次に恵美さんの長女さんについての報告である。

恵美さんのメールから。

「平成4年生まれの長女は、幼児の頃から繊細な子でした。ただ、外見と表情と行動が、明るくて活発でしっかり者に見えたため、神経質な面があることは私しか知りませんでした。

幼稚園で「お弁当を残すと先生に怒られる」とわかると、普段は食べることができるのに、お弁当参観日になると緊張するのか、隠れて残したお弁当箱をバッグにしまい、それがバレるのが心配で、吐いてしまいました。幼稚園の先生は、そんなに怖くない先生だったのに。

小学校、中学校も、イジメられはしないものの友だちは多くはなかったです(それでも仲良しの子はいました)。男の子とドッジボールをする方が好きなタイプでした。障害の弟はとても可愛がりました。

高校は、私立の特進コースへ進みました。本人は中学校では上位の成績が取れても、特進では、下の方だと言っていました。しかし、長男の影響で社会福祉士になると言って頑張っていました。英語のスピーチ大会では、学年代表から、校内で1位になり、県大会も2位で、全国大会に出ました。長男のことを発表しました」


クラスで孤立、教師の心ない言葉

 そんな娘さんが高校2年生に進級したときのことだ。1年のクラスから娘さんを含め2人しか上がらず、クラスは知らない子ばかりとなった。クラスはすでにグループが出来上がっている状態で、娘さんも頑張って6人グループに入ったが、なぜか大学見学会の翌日から突然無視が始まった。理由はわからないままだ。

それが4月のことで、その1か月前に東日本大震災が起き、恵美さんの住む地域でも計画停電があったりして、娘さんは不安感と軽いめまいを訴えるようになった。

すでに恵美さん自身メンタルクリニックに通院していたが、娘さんはそことは別のCクリニックを受診。頓服でリーゼを出され、飲んだものの脱力感がひどく、すぐに飲むのをやめた。

そうこうしているうちに、5月、クラスで完全に孤立状態になってしまった。母親の恵美さんには「頑張る」と言っていたが、学校は週一で休む状態。このとき恵美さんがかかっていた依存が専門だという××医師を娘さんも受診して、ソラナックスを頓服で処方された。


「その後、5月31日のことです。国語のテストの点数が悪く、先生にみんなの前で「休んでばかりいるからこんな点数を取るんだ」と言われ、娘は壊れてしまいました。

その日の夜から、泣いて過呼吸を起こし、次の日から学校へ行けなくなりました。朝、ソラナックスを飲みますが、学校には行けません。××医師は夏休みまで休学した方がいいと言いました。学校には何度も面談に行きましたが、精神科医が休学と言うのなら休学しましょうと。娘は毎日泣いて悔しがっていました。いきなり仲間はずれにされて、一人で頑張ろうと思っていた矢先の先生の発言。

ソラナックスもまったく効かず、××医師は他の薬は出しませんでした。全国の英語スピーチ大会に行ったのはこの休学中のことです。私はやめてもいいよと言ったのですが、死んでも行く!と言いました。

私は娘を治したい一心でネットでパニック障害の専門医を探しました。そして、たまたま、和○会の東京の○坂クリニックが良いかなと思いました。(これが大きな失敗でした)」


パキシルは飲ませたくなかったのに

娘さんは休学中の7月下旬、○坂クリニックを受診。分厚い問診票に書き込んだあと、診察は院長が行った。

「はい、過敏性腸症候群とパニック障害ね。ソラナックスを頓服なんて、治療じゃない。私の出す薬を飲んで。ドグマチールで乳汁が出るけど気にして婦人科へ行かないで」

一気にそう言われ、2週間後の予約を入れて終了となった。

出された薬は、ドグマチール1錠、アナフラニール1日3回、パキシル5mg×3回、ワイパックス1日3回、メイラックス1mg、セレキノン(腸の薬)3回だった。

「私は当時薬については無知でしたが、パキシルだけは嫌で、娘に飲ませませんでした。アナフラニールは飲んだら、眠いと言うので○坂クリニックへ電話すると、飲まなくていいと言われました。

そして2週間後、院長の診察時に、パキシルを飲むのが不安で飲んでいないと言ったところ、すごく怒り、「自分勝手に親が薬を操作するな! だからこの子は治ってないじゃないか! パキシルを5mg飲んでいたら、今日増やせたんだ。今日からパキシル飲むように」と娘の前で大声で言いました。娘は困ってしまい、「私、パキシル飲む」と言いました。私も、5mgなら副作用が出たらやめればいいと思うようになりました。

パキシルを飲んで2週間は変化なし。しかし、その後10mgに増えたとき異変がありました。頭の中がゴチャゴチャして、頭痛、めまいを訴えました。

次の診察の時に伝えたら、パキシルをやめてくださいと。しかも院長でなく、他の先生になりました。院長は、初診だけとか、せいぜい2回目までの診察しかしないようです」


パキシルを増やされ、副作用を訴えたら、今度はやめてくださいと。なんだか首尾一貫しないクリニックである。しかも、高校生にパキシル処方――すでにこの時期、パキシルの添付文書には、「18歳以下の子どもには慎重投与」の赤字警告が出されていたはずである。にもかかわらず、飲ませない親を罵倒する。しかも、アナフラニールとの併用なのだ。そして、院長は出すだけ出して、その後患者を診ようとはしない。

一度増えた薬を減らすのは簡単なことではない。娘さんもパキシルの減薬には苦労をして、結局、9月からは保健室登校に。しかも、9時に登校して11時までしかいられないような状態になった。家に帰ると夜まで布団の中で目を閉じて耐える日々。これが高校2年生のことだ。

「高校2年の2学期は、ほぼ寝たきりでした。保健室登校もほとんど行けなくなりました。パキシルの離脱症状から、体調をひどく崩しました。毎日、生きてるか確かめていました。(寝室をのぞきに行きました)」 


結局、高校を退学

 そんな状態だったので、恵美さんは転院を考えた。そして11月頃、○○県立こころの医療センターに転院。子ども外来もあり、入院設備も救急もあり、そうした安心感からここに通うことに決めたという。

主治医は温和な感じの40代の医師で、話もよく聞き、漢方にも対応してくれた。しかし、娘さんは高校に通えないことを深く悩み、強い不安感を訴えていた。

処方は、メイラックス2mg、ワイパックス1mg×3回、セレキノン3回、睡眠薬(何種類か試してすぐやめたり)という、ベンゾ系の薬が多かった。

 結局、高校は2年の3月で退学した。そして、3年から通信制高校に入った。スクーリングが家から近かったため、嫌々ながらも通うことができた。課題のプリントも調子の良いわずかな時間にやった。

 そんなとき、父親(恵美さんのご主人)が朝突然倒れ、救急車で運ばれ、くも膜下出血で2ヶ月入院。恵美さん自身、夫のこと、娘さんのこと、長男の世話、自分の体調もあり、クタクタの日々だった。

 そこで、長女の通院先をもっと近いとのころのクリニックにしようと思い、結局、××医師に戻ることにしたのだ。

 処方は、ワイパックスが0.5㎎×3回に減ったものの、ジェイゾロフトを試したり、リフレックスを飲み始めたり。

 そして、高校3年時、通信制高校の先生のはからいで、ある短期大学に指定校推薦してもらい受かったものの(娘さんも、やり直すんだと張り切っていたが)、最初の4日で行けなくなった。友だちはできたが、「学校という場所がダメだ」と。一定の時間、教室内に座っているのが怖い、通いたいけれど通えないと泣いてばかりだったという。

主治医の××先生からは「リフレックスにエビリファイを足すとうつ状態が良くなるかも」と提案されて2日ほど飲んだが、気持ちが悪くなり中止となった。

××医師について娘さんは好きでも嫌いでもないようだったが、恵美さんがソラナックスの常用量依存でこの医師と口論したり、信頼できなくなったため、娘さんも転院することになった。

そして、平成26年7月から、☆☆クリニックの**先生にかかっている。娘さんも気にいっているようだ。

「1人の患者に40分かそれ以上かけるので、すごく待ちますが、皆、文句も言わず待ってます。**先生は、診察というより、時には自己啓発の本、時にはスピリチュアルの本を読んでるような感覚になるようです」と恵美さんは書いている。

薬は現在、リフレックス半錠、メイラックス1mg、ワイパックス0.5mg×3回、セレキノン。

「娘は家にいます。働きたい気持ちは強いけど、怖い気持ちも強く、葛藤しています。不眠が強いです。しかし、私や家族との関係は良好で、自閉症の長男と遊んでくれます。

 娘は気分変調症と診断されています。

今の医師は減薬に対しては、前向きでもないし、やると言えば否定しません。娘も減薬は頭にありますが、離脱症状が出て寝込むことと、私の離脱症状を見ていて、減薬が怖くなって来たと言います。しかし結婚も出産もしたいと言っているので、ずっと飲み続ける考えはないと思います」

じつは去年春頃、娘さんはリフレックスを1錠から半錠に、メイラックス2mgから1mgに減薬している。

「私たち家族は全員、苦しく辛い思いをしてますが、頑張って生きてるつもりです。娘も私も体調は低空飛行で、たまに良くなり、たまに絶不調の繰り返しです」


一度関わると、関わり続けざるを得なくなる精神科

 精神科のおかしさ、自分で処方する薬についての医師の無知さ加減は多くのケースに言えることだが、今回の恵美さん親子のケースでは幸いなことに「副作用を病気の症状としてさらなる投薬」という現象は起きていない(難を逃れたと言ってもいいくらい)。それでも医師は出ている症状に薬を処方するだけであり、ベンゾの認識も希薄なら、置換の知識もあまりなく、アシュトンマニュアルを持ち出しては見せるものの、おそらくどうすればいいのか知らないのだろうと想像する。

恵美さんにしろ、娘さんにしろ、薬でよくなったという実感はなく、こういう医師によって単に薬を処方され、その後のいくつもの医療機関への通院は、離脱症状のため(突然やめられないため)の通院といってもいい。

一度薬が入ってしまうと、結局、医療に関わり続けざるを得なくなるということだ。

しかし、それなら、最初のパニックを起こした時、どうすればよかったのだろう。

精神科はあてにならない、どころか健康を害されるだけだとしたら、どうすればよかったのか。

精神科受診以外の選択肢がない(情報・知識も含めて)というところに、こういう被害が減っていかない理由があるのだと思う。そして、精神科は「いい薬がある」「治る」と主張し続けている。この狭間に立つ当事者が、何の情報もなければ、精神科を受診しない選択をするのはやはり難しいだろう。