双極性障害の疑いがあります――入院、そして退職

そんなある診察日のこと、医師は、突然、

「吉田さんは双極性障害の疑いがありますね」と切り出してきた。

 医師にそう指摘されて、吉田さんはネットで双極性障害についていろいろ調べてみた。

イーライリリーのホームページに行きあたり、内容を読んでみると、まさしく自分の過去の症状に当てはまる。そのときはまだ「薬剤性」とは考えてもいなかったのだ。

 そこで、次回の診察のとき、吉田さんは医師に、「双極性障害かもしれません」とネットの情報から判断したことを正直に言い、医師もうなずいて、それまで抗うつ薬中心の治療だったのが、双極性障害の治療に切り替わることになった。

 医師は薬の切り替えのためとしてまたしても入院を勧めてきた。しかし、吉田さんとしては、精神疾患で入院となるともう会社では立場がなくなるとの思いから強硬に入院を拒否した。

 すると……。

「これはあくまで私の個人的な考えですが、この医者はいよいよ医師としての奥の手を使ってきたんです」

 つまり、抗うつ薬のほぼ一気切り、そしてデパケンとジプレキサの処方である。

 ちなみに、平成2349日 の処方は抗うつ薬3種を含む以下のようなもの。

*デプロメ-ル 25mx3(朝)25mx3(夕食後)

*トリプタノ-ル25mx2(朝)252(夕食後)252(寝る前)

*リフレックス 15mx2(寝る前)

*レキソタン5mx1(朝)5mx1(夕食後)

*メデポリン0.4mx1(寝る前)




 これが医師のさじ加減で、平成231029日には以下のように変更された。

*ジプレキサ 2.5mx2(夕食後)

*ロドピン25mx2(寝る前)

*デパケンR 200mx2(夕食後) 200mx2(寝る前)

*セロクエル25m 不快な時適宜

*メイラックス2mx1(夕食後)

*リフレックス152(寝る前)

*メデポリン0.41(寝る前)

*デプロメ-ル25 0.51(朝) 



 結果、離脱症状と新しい薬の副作用で、吉田さんは動けなくなった。

そして、意識朦朧の状態で診察に行くと、

「ほーら、入院が必要でしょう。手続きします。入院してじっくり治療しましょう」と言ったというのだ。

「私は観念しました。入院を認めました。そして、もうダメだと、辞表をだし、会社を辞めました」

 突然の辞表に会社としては吉田さんを遺留(両親のところへ何度も連絡があったようだ)、しかし、吉田さんは入院中、両親へは誰にも会いたくないと伝えて、会社側の休職扱いの申し出も断った。



「入院手続きが終わって、部屋から出るとき振り返ると、主治医はニヤリと笑いながら判子を押していました。これは被害妄想ではなくはっきり覚えております。2011年です。その年は双極性障害キャンペ-ンがしきりに謳われていたとは、全く知りませんでした。

診察のとき、この医師は私に勤務先の詳細、年収はいくらなのか? と何回も聞きました。こういう種類の仕事をしている人は多いんだよね、躁鬱病。だから、これからは、元の会社の人と会っちゃだめだよ。彼らも躁状態だから、と何回も言っておりました」



 入院したのは、こぎれいなホテルのような病棟だった。4人部屋の空きがないので個室を勧められ(もちろん費用は余計にかかる)、吉田さんは個室に入った。

その時点でまだ吉田さんには「入院をしたのだから、これで完治するはず」との思いがあったという。医療への信頼が残っていたのだ。どんな治療が始まるのか期待もあった。

 しかし、現実には、主治医は週に1度診察をするだけで、治療といえば、毎日薬を看護師の前で飲まされるだけ。しかも、どんな薬を飲んでいるのかさえも知らされず、さすがにそれはおかしいと感じて、吉田さんは看護師にクレームをつけた。

 しぶしぶ出てきた処方は以下の通りだ。

 デパケンR :1000/

ジプレキサ :10㎎x2

ソラナックス :0.8Mx3

リスパダ-ル液体:看護師が出した時

トラリホン(PZC):頓服


入院前は必要としなかった眠剤も再服薬となった。

アモバン

ロヒプノ-ル  :2mx1




そして、入院して1ヶ月。主治医から「今度移動になるので、別の医師が入院時の担当となります」の一言でその主治医は去り、新しい入院担当医は、吉田さんの飲んでいる薬の処方を見て「とても良い処方です!」と言って満足な顔を浮かべていたという。

しかし、入院生活は長く続かなった。同時期に入院していた女性患者から執拗に接近され、困っていると病院側に伝えたところ、もう退院して下さいと言われ、あっけなく退院。

入院中は外出、外泊自由、挙げ句に、こんな簡単な理由で退院。では、いったい何のための入院だったのか、今でも吉田さんは疑問に思っている。もしかしたら、吉田さんが退院させられたのは、入院3ヶ月になろうかという頃のことなので、3ヶ月の強制退院(3ヶ月を過ぎると、病院としては収入が半分になる)だったかもしれない。

 結局、在宅での治療となり、前の主治医が再び担当になった。

 しかし(というか当然)体調は最悪。昼夜逆転の生活で、寝ている間の失禁。風呂も1ヶ月入らず、顔は脂漏性皮膚炎となり、バリバリ働いていた頃とは別人のようになってしまった。

主治医に「双極性障害の診断は間違っていませんか? この診断で治療を始めてから、坂道を転がるように悪化していくのですが」と言ったところ、主治医はこう言ったという。

「吉田さんみたいな人はアメリカで治療を受けたらどうですか? 英語もタイ語も話せるのでしょ?」

米国では精神科の治療は外国籍の人間は受けられないはずなのに、また保険がきかないため高額になる。

「お金もありませんから」と伝えると、医師は満足そうに、「い~い? 先生の言った通りにすればいいんだよ~」とまるで小学生に接する言葉使いで吉田さんに言ったという。



ドクターショッピングをするも……

主治医への不信感は募るばかりだった。当時吉田さんはジプレキサの副作用からか、体ががたがた震えるようになっていた。さらに、頻繁に錯乱状態となり、病院に電話をすると主治医とは別の医師が対応した。

電話口で医師は「それなら、ジプレキサを止めて下さい」というので、言われるまま吉田さんはジプレキサをやめた。その後、その指示を出した医師の診察を受けると、「メジャーではなく、ラミクタールを始めてみましょう」ということになったのだ。

しかし、それを聞いた主治医が(その時には医局長となっていた)、「ラクタミ-ルなら最大量を最初から投与しないとダメだよ」とその医師に言うと、医師が「スティ-ブン症候群になるかもね」と脅すようなことをまくしたて、結局吉田さんの治療は元の医師が継続することになり、処方からジプレキサは消えたものの、セロクエル200㎎、デパケン、ソラナックス、ロヒプノ-ル(リスパダ-ル、トラリホンも継続)となった。

いよいよ吉田さんの中で危機感が募っていった。このままでは駄目だ。

ネットで評判の良いといわれる病院、クリニックに電話をかけてまくった。しかし、

*双極性障害は見れない。漢方治療をうたっている医院だった。

*診察を受けるも、メジャ-は飲みたくない旨伝えると、ふっと笑われ、あなたが飲んでいるセロクエルもメジャ-ですよと言われた。「でも、デパケンは僕は好きじゃないからドグマチ-ルという良い薬があるからそれ飲んでください」(好き嫌いで薬の判断するのだろうか?)じつは、この医師はもともと吉田さんか通院している病院に勤務していた医師だった。


*
錯乱状態の時に電話をすると、ある医院では受付の人が「では明日予約を取ります」と言ってくれたが、その後その医院から電話があり、「現在通院している所はありますか?」と質問され、通院している病院の名前を告げると院長が出てきて「うちが手におえない患者はその病院に協力してもらっているので、あなたを診ることはできません。ドクタ-ショッピングしてるとそういう評判が立ちますよ!」とけんもほろろに断られ惨めな思いもした。

*地元ではダメだ。都内に行こうと思い、都内の心療内科を受診するも、薬の一覧表を見せられどの薬にする? PZCはどう?(メジャ-は嫌だと伝えているにもかかわらず)それなら今の医者に継続してもらえば? ただ、カウンセリングはやっているから予約いれておいて、といった対応。


 また、ある医者は、今はセロトニン、ド-パミン、アドレナリンの3つが流行りだから、ド-パミンは止めてセロトニンにしたいんだね。セロクエルはすぐ止めても大丈夫だから、ゾロフトに変えて……。

吉田さんがいう。

「もう駄目だと思いました。降参でした。そして、元の主治医に戻りました」



この医師の無茶苦茶ぶり

2012年の春のことだった。その頃、日本うつ病学会がうつ病ガイドラインの中でベンゾの長期使用の危険性を警告しているが、その影響だろうか。この元主治医は吉田さんに、「国の方針でこれは出せなくなったんだよね」と言い、いきなりソラナックス0.4x3プラス0.8頓服(1日3回)が処方から消えたという。ベンゾの離脱症状などまったく配慮していないやり方だ。

 当然、症状が出て、吉田さんはフラッシュバックに苦しむようになった。

 その他もろもろの薬の副作用も加え、体調は悪化の一途をたどり、それを訴えると医師は、

「セロクエルはダメなんだよ、本当はジプレキサなんだよ」としきりにジプレキサに戻そうとする。

 また、口のまわりに不快感が出たら、当然のようにタスモリン(抗パ剤)が追加となった。(飲まなかったが)。

そして、ほぼ毎回の診察で必ず、前職と借金と英語が話せるんだよね? という過去のことを話題にした。「吉田さんは英語とタイ語が話せるんだから、就職は困らないんじゃないの(笑)。でも、前みたいには働けないよ」

そんな医師への悔しさから、吉田さんは体調がすぐれないまま再就職活動を始め、2013年の秋、現在も務めている会社に就職を決めたのだ。

しかし、セロクエル、デパゲンを服用しながらの勤務は難しく、セロクエルを独断で断薬。「そうしなければ勤務遂行は無理だったのです」と吉田さんはいう。

東京の医師が言った通りであれば、セロクエルをやめても離脱作用は出ないはずだった。しかし、である。セロクエル200㎎を1ヶ月で断薬してしまったが、その後足がムズムズし、手に痺れが生じ、それは現在も続いているという(今は口元にも痺れがある)。

 それにしても、この医師は処方からセロクエルが消えても、気づかなかった。自分で処方した内容を覚えていなかったのだ。

 その代わり、吉田さんが手足が痺れる、むずむずすると伝えても、「この処方からはそんな作用は出ないけれど」というだけ。この時点で、双極性障害に抗うつ薬は絶対ダメと言っていたにもかかわらず、この医師はデプロメ-ル、さらにリフレックスを処方するという無茶苦茶ぶりである。デプロメ-ルに関しては、夜25㎎x4 朝25㎎x2――薬剤師が「夜元気になってどうするの?」と漏らしていたという。

この薬剤師は吉田さんに、病院の評判、処方のおかしさをそれとなく伝えてくれた。