精神科経験のある医療従事者の一意見ですが…
こういったケースでは仕方ない場合もあるかと思います。
もちろんその人の人権を配慮するのは大事です。
ただ投薬などの治療をきちんとしないでその人を入院させなかった場合・退院させた場合、精神症状が悪化し殺人などの他害行為、犯罪などの問題を起こす可能性も高いのが事実です。
そういうことになった場合、あなたは加害者に対して責任が取れますか?
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11262906038.html
私のブログ・上記のエントリにこのコメントがついたのは、相模原の障害者施設における殺傷事件が起きた日のことである。事件を意識して書かれたものかどうかはわからないが、記事は、強制入院の実例を複数挙げて、当事者が受けた「被害」について書いたものだった。内容はとても「他害行為」を起こすような事例ではない。
最近は、何か事件が起き、背後に精神障害(もしくは通院歴等)が取りざたされるケースが多い。それは即、「精神障害者は怖い」という印象を世間に与え、だから、「精神障害者は病院に入れておけ」という意見(口にこそ出さないかもしれないが)に対して否定しにくい空気を作り出す。
上記のコメントもまさにそうである。
さらに、このコメントの「みそ」は、「あなたは加害者に対して責任が取れますか?」というところにある。「被害者」ではなく「加害者」に対する責任を云々することで、「加害者のためにも病院に収容(投薬)しなければならない」という善意の立場を作り上げることに成功している。それはいかにも「精神科経験のある医療従事者」の意見である。
そして、こういう書き方をされれば、もちろん私は責任を取れない。というか、そういう答えを承知で「責任を取れるのか」と質問しているわけで、だから、間接的にこんな記事は書くなということを主張したいのだろう。
こうした意見は平たく言えば「精神障害者は何をするわからない人である。だから、病院に収容し、投薬治療を行うべきである。さもなければ、社会の治安は守れない」ということだ。
相模原の事件以降、「措置入院」について、制度の見直しが取りざたされている。措置入院解除後に当事者のフォローアップをすべきという意見だ。
そもそも措置入院とは何か?
措置入院とは精神保健福祉法によって定められた強制入院の一つの入院形態である。
つまり、自傷他害の恐れがある場合、知事の診察命令による2人の精神保健指定医が診察の結果、入院が必要と認められたとき知事の決定によって行われる入院のことだ。
相模原の植松容疑者の場合、この2月、措置入院になった先は北里大学東病院のようだが、そのきっかけは園を退職することになる障害者に対する危険な考えである。つまり、彼の発する言葉から「他害」の恐れありと判断され(実際の行動はまだ行われていない)、措置入院になったわけだ。
先日、テレビのニュース番組に出演していたある精神科病院院長は措置入院について、「あくまで精神疾患の治療のための入院」といやにしつこく発言していた。その言い方に少々違和感を抱いたものだが、これはおそらくこの容疑者の措置入院は、「措置入院という名の保安処分」ではないことを強調したかったためだろう。
保安処分とは、人に危害を加える恐れのある者を、裁判所の判断によって社会から隔離する、犯罪予防的な措置のことだが、日本においては建前としてこの処分は制度として成立していない。
したがって、「他害」的な思想を持つ者を精神科病院に収容する(=措置入院)という抜け道が必要なのだ。いまだ犯罪を行っていない者に対して警察は手を出すことはできないが、「他害の恐れあり」としてその者を精神障害者として扱うことで、措置入院という保安処分が可能というわけである。
きっかけは昭和39年3月に起きた「ライシャワー事件」だ。アメリカのライシャワー大使が、19歳の少年に大腿部を刺されるという事件である。この少年には精神障害による入院歴があることが発覚。日本政府はアメリが政府に陳謝するとともに、国家公安委員長は引責辞任した。
アメリカに頭の上がらない日本である。以後、精神障害者に向けられる世間の目はこれまで以上に冷たいものとなった。新聞は「精神障害者を野放しにしている」と書き立て、さらに厳しい処遇を世間は求めるようになったのだ。
そして、昭和40年、精神衛生法が改正される。その目的は、ライシャワー事件を受けて、措置入院制度の強化である。要するに警察官通報と検察官通報の範囲が拡大され、また通報がない場合にも自傷他害の恐れが明らかであれば自治体は精神科医に措置診察させることができるようになった。
こうしてライシャワー事件とともに、措置入院は実質的な「保安処分」となったのだ。
今回の相模原の事件では、措置入院の時点でいかなる「事件」も起こってはいない。危険思想を口にして、説得にも応じず、そのまま退職。そのことで精神科病院に措置入院という流れは、どう考えても「保安処分」というしかないだろう。
もちろん、容疑者を弁護するためにこんなことを書いているわけではない。「保安処分」で措置入院させたにもかかわらず、のちに容疑者が思い描いていた通りの犯行をさせてしまったことは、措置入院(保安処分)には何のメリットもなかったことを意味している。この入院が容疑者にいかなる「変化」ももたらさず――上記テレビ出演の園長が言ったようにいったいどんな治療をこの容疑者に行ったというのだろう――つまり精神医療は犯罪にいかなる効力ももっていないことを反対に証明してしまったようなものだ。犯罪の予防は入院をしている期間に限られ、つまり病院が単なる収容施設に過ぎないことを露呈してしまっている。
にもかかわらず、犯罪と精神障害はセットのように語られ、犯罪者は治療すべき対象として入院を強制され、社会から抹殺されていく。そして後に残されるのは、「やっぱり精神障害者って怖いよね」という世間の思いである。
この事件を受けて、そうした傾向がますます強く定着していくことに大きな危惧を抱いている。
私が知る措置入院の事例はどれもみな薬が絡んでいるものばかりだ。この場合、薬=処方薬であり、医師による多剤大量処方ののちの減薬時における「事件」での措置入院である。
しかし、そうした場合、「背後にある薬」について考察されることはほとんどなく、「精神疾患」そのものに理由が求められ、結局「精神障害者って怖いよね」という決まり文句で落ち着く(恐怖心だけは残しながら)のが世間の常である。
この容疑者の場合、大麻や危険ドラッグの使用が浮上しており、それだけの問題ではないかもしれないが、薬物の問題をきちんと論じることなく、単に「精神障害=狂気=犯罪」という図式だけでこうした事件を扱い続ける限り、今後の精神障害者の生存可能区域はさらに狭まっていくに違いない。そして、今度は世間がこの植松容疑者が抱いた極端な思想と同様の思想に陥ることにならないとも限らない。つまり「(精神)障害者の排除」だ。