今年の2月に知り合って、ときどき会いに行っている方がいる。

 都内在住のSさん(お母さん)と息子さん、そしてお嬢さんのKさん(32歳)だ。


18歳で精神科受診
 Kさんが精神科と関わるようになったのは18歳のとき。もともと内気な性格で、高校時代いじめにあった。

 高校卒業後は短期大学の保育科に入学したが、ある日のこと、授業中に泣きだして、何もできない状態になってしまった。

 その際、大学のスクールカウンセラーから「こういう病気は早ければ早いほどよいから」と地元のクリニックを紹介されて、それが精神科受診のきっかけとなった。

 眠れない。そして、幻聴もあった。「みんなが自分の悪口を言っている」といった被害的なもの。また、恐怖感も強く、部屋をタオルで幕を作って囲ったりした。

 そのとき処方された薬は、ジプレキサ、アキネトン、リスパダール(確か5㎎)。

 朝昼夕と日に3回飲んだが、症状は改善しているのかどうか……。ともかく、寝てばかりいるようになった。医師からは「眠れば眠るほどよくなる」と言われた。

 一進一退を続け、その後病院、クリニックを変えるごとに薬が変更、増量され、そのたびに状態は少しずつ、確実に悪くなっていった。

 都内にあるクリニックで森林浴などに参加しつつ通院をしたこともあった。

その主治医にKさんが「うつ気味」と言ったところ、サインバルタとエビリファイが処方され、それらを飲み始めた途端、おとなしい性格だったKさんが、突然攻撃的、乱暴な言葉遣いをするようになった。

「この二つの薬をきっかけに、どんどん体調が崩れていきました」とお母さんのSさんは言う。




入院で薬が増える

 結局、入院せざるを得ない状況となり、都内の〇〇野病院に入院したが、ご多分に漏れず、入院によって薬がまた増やされ、最終的には以下のような処方となった。



 平成13年5月

・フルニトラゼパム「アメル」2㎎ ×1

グッドミン0.25㎎ ×1

・アキネトン1㎎ ×1

・ベンザリン10㎎ ×1

・デパケンR200㎎ ×1

・ウィンタミン25㎎ ×3

・リスパダール1㎎ ×2

・リスパダール内服液 1ml ×1

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就寝前

・リスパダール2㎎ ×2

・リスパダール1㎎ ×1



 1日14錠で、うち抗精神病薬はウィンタミン、リスパダール。

 そして、リスパダール内服液を飲むようになってから、Kさんの生理が止まり、状態はますます悪化した。



減断薬決意
「生理が止まって、おかしいと感じ、これがきっかけで減薬を決意しました」とSさん。
 たまたまその頃知り合った自然食品店の店主や他の方から減断薬をしてくれる医師のことを教えてもらった。Sさんは、これまで薬の変更、増量のたびに症状が悪化していたため、すぐに減薬に踏み切ったという。

 2013年12月。上記薬の減薬を開始した。この時点でKさんは向精神薬を12年間飲んだことになる。そして、6ヶ月かけて減薬・断薬をした。

この間の離脱症状は、

・しゃべれない

2階の窓からの飛び降り

・食事を食べない(体重の減少)



2014年6月に断薬が終了。

私がSさんに初めてお会いした今年2月頃(断薬8カ月)の離脱症状は、

・物を投げる。

・大きな声叫ぶ。悲鳴、暴言。

・母親をぶつ。暴力。

・人が変わったようになる



「娘からいっときも目が離せなくなりました。今の症状は薬の影響だから離脱が進めば時間とともに改善していく、と心では思っているのですが、「今日も何とか生き抜いた」と息子と二人、疲れ果てている状態です」

 Sさんはメールにそう書いてきた。

1回目
 このメールをいただいて数日後、私はご自宅にうかがってKさんに会った。前日、スピーカーを投げようとして、自分の顔に落としてしまい、目の周囲に赤いアザを作り痛々しかったが、とくに初対面の私を拒否する様子はなかった。

 じつは、Sさんは自営業を営まれ、広い店の半分をKさんのために取り潰し、そこにこたつを作って生活の場としている。少しでもKさんに外の雰囲気を感じてほしいと、シャッターを20センチほど上げてある。シャッターは一応閉めておかないとKさんが外に出ていってしまうからだが、通りに面した家なので、シャッターの隙間から外の日差し、そして街行く人たちの足が見えることもある。

 Kさんは普段は2階の自室にいるが、そこは外から鍵がかけられている。だから、この1階のこたつの部屋が一家団欒の場なのだ。(2階の部屋はボロボロ。家具もほとんど移動して、部屋には物を置かないようにしている)。

 じつはKさんの父親は、娘のことを心配しつつ、昨年の12月亡くなってしまった。これまで3人でKさんを支えてきたが、今はお兄さんとSさんの二人で世話をしている。Sさんには店のこともあるし、Kさんが不穏になったとき、女のSさんだけでは抑えられるか不安が残るからだ。

 そして、親戚の人たちはKさんを見るたびに「かわいそうだ」「病院につれていけ」「薬を飲めばよくなる」という意見。Sさんは、

「そういう意見を聞くたびに、このままでいいのだろうか。自分は間違っているのだろうかと不安になります」

 しかし、せっかくやめた薬。もうしばらく様子を見てもいいのではないですか、と私が言うと、Sさんは「そうですよね」と安堵した様子だった。

 Kさんはとくに私のことを意識はしていないようだった。普段は控えているという甘い物をパクパクと食べ、お茶を飲み、ときどき2階の自分の部屋に行き、私のために見せたい本を持ってきてくれたりもした。

 しかし、コミュニケーションは成立しない。言葉が出てこない。目の焦点が合いにくい。

 それでも私は4時間ほどもお邪魔していただろうか。





2回目

 2度目に会ったのは、その3か月後の今年5月である。

 その直前、Sさんから頂いたメールには以下のようにあった。



「毎日、断薬との闘い、疲れと不安と希望が入り混じりながら、日々を過ごしております。

娘の近況としまして、一進一退を繰り返しております。

具体的には、

・突然、物(本や枕)を放り投げる。

・突然、大声で泣き叫ぶ。

・自分の思い通りにならないと、小さな子供のように暴れる。

・悪口を言う。(これは少なくなりました)



改善してきた所は、

・おとなしい時間が増えてきた。

・来客者が来ると(親族等)名前を言って、ニコニコ笑う。

・二階から降りてきて、一階に居る時間が増えてきた。

・暴力性や攻撃性が減った。



家族が心配していること

・突然、大声を出すので散歩に行けない。

・日常の口数が極端に少ない。

・表情が乏しい。

・会話ができない。

・未だに料理や洗濯ができる気配すらない。

 本当に、元に戻る(できるようになる)のか心配。」



 ご自宅にお邪魔すると、以前目の周囲にあったアザはきれいに治っていて、Kさんは元気そうに見えた。しかし、Sさんのメールにもあったように表情が乏しい。

Sさんにうかがうと、つい最近、近くのクリニックから訪問してくれる精神科医とつながり、Kさんを診てもらっているという。医師の診たては「統合失調症」で、Sさんが薬をやめたことを告げると、「だから再発した」といったような(はっきり言葉にはしなかったらしいが)雰囲気だった。薬を飲めばよくなるかもといった感じだが、Sさん家族の考えを尊重して、服薬を強要することはなかった。

 この日は近くの公園まで、4人で散歩をした。歩くのがすごく早い。近所の人たちもKさんのことは知っていて、数人から声をかけられる。長年地元で商売をしているので、みな顔なじみなのだ。

 途中いくつかある自動販売機の前に行き、Kさんは、これが飲みたいあれが飲みたいと要求し、それが受け入れられないと大声を出したり手が付けられなくなるとのことだったが、この日はそういうこともなく、散歩を終えることができた。

「かこさんがいるから」とSさんは言うが、おそらく私がいることで安心感を得ている母親のSさんの気持ちがKさんに敏感に伝わっているのだろう。

 この日もKさんは甘い物をパクパクと食べ、おせんべいも食べ、お茶を飲んだ。そして、ある一瞬、「こっちの世界に戻ってきた」と感じる目になった。

 この3ヶ月で少しずつよくなっている。確実に……と私は思った。




3回目

 そして、つい先日、5ヶ月ぶりに、私は三度ご自宅を訪問した。Kさん、断薬して1年4ヶ月である。

 お兄さんに抱えられて、いつものこたつの部屋にやってきたKさんを見た瞬間、私には以前よりずいぶんよくなっているように感じられた。目つきがいいと思ったのだ。

 ただ、私のことは覚えていないのか、あるいは覚えていても、それをどう表現していいのかわからないのか、反応はなかった。

 そして、相向かいの席に座ると、かなり強い目つきで、私の顔をじーと見つめる。こちらが恥ずかしくなってしまうくらい。これは前にはなかった行動だ。

 また始終唾を吐き出している。この唾吐きは数か月前に会った、断薬1年ちょっとくらいの女の子がやっていたのと同じ行為だ。ある説によれば、体内に蓄積されていた薬が溶け出して、唾にも混じって出てきているため、その匂い(味?)が不快なため唾を始終吐き出しているのではないか? とのこと。

 ということは、これは改善のしるしと思っていいのか。

 ともかく、唾吐きについては、同様の人がいた事実を伝えただけで、Sさん、息子さんは安堵していた。いったいどうしたのか。なぜこんなことをするのか。悪化したのか。情報のない中で家族はさまざま不安になるものだ。

 また、Sさんによると、言葉が少しずつ出るようになってきたという。特に起きたばかりの時間帯は、いろいろしゃべるようになった。先日は「お母さん、大好き」と言いながら抱きついてきたとも言っていた。

 ただ、家族は四六時中見ているので、その変化(改善)に気づきにくい。「以前伺ったときには、そういう話はなかったですよ」と言う私の言葉で、改めてKさんが少しずつ話し始めていることに気づくのだ。

 そして、Kさんはよく笑うようになった。爆笑といってもいい笑い方だが、泣いたり怒ったりするよりはいい。

 視線は前にも書いたように、じーっと私を見つめる強い視線。それまで視線を合わせることはなかったと記憶しているので、これはものすごい変化である。また、私が好きな食べ物はと訊ねると、答えることはできないが、「ジャガイモが好きなの?」と聞くと、うんと頷く。そして、また私をじーっと見つめるのだ。

 そうした目の動きを見ていると、「脳の誤作動」であることがよくわかる。薬の影響で、脳がきちんと作動できなくなり、どうすればいいのかをいろいろ探っているような感じなのだ。

 そして、ときどき疲れたように、ぼんやりと一点を見つめている。そのときお兄さんがKさんの肩を叩いたら、

「あ、びっくりした」

 と、明瞭な声で言った。

 お風呂は日に10回も入っているらしい。以前は家族が入れていたが、今は1人で入り、1人で着替えることができる。そして、音楽が好きで、ときどき音楽に合わせて床をどんどん踏み鳴らして踊ることもある。

「薬を飲んでいるときは、料理もできました。一緒にコンサートに行ったこともあります。伯母と高尾山にも登りました。薬を減らし始めてから、どんどん悪くなっていった。本当にこのままでいいのか、いつも不安の中にいます。ここに来てくれる先生も、薬のことをちらと口にされます。もし飲んで、Kがまたしゃべれるようになるのなら、飲ませたほうがいいのか……」

 Sさんが言うと、隣で息子さんが

「いや、薬はダメだよ。このままいこうよ」と言う。

 ただ、Sさんの中には、息子さんに対する辛い思いもある。Kさんの面倒をともに見て、母親とすれば息子の人生を無駄にしてしまっているという思いは消せない。せめて、薬を飲んで少しでも世話が楽になれば、息子を解放できる、Kさんへの思いと同時にその思いもSさんからは片時も消えないのだ。

 そして、家族だけで介護をする辛さ……。

「せめて1日2日だけでも、こういう子を預かってくれるところがあれば……」

 365日、1日の休みもない現実。

 精神障害者を預けられる施設はある。しかし、断薬してこのような状態になった場合、当事者家族は行き場を失う。

 見通しのつかないことも家族を追い詰めている。あと何年? どこまで回復すのか? 本当にこのままでいいのか? 

 減断薬の施設を必要としている人は本当にたくさんいる。

 そういう家族が考えることは、自分で施設を作るということ。私は何人もの人からそういう希望を聞いたことがある。もちろんSさんも息子さんも、この店を改築して……という思いを持っている。

 いま、減断薬が一つのブームのようになり、精神医療に反対する団体も出てきた。しかし、こういう活動にはなかなかつながらない。

 医療によってこのような状態になった「医原病」であることは間違いがない。にもかかわらず、誰も責任を問われないというこの現実。大学病院にしろ、国立の研究センターにしろ、減断薬を言うのなら、せめてそうした施設も提供すべきではないだろうか。

 私は、Kさんの回復を祈って、これからもSさん家族を見守っていこうと思う。