次に被告精神科医の治療上の誤りです。統合失調症という誤った診断に基づき、飲む必要のない危険な精神治療薬をこの被告精神科医は宏子さんに15年間処方しました。彼女が自殺する1年前から受けていた処方を以下に書き出して見ます。


商品名     一般名    1日服用量     備考


インプロメンbromperidol  12mg     定型抗精神病薬
リントン    aloperidol   3mg       定型抗精神病薬
タスモリン    biperiden   4mg     パーキンソン薬

レキソタン bromazepam   8mg   ベンゾジアゼピン系抗不安薬

ロヒプノール flunitrazepam  4mg ベンゾジアゼピン系睡眠薬
ベゲタミンB chlorpromazine 
         promethazine 
         henobarbital  1錠 3 種の薬からなる合剤の睡眠薬

  

 上記の処方の中で一番問題となるのは、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬ロヒプノール4mgという処方です。宏子さんは自殺する1年も前からロヒプノールを毎日4mg飲むように処方されてきました。しかも自殺するまでの10年前から1年前までは、ロヒプノール2mgの服用を続けて来ていたのです。

 本サイトの「ベンゾジアゼピン」の節で紹介した(注・ホームページ内の他の記事)ロヒプノールのフランスの添付文書

http://www.truthaboutpsychiatry.net/rohypnolfrancejapanese2014.5.20.pdf

とドイツの添付文書 
http://www.truthaboutpsyc
hiatry.net/rohypnoldeutschnihongo.pdf

を思い出して見て下さい。



 両国とも服用量の上限は1mgです。かつ服用していい期間は2~4週間です。こんな依存性のある強い薬を宏子さんは2~4mgの服用量で10年も服薬させられたわけです。しかも自殺するまでの1年間はロヒプノールに加えて、これも危険極まりないベゲタミンBも追加処方され、さらにはベンゾジアゼピン系抗不安薬のレキソタンも10年以上処方されていたのです。ヨーロッパの常識からいったら、これでは自殺して当然の処方なのです。



 それではこれについて東京地裁の判決文は何と言っているでしょうか。



「原告は、被告が本件投薬期間中に宏子に対して1日当たり2mg、多いときには1日当たり4mgのロヒプノールを投与したことを注意義務違反であると主張するが、上記のとおり、ロヒプノールの添付文書には「なお、年齢・症状により適宜増減する」との記載があるのであって、被告の投薬量が直ちに医師としての裁量を逸脱する不適切なものであったということはできないし、ロヒプノールの投与によって、宏子に何らかの副作用が生じたとの事実を認めるに足りる証拠もない。被告がベゲタミンBを併せて投与したとの点について、ロヒプノールとベゲタミンBを併せて投与したことによって宏子に何らかの副作用が生じたとの事実を認めるに足りる証拠はないことも同様である。」



 添付文書には「なお、年齢・症状により適宜増減する」と書いてあるから、4mg処方しても不適切なものであったとはいえないと判決文は述べていますが、同じ添付文書の別の所、4.副作用、(1)重大な副作用  1) 依存性の項目には「観察を十分に行い、用量を超えないように慎重に投与」と書いてあります。「年齢・症状により適宜・増減する」と言っても、それはあくまでも用量の上限の2mgまでの範囲内でと解釈するのが理に適った解釈です。フランスやドイツでは1mgが用量の上限とされている強い薬を、4mgは医師の裁量を逸脱するものではないなどとはとても言えないのです。



 ロヒプノールの日本の添付文書

http://www.truthaboutpsychiatry.net/rohypnoltenpubunshohighlight.pdf



 薬の用量を決定する際に目安の一つとなるのは人間の体重です。これは薬理学の基本です。体重1kgにつきどの位の薬の量が適切かを算出します。同じ薬であっても、体重の少ない子供では大人と比べて服用量を減らさなくてはなりません。ドイツやフランスでフルニトラゼパム1mgという上限を設定する時には、ドイツ人やフランス人の成人の平均体重を基に決めていた筈です。ドイツ人の成人男性の平均体重は82.4kg、女性は67.5kgです。宏子さんさんは小柄な日本女性で、亡くなる直前は38kgしかありませんでした。また肝機能検査で肝臓機能が長年の服薬で衰えていることがわかっていました。薬は肝臓で代謝され体から排泄されます。代謝されなかった薬の成分が体に残り、ますます副作用が出やすい状況だったのです。



 

 また最高裁には以下の判例があります。

「医師が医薬品を使用するに当たって医薬品添付文書に記載された使用上の注意事項に従わず,それによって医療事故が発生した場合には,これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである(最判平成8123判時157157頁)」




 私の医療裁判に於ける東京地裁の判決は、最高裁の判例さえ無視したものですが、それでもこんな判決が日本ではまかり通ってしまうのです。



 私が裁判所に提出した、B号証と呼ばれる専門書等から引用した証拠文献の数は207件に及びますが、判決ではすべてそれを無視で、あたかもそういった証拠は世の中に存在しないかのような扱いです。因みに、被告医師の提出したB号証はわずか6件で、しかも6件とも精神医学的には初歩的なものばかりでした。裁判官は被告医師に過失があったという結論につながるような証拠はすべて見て見ぬふりをして捨て去り、被告医師には過失がなかったという結論を無理矢理導き出しているのです。1+1は2というのが人間の世界での決まり事、理ですが、日本の裁判官はあらかじめ決めてある結論(判決)に達するためには平気で1+1は3ですといいます。難しいと言われる司法試験に合格して裁判官になった人々ですから、裁判官とはもっと合理的で論理的な判断をする人々と私は思っていましたが、完全に裏切られました。



 

 私は日本の企業とアメリカの企業との間の契約交渉の席に立ち会って、通訳をした経験が何度もありますが、契約書の最後の部分に入れる条項として、アメリカ側が主張して譲らないことが一つあります。もし将来、両社の間で何か紛争が生じた場合には、アメリカ合衆国の法律に基づき、アメリカの裁判所で裁くという文言です。日本の裁判所は信頼し、尊敬できるようなものではない事を世界は知っています。



 提出された証拠書類をすべて丁寧に読んでいると、膨大な時間がかかります。他にいくつもの事件を抱えている裁判官には、証拠書類を一つ一つ丁寧に読んで理解する時間がないのです。裁判事務を能率的に進めるためには、被告医師に過誤があったことを立証することに繋がるような証拠書類はすべて無視して、被告医師に過誤はなかったとする予め決めている結論に合いそうなものだけを選択して、判決文に盛り込むのです。そうすれば判決文が早く書けます。1年間に何件の事件を処理したかが、裁判官の人事考課の重要な評価項目の一つのようです。



 この東京地裁の判決はとても承服できるものではないので、私は東京高等裁判所に控訴しましたが、東京高裁の判決は、「控訴人の請求は理由がないから、これを棄却すべきである。よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、本文のとおり判決する。」

というものでした。「本文」というのは地裁判決のことです。





 1月17日に控訴理由書を東京高裁に提出し2月28日に高裁判決が出ていますので、事案の内容をもう一度詳細に検討したものとは到底思いません。細かく検討する事なく、地裁の判決を

単純に踏襲しただけのことです。それが高裁の裁判官にとっても作業量から言って、一番楽だからです。東京地裁と東京高裁は霞が関にある同じビルに入居していて、同じ会社のようなものです。人事の交流も行われています。高裁は地裁からの独立性を維持しており、より高みから、より客観的な判決を期待できるものと思うのは素人の誤った思い込みです。所詮同じ穴のムジナであったのです。