先日、石川さん(仮名・35歳)という男性から体験談を伝えていただきました。

 実際お会いしての取材でしたが、待ち合わせたのは、石川さんが入院したことのある国立精神・神経医療研究センターです。院内の喫茶室で4時間ほど。

 石川さんが精神科とかかわったのは2002年のことでした。それから昨年7月に減薬を始めるまで、じつに12年の歳月を精神医療に翻弄され続けることになってしまったのです。

以下、その体験談を紹介します。


就職のプレッシャーから強迫症状

 そもそものきっかけは石川さんが大学卒業後、学習塾の教師として就職したことに始まる。社員寮に入り、1ヶ月の研修を受けた。初めての就職ということで、石川さんは仕事に対して非常な責任感を感じていた。お金をもらうということは、それに見合った結果を出さなければならない……。

 しかし、生真面目な性格と、そうしたプレッシャーからか、強迫的な行動が出るようになった。手洗い強迫は以前から多少あったものの、今回の場合、鍵をかけたかどうかが執拗に気になったり、書類の確認も必要以上にするようになっていた。

 研修は1ヶ月で終了し、いよいよ授業を行うことになったが、症状は改善せず、相変わらず確認作業への強迫行為が止まらない。したがって、肝心の授業がおろそかになってしまう。そんな石川さんに対する生徒の評価もどうしても低くなり、結局、石川さんはその職場を3ヶ月で退職することになった。

 そして、その年の7月、地元近くのメンタルクリニックを受診したのだ。診断は「強迫神経症」(当時の診断名)とされた。

 処方は、デプロメール25㎎のみだった。

 しかし、改善せず、8月にはデプロメールが50㎎に増量された。

 それでもよくならないので、デプロメールが75㎎(25㎎×3回)に。

 この医師は「単剤」にこだわりがあるらしく、このデプロメール一本やりの処方がその後3年半ほど延々と続く。

 石川さんとしては、その頃は「症状の改善があったというより、薬を飲んでいるのだから、きっとよくなっているはず」という安心感だけは得ることができていたという。そこで、2003年、再就職に踏み切った。

 今度は医療機器メーカーの在庫管理のシステムエンジニアである。パソコンをいじるのは好きだった。

その会社にはデプロメールを飲みながらも、3年半ほど勤めた。

几帳面な石川さんは自分の服薬履歴をエクセルの表にしているので、それを見せてもらったところ、会社を辞める少し前、処方はデプロメールのみのから、(石川さんが不眠でも訴えたのか)デパスとレンドルミンが加わり、デプロメールも100㎎に増えている。

 会社が続かなくなったのは、こうした薬の増加も関係しているのかどうか。ともかく石川さんは2006年にその会社を退職した。


 

父親と同じ公務員になる

 それでも翌年の2007年の夏、アルバイトを始めた。その頃飲んでいたのは、デプロメール125㎎とデパス1㎎だ。

 今回は事務職だった。しかし、会社へ行っても頭がくらくらして仕事にならない。そのうえ、心因性の頻尿となり、それこそ2、3分に一度トイレに行くようになった(もちろん出ないのだが)。

 主治医に告げても、「心因性だろう」というだけで埒が明かない。心配した父親が「内科で調べてもらってこい」と言うので検査をしたが、異常なしだった。

 それでも何とか仕事はこなし、上司に褒められることもあった。いっそこの会社に就職しようかと思ったが、実は石川さんの父親は公務員で(この頃ちょうど定年退職を迎えていた)、息子にも公務員になってほしいという希望を持っていたのだ。

 そこで石川さんは以前から考えていた教員採用試験を受けてみることにした。仕事をしながら、しかも薬を飲んでいることもあり、あまり勉強はできなかったが、合格を果たした。石川さん28歳のときだ。

 そして、2008年4月、石川さんは特別支援学校の教師となったのである。


 父親は石川さんが受けている薬物治療に不信感をもっており、「せっかく教師になったのだから、この際、クリニックを変えてみてはどうか」と石川さんに言ったという。

 そこで石川さんはネットで調べて、医師自身が臨床心理士の資格を持っているというクリニックに転院することにしたのだ。

 しかし、臨床心理士の資格を持っているという医師は、石川さんにカウンセリングを行うこともなく、さらに「うつ病の専門医」がうたい文句だったため、これまで「強迫性障害」という診断だった石川さんに「うつ病」という新たな診断を下したのだ。

 医師は石川さんにこんなふうに言った。

「うつは脳の病気です。頭をかち割ってセロトニンの量を調べることはできないが、ともかくセロトニンの量を増やす抗うつ薬で治療をします」

 この医師は、来る患者来る患者、どれも「うつ病」と診断を下す傾向にあった。さすが「うつ専門医」である。

 石川さんの診察でも、石川さんが何か言えば、「うつだから……」「うつだから……」と言いつづけ、石川さん自身、自分はうつ病であると信じて疑わなくなっていた。

 そして石川さんも世間で言われる「教員のうつ病患者・5000人のうちの一人」となったのである。

 処方は、6年間飲み続けてきたデプロメールを一気にやめて、トレドミン(SNRI)30㎎、になり、デパスも一気にメイラックス1㎎へと変更になった。

「このときは特に離脱症状のようなものは感じませんでした」と石川さん。

 その後、トレドミンは30㎎から50㎎の増量、ベンザリン5㎎が追加となった。


 

 しかし、体調は悪くなるばかりで、石川さんは医師にいろいろ訴えた。

 そうしたところ、医師は「うつがそれだけ重い人はメジャーも一緒に飲むと効果がある」として、トレドミン、メイラックス、ベンザリンの処方を一気に以下のものに変更した。2008年5月30日のことだ。

 デジレル100㎎ (抗うつ薬)

 ハルシオン0.25㎎

 エバミール1㎎

 フルメジン0.5㎎(抗精神病薬)


「このフルメジンを飲んでから一気におかしくなりました。ベッドから起き上がれないくらいです」

 結局石川さんは90日間の休職届を出し、その後8月には退職を余儀なくされた。

 せっかく教師になって、わずか4ヶ月での退職だった。

「それで父が、こんな医者はダメだ、俺が探すと言って、医者を見つけてきました」

 じつは石川さんの父親は、いわゆる団塊世代で「気合、根性」の人である。息子に対しても心配はしているものの、どうしても「気合、根性」で考える傾向にある。

 父親が見つけてきたクリニックには退職して1か月後の6月には受診した。しかし、考えてみると、このクリニックはこれまでのクリニック以上に最悪のところだった。


3件目のクリニック

 新しい主治医となり、石川さんの処方がまたしても一気に変えられた。

 デプロメールが再び登場(150㎎)。その他、

 メイラックス 2㎎

 レンドルミン 0.25㎎

 サイレース 2㎎

 診断は、最初のクリニックでつけられた強迫性障害と、二件目のクリニックでつけられたうつ病の二つになった。

 さらに処方はいろいろ変わった。

 翌月にはデプロメールが100㎎に減ったものの、代わりににパキシル20㎎が加わった。初めてのパキシルである。

 それと、ソラナックス、レンドルミン、サイレース。

 

 そしてほぼ1年後の2009年5月には、

 デプロメール50㎎

 パキシル30㎎

 メイラックス1㎎

 セパゾン2㎎

 この処方がかなり長い間続くことになる。