3か月に早めていました。」