今日は久しぶりに離脱症状に関して、書きます。

 最近連絡をいただく方で多いのは、「自分の症状はどこか特別で、もう絶対によくならない」と決めつけているケースです。

 苦しさのど真ん中にいて、この先この状態から抜け出せるとはとても想像できない、ずっとこのまま、いや、今よりどんどん悪くなっていくにちがいない……。

 そういう方からのメールには、正直、どうお応えしていいのかわかりません。

 1年前はそうだったが、今はこうして外出できるようになった、という人はたくさんいます。実際そういう話を何人もの方から直接聞きました。

そして、私がそういう体験談をお伝えしても、スルーされてしまうのです。信じてもらえず〈よくなったという人は自分よりずっと状態が軽かったのだという考えか?〉、ひたすら辛さを訴えるだけ。あるいは、自分の状態はそういう人とは違う「特別」なものなのだと。

例えば……

食べているのに、やせ続ける

筋肉がなくなる。

視力が極端に弱くなる。

常軌を逸した健忘

etc.


 もしかしたら、本当に想像を超える状況に陥っているのかもしれません。そこは医師でも誰でも、何とも言えない(のが離脱症状だろうと思います)。そして、これまでにない症状に衝撃を受け、向精神薬への恐怖から「死」を連想し、自分でもどうしようもないほどの大きな不安に陥っているのだろうと思います。

 もちろん、残ってしまう症状(とくにしびれなど)が皆無とは、残念ながら言いません。遷延性の離脱症状というのもあります。ジストニア、ジスキネジアなど深刻な状態もあります。

 しかし、ご連絡をいただく方のほとんどは、まだ断薬してせいぜいが数か月(あるいは減薬中)……ですから、離脱症状が辛いのは当たり前の時期ともいえます。

 そしてネットの情報で、上記のような症状を見つけては、自分に当てはめ、すでに「後遺症」を負ってしまったと思い込んでますます慌てている、ように見受けられるのです。

その点、私のブログも罪作りかもしれません。情報を正しく受け取ることなく(ことができない状態)、覚えたての「単語」(たとえば遷延性離脱症状とか、ジストニアとか)に自分が該当すると思い込み、絶望的になっている。

離脱症状のぐるぐる思考の中で、強迫的に悪い方悪い方へと思いは巡る。そして、助けを求めずにはいられなくなる。けれど、よくなるという励ましの言葉は信じられない――としたら、この人はいったい何を求めているのでしょう。

 離脱症状というのは、そういう自らの思いの中に溺れることで、さらに辛くなる場合も大いにあります。あるいは、離脱症状そのものではなく、自らのそうした傾向によって、事態をもっともっと悪くすることもあります。(周囲をさらに遠ざけることになったり、誰からも相手にされなくなったり、病的な猜疑心が生まれたり……)。

もう一生このままなんだ……という証拠集めのためにブログを読みあさり、絶望に絶望を重ねていけば、結局、離脱症状に負けることになります。あるいは、そういう行為そのものも「離脱症状」の一つなのかもしれませんが。

お一人お一人にメールでおこたえしても、私の言葉が入っていかないとしたら、せめてこのブログを読むことで想像力を掻き立てて、少し自分を客観視できるようになれば、多少はよい方向が見いだせるのではないかと思います。

しかし、こういうことを言うと、「結局、自分のことは誰からも理解してもらえなかった」となりがちです――そして実際、離脱症状への世間の理解がほぼないというのも事実ですが――この症状はもう治らないと信じ込んでいる人を理解するということは、一緒に絶望に陥る以外なくなってしまいます。離脱症状の一番の敵は「絶望」なのです。

 少しだけ、自分の苦しさから抜け出て、他者の言葉を信じてみて下さい。

 絶対によくなると。

 ただ時間がかかること。

 そして、以前とまったく同じ自分に戻ることを目標にしないこと。(服薬前の自分と比べないこと。ひとつには、すでに時間が経過しているので(年齢を重ねているので)、そのことだけでも同じであるはずがないのです)。

 皆さんの体験もお伝えいただければと思います。

 また、情報として、「筋肉減少」という体験をされた方がいましたら、コメント欄にてお伝えください。