11月29日の日曜日、東京大学駒場キャンパスで「オープンダイアローグセミナー」が開かれ、参加してきました。

午前の部は欠席、午後の部の、「オープンダイアローグ」発祥の地フィンランドで実際にそれを実践している精神科医・家族療法士のカリ・バルタネン氏と看護師・家族療法士のミア・クルティさんの講演を聞きました。

会場は300人定員のところほぼ満杯。こんなにも「オープンダイアローグ」に興味を持っている人がたくさんいるとは驚きでした。

「オープンダイアローグ」については、私は、ロバート・ウィタカーの著書『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』において名前だけは知っていましたが(2012年こと)、いまや日本におけるこの「運動」の中心的人物ともいえる精神科医の斉藤環氏は、その著書『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)の中で、「オープンダイアローグについて耳にしたのは2013年暮れのこと」と吐露しています。彼はウィタカーの本を読んでいないということです。

 それとはともかくとして、当日の講演に限っての情報ですが、「オープンダイアローグ」についていくつかお伝えしようと思います。




オープンダイアローグとは?

 方法については間違いがあっては困るので、興味のある方は上記斎藤氏の本を読まれることをお勧めします。が、大雑把にいえば、まず何らかの症状を発した当事者、あるいはその家族が助けを求めてきた場合、(ケオプロダス病院が)即座に対応。24時間以内に最初のミーティングがもたれ、そのミーティングが「オープンダイアローグ」ということです。

 ミーティングにはドクター、看護師、当事者、家族、友人……その他、当事者にとって重要と思われる人物の参加が求められ(強制はしないようですが)、そこでさまざま「オープン」な「対話」がもたれるということです。

 その対話は、医師も患者も誰もが平等に意見を述べ合えること、共感的な雰囲気で進められることが重要です。どのようなものなのか、具体的にはケースバイケースでしょうし、実際の場面を目の当たりにしない限り、理解は難しいと思いますが、「オープンダイアローグ」の本質的な部分でもっとも重要なのは、「参加者の複数の「声」が「ポリフォニー」(多声音楽)のように鳴り響くこと」のようです。

そこには、ミハイル・バフチンの影響(バフチンが「ポリフォニー小説」と称したドストエフスキーの例えば『カラマーゾフの兄弟』の中の重層的な声)や、「言葉が現実を作っている」といった社会構成主義の影響が色濃くあります。つまり、言葉への信頼、言葉こそが精神的な治癒をもたらすという考え方です。




フィンランド北部の状況

 この「オープンダイアローグ」が生まれたのはフィンランド北部の西ラップランドという地域です。1980年代、メンタルヘルスに関する法改正があり、そこから少しずつ統合失調症への取り組みが変わってきました。

 それまでその地域では統合失調症の診断がものすごく多かったそうです(ウィタカーの本によるとフィンランドの他の地域や他のヨーロッパ諸国の発病率の2~3倍とのこと)。しかも長期入院です。

 4、50年前には、家族が患者を病院に連れてきて、それきり。病院に入れっぱなしのケースが多かった。家族にとっては、1人の家族が消えたのと同じであり、それは家族にとってもトラウマになります。

 そんな家族の治療も必要と考えたある職員がその地において家族療法を行うようになり、それが現在の「オープンダイアローグ」の基礎になっているようです。

 最初の入院の際、入院前に、まず治療ミーティング(オープンダイアローグ)が行われるようになりました。すると、入院の必要がなくなる人がたくさん出てきた。入院率、40%減です。




薬物への慎重な取り扱い

 これは素晴らしいことです。しかも費用は自治体が負担。原則患者は無料でこうしたサポートが受けられます。入院の場合は1日30ユーロ。しかし、5日以降は入院も無料とのことです。

 こうした話を聞くと、日本では信じられないような気持ちになります。

 さらに、投薬に対しても、その慎重な態度に正直「うらやましさ」さえ感じてしまいます。もちろん、投薬が必要な人もいることは認めています。が、その場合でも、最初からメジャー(抗精神病薬)は使わずに、安定剤(ベンゾジアゼピン系薬剤)等を使用するとのことでした。

 そして、投薬の際は当事者と話し合って、どんな薬をどれくらいの期間使うかを決め、副作用の説明も十分になされます。最小限度の薬を使い、そして、減・断薬も視野に入れています。

 離脱症状に対する考慮もなされています。減薬中にはより手厚いサポートを心掛け、たとえばチームのメンバーを固定化し、ミーティングも通常より頻繁に開き、患者が一人になる状況を避けるように注意するとのことでした。

 また、ドクターのバルタネン氏の発言で印象的だったのは次の言葉です。

「私は診断には関心がない。一人一人症状も異なっているので、診断をつけてその治療をするのではなく、状況に合わせて治療(サポート)をしていくべき」と。

 たとえば、幻聴が聞こえる=⇒「統合失調症だ」「いや、発達障害の二次障害だ」ではなく、その幻聴が聞こえている状況について、延々と複数でダイアローグを続けていくといったことのようです。性急に結論を出すとことは、「オープン」だったものを「閉ざす」ことになります。その時点でもうさまざまな治療の「可能性」も閉じてしまうことになるのです。

 したがって、参加者はそうした結論の出ない「不確実性に耐え」なければなりません。その状態が患者の治癒を導く一つの過程でもあるのです。




驚くべき改善率

 たいへん手間のかかる、時間のかかる、忍耐を必要とする作業です。が、それが入院率を減らし、「服薬を必要とした患者は全体の35%、2年間の予後調査で82%は症状の再発がないか、ごく軽微なものにとどまり(対象郡では50%)、障害者手当を受給していたのは23%(対象郡では57%)、再発率は24%(対象郡では71%)に抑えられていた」といいます(上記斎藤氏の著書より)。手間と時間はかかりますが、それが結果的には、医療費や社会保障費の削減につながるのは数字が示しています。



 果たしてこの方法が日本に根付くのかどうか……?

しかし、オープンダイアローグのセミナーが(研究会も作られ、各地で)開かれ、人気があるということは、これまでの薬物治療一辺倒という精神医療に対するアンチテーゼという意味合もあるのかもしれません。

 セミナーの盛況に加え、前述の斉藤氏の著書はよく売れているようです。

 これが一種のブームで終わるのかどうか、ブームに乗って、便乗商法的なことがすでに行われているようで危惧も感じます。(現在は「オープンダイアローグ」と銘打てば、人が集まるでしょうから。)

 しかし、ともかく、現在の日本の精神医療の状況……フィンランドの西ラップランド地域の4、50年前の状況そのままがいまだ続いている日本の現状が少しでも改善するのなら、「オープンダイアローグ」の価値を声高に叫ぶのも一つの方法かもしれません。

 精神科への入院者数30万人、そのうちの20万人が1年以上の長期入院という異常な(恥ずべき)状況です。

 しかし、精神科病院の多くが私立であることを考えると、入院率40%減という数字は、病院経営者にとっては脅威のはず。そうした圧力もある国において、こうした治療が公的資金を得て実現するとは少々想像しにくい……。

 もっともフィンランドでもこれを実施しているのは西ラップランドに限られており、他の地域では相変わらずの薬物療法が中心だそうです(ただ入院は少なく、多くは外来治療だそうです)ので、日本のごくごく一部での実践は可能かもしれません(希望的観測です)。




心の対話(ピアサポート)

 それにしても、原点に立ち返って考えてみれば、精神的な問題が「薬で解決する」と考える方が、人間本来の成り立ちからいって合理性に欠けるのかもしれません。

 この5月には米国の精神障害当事者運動のリーダーであるダニエル・フィッシャー氏が来日し、その講演で「薬物療法中心の現代の精神科医療に対し「心の対話」による回復を強調した」と読売新聞の記事にありました。

「つらい状態の時、大切なのは他の人がそばにいて支えること。情緒的な危機にある人は、自分の中だけの会話にとらわれている。その人とつながり、心と心の対話をすることで、心の傷を癒せる」

 自分の中だけの会話、つまり「モノローグ」から、心と心の対話、「ダイアローグ」へということです。

 彼はピアサポートの重要性も訴えています。(オープンダイアローグでも現在6名のピアサポーターがいるそうです)。

当事者、体験者が語ること、同じ体験を共有することの大切さです。その意味では、茶話会も多少の意義があるのかなと思います。




些細な気がかり

この読売新聞の記事の最後にこんな文章がありました。

「統合失調症に薬は意味が乏しいという主張に記者は賛同できない。しかし、病気を「悪い状態」とだけとらえ、患者に寄り添わずに「管理」に力を入れることの多い入院医療を見直すべきなのは確かだろう。」

この「記者」というのは大阪本社編集委員の原昌平という人ですが、わざわざこうした一文を入れなければならないのが日本の現状なのでしょう。