『薬のチェックは命のチェック』という本(医療ビジランスセンターが出しているシリーズ本)があります。
その№50(2013年4月発行)の中に、「病気を診ずして、病人を診よ」と題して、斉尾武郎さん(精神科医、内科医。フジ虎の門健康増進センター)が次のような文章を書いています。(発達障害について調べていて、たまたま見つけたものです)。
斉尾さんといえば、2011年に『精神科医 隠された真実』(東洋経済)という本を書き、精神科医の薬の使い方について、現役の精神科医が批判を行ったという意味で、私も注目しました。
本についてはこのブログでも紹介し、内容にも踏み込んで、私なりに感じたことを書きました。
ところが、後日、斉尾さんご本人にお会いしたときのことです。お会いするなり斉尾さんは、自分の本を批判したのはあなたですね、というような言い方をされ、批判したつもりのなかった私は言葉に詰まりました。同行した方が斉尾さんの話を聞いている間中、私の言葉は詰まったまま、疑問だけが残ったのを覚えています。(ですので、ブログの記事はいまは削除しています。それとも斉尾さんは誰かと私を勘違いしていたのでしょうか)。
ともかく、斉尾さんというと、私にはそういう思い出があります。しかし、今でも、他の精神科医よりはずっとましとは思っています。(まし、という表現がまたお叱りを受けるかもしれませんが)。
前置きが長くなりましたが、以下の文章は、その斉尾さんが離脱症状について書いた文章です。まずは、そのまま引用します。
副作用恐怖と信頼関係
(前略)……今は、「薬を飲んでからああいう症状も出た、こういう症状も出た。みんな副作用だ」という患者さんが多く、どれが副作用なのかを見分け(ほとんどの場合、医学的に説明のつかない症状なので、副作用ではありません)、しばらく我慢して薬を飲み続けないと効きませんよと説明するのに時間がかかり、とても骨が折れます。
これは一つには、向精神薬は副作用のほうが効果よりも先に出る性質を持っているからでもあるのですが、むしろ、情報化社会の負の側面が強いように思います。現代は良くも悪くも病気についての情報が満ち溢れ、病気に対する不安をあおる傾向があります(これをディジーズマンガリング――疾病喧伝――と言います)。
また、その不安を受け止めてくれる良い医師患者関係もなかなかない。その原因には、実際に医師の側の技能が劣っているという側面もあれば、患者さんとの信頼関係ができにくい世の中であることを前提に、医師が患者さんの苦悩を引き受けるのを避けるからでもあるでしょう(これを防衛医療と言います)。
離脱症状恐怖
ここで大切なことは、向精神薬を飲むときに副作用が怖くてさまざまな症状が出る人は、薬をやめるときにさまざまな症状が出る(向精神薬の離脱症状)ことをも恐れるものだということです。
つまり、薬をやめる時にも症状が出ることがあるのだということを知っていて、それを恐れるあまりに自己暗示で症状が出てしまうケースがとても多い。
その背景には、向精神薬の副作用に関するディジーズマンガリング(疾病喧伝)があることは言うまでもありません。「向精神薬にはこんな副作用があるよ。向精神薬を止める時にもこんな副作用があるよ」という情報に患者さんが右往左往している。
むろん、明らかに医師が向精神薬のメチャクチャな多剤大量投与をしている場合は、薬を急に減らすとさまざまな症状を起こします。ただ、多くの患者さんを診ている立場として申し上げるならば、驚くほどの多剤大量投与を受けている患者さんが、ご自分の判断や身体の病気による緊急入院で服薬できなくなって薬を一気に全部止めてしまっても、まったく何も症状が起きないケースも想像以上にたくさんあります。
ですから、向精神薬の離脱症状というのは、果たしてどこまで真実なのかは、かなり判断が難しいものです。」(引用終わり)
離脱症状とありますが、ベンゾジアゼピン系の離脱症状については別の小見出しで書かれていますので、そちらを引用します。
依存性の高いベンゾジアゼピン
さて、ここで向精神薬の中でも一番やめにくいベンゾジアゼピン系の薬(抗不安薬や睡眠薬の多くがこの分類の薬です)を考えてみましょう。
この薬がなぜやめにくいのか。それは薬をやめると、不安感や不眠が再発するからです。また、飲んだ後に気分がよくなるので、薬を何度も飲みたくなってしまうからです。しかし、こんなクセになりやすい薬でも、自己判断で服薬を中止しても何も起きない人もいます。ただし、私はそうした自己判断による服薬中止は絶対にお勧めしません。何よりも怖いのは、薬を急にやめることで痙攣して意識を失うこと。また、不安焦燥感がひどくなり、自分の力ではどうすることもできない興奮や激しい衝動(いずれもとても苦しいものですので、苦しさのあまり、自殺に結びつく可能性があります)に駆られることがあるからです。
(中略)
やはり、向精神薬の断薬・減薬は、医師や薬剤師が専門家集団として自ら解決していくべき問題です。
ただ、残念なのは、減薬・断薬に取り組む医師が圧倒的に少ないことです。その理由のひとつは、向精神薬の断薬・減薬というのは、単に薬を減らせば良いというものではなく、もとの病気を治しつつ(薬を減らせばもとの病気の症状が出てくることがあります)、薬の副作用にも対処し(そもそも薬を切りたいと思うに至った背景に副作用の辛さがあるわけですから、断薬に成功するまでの間、副作用をどう耐えていくかを考えなければなりません)、さらには減薬・断薬にともなう症状を抑えていく、という離れ業が必要な難しい治療だということです。」(引用終わり)
上記の中で、気になった文章は、
「薬をやめる時にも症状が出ることがあるのだということを知っていて、それを恐れるあまりに自己暗示で症状が出てしまうケースがとても多い。」
「向精神薬の離脱症状というのは、果たしてどこまで真実なのかは、かなり判断が難しいものです。」
さらに、本文以外の「まとめ」には次のような表現もあります。
「向精神薬を中断すると、離脱症状をしばしば生じるが、副作用恐怖により「こころ」が作り出した実体のない症状であることも少なくない。」
確かに以上のようなことは、あるかもしれません。離脱症状(しかもとても恐ろしい症状)が出るかもしれないという恐怖心が離脱症状を作り出している……。
離脱症状は、そういう「実体のない症状」かもしれませんが、しかし、現に当事者は苦しんでいるわけです。
が、この文章を読む限り、斉尾さんは医師として、それには対処しないようです。何も起こらない人もいるという、苦しんでいる当事者にとってはどうでもいい話を持ち出して、話を濁していますが、そういうことを持ち出すということは、対応しないという意味なのでしょう。
ただ、ベンゾの離脱症状は認めているようです。
薬を急にやめることで痙攣して意識を失うこと。また、不安焦燥感がひどくなり、自分の力ではどうすることもできない興奮や激しい衝動(いずれもとても苦しいものですので、苦しさのあまり、自殺に結びつく可能性があります)に駆られることがあるからです。
というのは、明らかに離脱症状ですよね。ベンゾの離脱症状には「実体がある」ということでしょうか。
としたら、「実体のない症状」というのは、どんな薬の離脱症状を言っているのでしょうか。文面から、効き目が出るまで時間がかかるという点、抗うつ薬のことを言っているようにも読めるのですが……。
みなさんはこの文章、どう読まれますか。
精神科医の離脱症状への考え方がよく表れているようにも思います。
この文章のタイトルは「病気を診ずして、病人を診よ」です。実体のない離脱症状でも苦しんでいる「病人を診て」ほしい……というのは言いがかりでしょうか。
あるいは、「実体のない症状」というのでしたら、そこをもっと突っ込んで、分析してほしかったと思います。
なぜ、離脱症状の出る人、出ない人、重症の人、軽い人がいるのか?
なぜ、知識を得ることで「実体のない(かもしれない)離脱症状」に苦しむ人が出てくるのか?
それを問うことこそ、精神医療の根本の問題を問い直すことになるような気がします。薬を考えているだけでは解決できない、薬理だけでは説明のつかない、「人間」だからこそ(ゆえに精神医療の根本)の問題がそこには隠されていると思うのです。
(10日から、3日ほどお休みをいただきます)。