最近ついたコメントですが、ずいぶん前の記事(ADHDについて考えたエントリ)についたものなので、多くの人の目に触れないと思い、ここに再掲させていただきます。



我が家の3年生の孫は 入学時にADHDと診断されたものの普通級で過ごしてきました。

その間 授業中の態度や 集団活動の困難 友達とのいざこざなど多数の問題を起こし 保護者会で問題にされた時には 母が吊るし上げに合わないようにと、先生から保護者会の欠席を求められるなど、配慮していただきました。

校長先生からは ADHDの薬での治療をしている子供もいるので 検討してはなどとのアドバイスをされたり、先日はアスペルガーだと思いますなどとも言われました。

そこで、もうすぐ小児精神科を受診することになっているのですが、とても不安です。

正しい診断とは何なのか?

服薬を勧められるのか?

発達障害なら治療などあり得ないのではないかと思います。療育でしょう。

そして何より 医者の言葉で 孫や孫の母(私の娘)が傷つき、追い詰められるのではないかと心配しています。

医者は時として、悪意がなくても言葉一つで人を絶望に追いやってしまうことを、私も体験しているので。

これからの人生幸せになってほしい。



じつは、他にもこのような話(相談)がいくつか届いています。

児童が授業中、席を立って歩き回ったり、教室を出ていく行為に対して、教師から病院を紹介される、「薬で良くなる」とほのめかされる……しかも、そうした「誘導」が一度や二度ではなく、事あるごとに呼び出され、いろいろな角度から、医療につながることの大切を説得される。

薬について多少の知識のある親であれば、薬は飲ませたくない、しかし、他の児童に迷惑をかけているのは事実であり、それを指摘されると、薬を飲ませないことでなんだか「悪いこと」をしているような気持ちにさせられます。

さらには、「困っている子ども」を放置している親として「医療ネグレクト」と言われかねない雰囲気さえあるようです。

それでも、頑として病院を受診させない、薬を拒否する親は、地域の中では「トンデモ扱い」「変わり者扱い」です。そして、耳元で別の親から「なんでお薬飲ませないの?」とささやかれる……。



確かに、以前も学校から精神科につながれる事態はありました。

しかし、今ほどあからさまではなかったような気がします。

この頃では、教師もなんだか「自信をもって」精神科受診を勧めてくる。周囲の親たちも、何か問題があれば受診して、お薬を飲ませるのが、「常識」のようになっている。

それには、やはりここ数年に起こった「早期発見」「早期介入」の流れが根底にあり、さらには、精神疾患の啓蒙活動(製薬会社や学者、それにつながる家族会による啓蒙活動)が大きく功を奏し始めていることが挙げられるでしょう。

ストラテラを販売する日本イーライリリーでは、うつ病、統合失調症につづいて、ADHDに関する教材も作っています。

https://www.lilly.co.jp/data/static/pdf/report_kokoro.pdf

また、世の中の流れも、精神疾患―→薬でよくなる、という図式を多くの人が受け入れています。

そして今や「精神疾患」という枠はどんどん拡大されており、「ちょっと変わった子ども」も発達障害という概念のなかで、安易に投薬の対象にされています。

コメントの方も書かれていますが、発達障害は「病気」ではありませんから、「治療」の対象にはならないはずです。発達特性を持ちながら、いかに生きるか、周囲の対応は?……まずはそちらを考えるべきですが、教育の現場において、そういう努力はスル―して、子ども個人を医療的にどうにかして問題を解決しようとしています。



しかし、下記のような意見を持つ人も大勢います。書いたのは児童精神科医ですが、これはもう一つの側からの代表的な意見でしょう。少し長いが引用させていただきます。




『くすりにたよらない精神医学』 ――こころの科学 2013年11月15日

「くすりにたよらない児童精神科」  姜 昌勲(きょうこころのクリニック)

くすりの処方を拒否したり、発達障害などない、親の療育で発達障害は防げるなどの間違った提言がいまだにあちらこちらでなされるのは、非常に残念なことです。NHKの番組でも、出演した医師(注・石川憲彦医師)が「子どものこころに寄り添えばいい」と語られていたのですが、そんなことは親も教師も百も承知です。

発達障害の子どもには、心情的に寄り添うことももちろん大切ですが、それ以上に、彼らがパニックなく生きられるようにするための具体的な構造設定が不可欠なのです。昔ながらのロジャーズの受容的共感というのも大切でしょう。しかし、「どうしたらいいか」具体的な行動指針がわからず迷っている子どもたちや保護者たちに、そんなものは屁の役にも立ちません。暗闇で迷っている人に「暗いねー、見えないねー、心細さはわかるよー、うんうん、ゆっくり歩こうねー」と無責任に励まし続けるようなものです。

それよりも、暗闇から出口を探し、明かりを灯し、「こっちの方向が出口だよ。さあ、あの光に向かって歩いて行こう!」と具体的な行動指針を示すほうが、一〇〇万倍も有効でしょう。出口まで歩いていくのは彼ら自身なのですから。

「こころに寄り添う」などときれいごとを言われ続けて疲弊している保護者の気持ちを考えてみましょう。これまで周囲からさんざんそのように言われ、子どもたちの行動の責任を親の育て方のせいにされているのです。適切な薬物療法を施され、行動が改善し、自信を取り戻し、親子関係や教師生徒関係、友人関係が回復し、社会で立派にはばたいている子どもたちの存在を忘れてはなりません。

 また、統合失調症やてんかん性障害においては、服薬の中断は致命的な結果をもたらします。再発を繰り返すと、ベースラインとなる社会適応レベルが下がっていくことになるのです。

 今現在、児童精神科を受診して、くすりを服用している子どももいるでしょう。「くすりにたよってはよくないのか」と子どもや家族の方々が過剰に不安に陥ることのないよう、願っています。





 この医師は、一昨年に放送されたNHKの番組に対して、ツイッターなどで、あの絵本作家の宮田雄吾医師とともに、かなりの「批判」を展開した人物です。

 その理由がここに書かれてあるのですが、こうした論理は、まあ、実によくある論理です。

「くすりにたよらない児童精神科」というタイトルですが、内容は「くすりにたよってはよくないのか」ということです。

 暗闇の中の光、それが薬物療法ということです。

 このような論理をお持ちの方(教師でも保護者でも)は、実際多いでしょう。一見もっともらしい理屈ではあります。

 こうした文章を読まれて、みなさんはどうお感じになりますか。

 そして、こういう論理で、子どもの精神科受診を迫られたとき、薬物療法を拒否したい親としては、どのように対応すればいいのでしょうか。(子どもは人質のようなもので、学校と喧嘩するわけにはいきません)。

実際問題として、そのことでひどく頭を悩ませている保護者は多いです。

実際、対応された方、またこんなふうにしてはどうかなど、案がありましたら、お知らせください。