中心静脈カテーテル挿入(気胸になる)

 平成23年12月。隆士さんは今度は肺炎を起こした。またしても薬の一気断薬となり、てんかん発作が出現。食事もとれなくなり、栄養状態がかなり悪化したため、医師より、中心静脈注射用カテーテルを挿入して、高カロリー輸液を入れることが提案された。

このとき、病院側からこの処置の「合併症」として、「出血、血腫、気胸、ショック、薬剤の副作用、感染症」と、書類に書かれた項目にチェックを入れるという形で説明がなされた。

そして、この処置をした5日後のことである。家族への面談で次のようなことが告げられたのだ。

・本日、胸レントゲンにて、右自然気胸が認められた。

・本日より治療のため胸腔ドレナージ(胸腔内に溜まった空気や体液を持続的に体外に排出させる装置をつけること)を行う。

・今後重症肺炎が発症し、人工呼吸管理が必要と判断した場合、受け入れ可能な病院に転院の方向とする。

・ただし、受け入れ病院が見つかる保証はない。



 なぜ気胸になったのか、説明はなかった。その少し前に肺炎を起こしているが、それとの関連の話もない。あくまでも「自然気胸」とのことである。

  しかし、ネットでちょっと調べただけでも、たとえば以下のようなサイトを読めば、これはカテーテル挿入時の「処置の失敗」である可能性が想像される。

 http://medmerry.blog80.fc2.com/blog-entry-603.html

 ここでは、隆さんに行われた処置(IVH)についてこう書いている。

 「中心静脈カテーテル(central vein catheter)とは、中心静脈(心房から約5cm以内の胸腔内の上・下大静脈の領域)に挿入するカテーテルのことである。」

 さらに、カテーテルを入れる部位(穿刺部位)として、①内頸静脈、②鎖骨下静脈、③大腿静脈、をあげ、②の鎖骨下静脈の特徴に、こうある。

・最大の利点は固定が容易で患者の負担が少ない。

・長期留置に最適。

・気胸や動脈穿刺が多い。

・鎖骨下動脈からの出血は解剖学的に圧迫止血が困難。

・凝固異常のある患者では避ける。



 また、別のサイトには次のような記述もみられる。

 http://www.ho.chiba-u.ac.jp/pedsurg/word%20doc/ivh.htm

「気胸・血胸:鎖骨下静脈穿刺の場合、定められた方法で穿刺しても、誤って肺に針が当たることがあります。これにより肺と胸壁の間の空間(胸腔)に血液や空気が溜まり、肺を圧迫することによる呼吸困難を生じます。穿刺前後にX線で確認しますが、気胸や血胸を起こしている場合は、胸腔ドレーンの留置などの対策をとる必要があります。この合併症はまれに数日経ってから生じることもあります。」



 つまり、挿入の失敗によって、隆さんが気胸になってしまった可能性を否定できないのだ。

 にもかかわらず、家族に対しては「自然気胸」と説明し(1か月後の「家族面談票」にも、「平成24年1月頃、気胸が認められたが、自然気胸の可能性が高い。(原因は不明)」とある)、さらに、人工呼吸管理が必要となったら別の病院へ行ってくれ、しかし、そういう病院が見つかる保証はないと冷たく突き放している。

 なんという冷酷な対応かと思う。もしこれが、精神疾患患者でなかったら……想像はどうしてもその方向に向かってしまう。


 

 薬が原因と気づく

 その後、隆さんは曲がっていた指がそのまま固まってしまった。リハビリをして両手の親指、人差し指は何とか動くようなったものの、他の指はほとんど動かないままである。

 そんな状態の隆さんを見て、ようやくA子さんたち家族も「薬を飲んでからどんどん悪くなっている」と考え始めた。情報を探している中、たまたま精神薬についての特集をテレビで見た。そこでまずは家族だけで、出演していた医師に相談をしたところ、いかに自分たちが精神医療に洗脳されていたかに気がついたという。

「その先生は、家族と本人が覚悟をもって連れてくれば薬をやらすと言ったのですが……」

現実問題として、自宅で減薬・断薬を行う環境にはなかった。老齢の両親、アパート住まい、すでに介護を必要とする隆さんの面倒をみることは、不可能だった。

 しかし、隆さんへの処方は、夜大声を出す、入院患者とトラブルを起こす等々で、薬は増えていく一方である。何とか薬を減らしてほしいと医師に言っても「減らすと症状が悪化する」の一点張り。この病院では減薬は不可能と思い、他の病院を探したが、診療情報提供書を送っても、受け入れてくれる病院はなかった。



気胸の悪化

 そうこうしているうちに、平成25年6月に、2度目の気胸を起こし、10月に3度目を起こした。右の肺は癒着して、大きさも3分の1ほどになっていた。

 面談票には次のような記述がある。

「胸部CT上は、肺の両側に多数のブラ(袋)があります(注・これが破れることで気胸が起きる)。右肺には、上葉、中葉、下葉、すべてに比較的大きなブラがあります。」

 左肺にもブラがあるというのは、おそらく右の肺が気胸になったため、左肺に負担がかかり、両肺気胸になった可能性が考えられる。

 そして、医師からは、「看護の薄くなる夜の時間帯に気胸を起こした場合は処置が遅れて命の危険性がある」と告げられ、一度専門医に診てもらった方がいいというので、大学病院の呼吸器外科を受診することになった。

 A子さんがいう。

「兄にとってこれが最後の外出になりました。久しぶりの外出で、兄はコンビニに寄って肉まんを買い、おいしそうに食べていました。車の中ではラジオから流れる音楽に合わせて歌っていました。でも、薬のせいで会話は成立するような状態ではありませんでした」

 この病院には3度通ったが、病名は「多発性肺のう胞」。担当医の話では、肺の癒着はあるが、肺活量もあるし、今手術するのはナンセンスとの判断で、何の治療もなされなかった。



漢方を扱う医師に望みをかけたが……

 A子さんは、何とか薬を減らしてもらえる病院に転院できないかとネットで探しているうちに、漢方薬を扱う女医のいる県内の病院を見つけた。まずは家族だけで相談にいったところ受け入れてくれることになり、ケースワーカーも交えて転院の日をきめた。

そして、その約束の日、A子さんたちは隆さんを連れて病院を受診した。平成26年(今年)の3月のことである。

 ところが、出てきたのは女医ではなく、漢方にことはまったくわからない院長だった。ケースワーカーと医師との連絡がうまくいっていなかったのか、ともかく、成り行きから院長が隆さんの主治医になってしまったのだ。

 それでもA子さん家族は「薬を減らしてほしい」と希望を伝え、その際現れる離脱症状についても言及した。すると、院長は「離脱症状はない。薬は必要」と断言。

 そして、出された薬は

セロクエル200㎎×3錠 抗精神病薬

ジプレキサ10㎎×1錠  抗精神病薬

デパケンR200㎎×5錠 気分安定薬

ネルロレン10㎎×1錠 睡眠薬

アモバン10㎎×1錠  睡眠薬

セフカペンピボキシル塩酸塩100㎎×3錠 抗生物質



 さらに、指が動かないので医師からボトックスの注射を勧められた。この病院には内科も併設されていたのだ。

担当の女医にA子さんがこれまでのことを考えて「兄は薬に敏感で副作用がでやすいんです」と伝えると、医師は

「たとえば予防接種を受けた人で、副作用が出るのは何万人のうちの1人です。そういう低い確率だから、みんな受けるんです」と言った。

「兄はその何万人かの1人で、それで悪性症候群になったのです」とA子さんが言うと、

「悪性症候群はよくある」とその女医はさらりと答えたという。

「これを聞いたとき、私は、これが精神科の現実、精神科にとっては副作用がでても何とも思わないんだと思いました」

ただ、せめて指が動くようになればと思い、ボットクス注射を受けたが、動いたのは、注射をしたときだけで、改善はなかった。

 その後、隆さんは、夜トイレにこもる、他人のロッカーを開ける、そんな理由から、4人部屋ということもあり、夜は拘束され、おむつをつけられることになった。


 そして、入院して2ヶ月後の今年4月27日。

朝食をとったあと、突然倒れて、その衝撃で多発性肺のう胞が破れ、息を引き取った。午前9時5分のことだった。家族は死に目に会えなかった。



 ここに、警察介入のもと行われた解剖の報告書がある。コメント欄にはこう書かれている。

「統合失調症で入院中。重篤な多発性肺のう胞も指摘されており、急死しても不思議ではない状態だったという。4月27日午前8時10分頃、病院の廊下で倒れこむのを同室の患者が目撃。看護師が駆けつけた際には血圧が低下しており、短時間のうちに心肺停止となり、蘇生処置にも反応せず、死亡が確認された。」



 また、解剖報告書の「薬毒物精密検査」には、オランザピン(ジプレキサ)の血中濃度が、「治療域を上回るが、致死域には達しない」とある。

ジプレキサは飲み始めに低血糖を起こしやすいとされている。隆さんの転倒はジプレキサのこの副作用のせいではないか?

しかし、結局、報告書では、隆さんの死因は「病死」とされ、その原因は「多発性肺のう胞」であり、直接の原因は「緊張性気胸」ということで一件落着である。


 A子さんがいう。

「兄は精神医療に関わって、精神薬を飲み、依存になり、体もどんどん悪くなっていく姿を見てきました。家族は良くなってほしいと病院にかかったはずなのですが、精神医療の現実を知るのが遅れて、助けることができませんでした。でも、あのとき私たちはどうすればよかったのか……。

 兄の言葉をいつも思い出します。「薬を飲んでも変わらない」「入院させないでくれ」「入院中は薬漬けだ」と……。

 精神医療に関わらなければ、兄の人生は続いていたと思います」



 入院中はよく電話をしてきたという隆さん。会話というより、次の面会には何を持ってきてほしいか、一方的にそれを伝えるだけの電話だった。隆士さんはプリンなど甘いものを欲しがったという。

 また、入院中、ずっと英語の勉強をしていたと、私はA子さんからたくさんのノートを見せてもらった。そこには英文と和訳が書かれていて、まさに受験勉強そのものである。もしかしたら、隆さんはずっと大学へ行きたかったのかもしれない。浪人をして、新聞配達をしながら大学受験の勉強をしているときに、最初の異変が起こった。そのとき中断された大学への思い、それを隆さんはずっと抱いていたのかもしれない。

 隆さんは勉強をするのが好きだった。本を読むのも好きだった。ガンダムなどアニメも好きで、若い女性グループの歌もよく知っていた。一時期は追っかけをしたこともあったという。

 そもそも隆さんは統合失調症だったのだろうか。A子さんは隆さんの死後、笠医師を知った。笠医師は隆さんの症状を「解離」と言っていたという。

 現在の精神医療では、「解離」の症状はほぼ「統合失調症」に診断される。そして、薬物治療が行われ、改善がないまま、薬は増える一方、副作用でさらに状態が悪くなると病気の悪化と見なされて、さらなる投薬という悪循環である。

しかし、多くの精神科医にとって「解離」だろうが「統合失調症」だろうが、どちらでもいいのだろう。やるべきことはただ一つ。出ている症状を消すことだ。それを目標に、消したい症状と同様の副作用を持つ薬を大量に投入して、「症状が改善しないのはなぜか」と首をひねって、さらなる投薬。

 そして、最終的にはその大量の薬の副作用で、患者は今度は身体的な病気にさせられて、その身体的な病気に対して「いい加減な治療」を施されて、死に至る。

これは、まさに優生思想そのものの行為である。



隆さんのご冥福を心よりお祈りします。




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