ある女性(S子さん)からメールをいただきましたので、紹介します。

10年以上精神科に関わり続けているS子さんの婚約者についての話です。

S子さんが彼に出会ったのは、一昨年のこと。彼は5年ほど前に統合失調症という診断を受け、以下の薬を飲んでいたといいます。



エビリファイ錠 3㎎(朝、夕食後 各1錠)

ヒルナミン錠 25㎎(夕食後と就寝前 各1錠)

ルーラン錠 8㎎(朝、夕食後 各1錠)

ピーゼットシー糖衣錠 2㎎(朝、夕食後 各1錠)

 以上抗精神病薬、CP換算440㎎


アキネトン錠 1㎎(朝、夕食後 各3錠)――抗パ剤

ピレチア錠 25㎎(朝、夕食後 各1錠)――抗パ剤


アナフラニール錠 25㎎(就寝前 2錠)――三環系抗うつ薬


リボトリール錠 1㎎(夕食後 各2錠)

ロヒプノール錠2 2㎎(就寝前 2錠)

ベンザリン錠5 5㎎(就寝前 2錠)

ハルシオン 0.25㎎(就寝前1錠)

デパス錠 1㎎(夕食後 1錠)

ソラナックス 0.4㎎(夕食後 1錠)

 以上ベンゾジアゼピン系薬物


マイスリー錠 10㎎(就寝前 1錠)

ベゲタミン-B配合錠(就寝前 1錠)


オメプラール錠20 20㎎(就寝前 1錠)――胃腸薬

プルゼニド錠 12㎎(就寝前 2錠)――便秘薬

その他、頭痛薬(SG顆粒)、胃薬



これだけの量の薬を処方する医師も医師ですが、彼とS子さんが減薬を望んで(そのころ二人は一緒に暮らしていた)、昨年ある病院に入院をしたところ、なんと睡眠薬以外の薬をほぼ一気断薬させられたというのです。(昼間はエビリファイのみ飲んでいたが、それも退院後約2ヶ月で処方されなくなった)。

入院は1か月の予定でしたが、院内でトラブルがあり(彼は被害者)、早期退院となり、その後は、同系列のクリニックに月2回通院するということが続いていました。


(S子さんのメールから)

「(薬を飲まなくなって)不安がっていました。それから、人格が少しずつ、変わってしまったというか……。

意志のあまり強くない人なので、離脱、禁断症状が辛いと言って、合法ドラッグに手を出しました(覚醒作用のあるもの。)主治医にもリタリンが欲しいなどと言っていました。

人格は、どんどん変わり、そしてうつ気味になっていきました。

薬がほしくてほしくて仕方がなかったようです。

そして、「母親が心配してるから一度実家に戻るね」と言い残し、その日から、音信不通になりました。」



何とか彼を立ち直らせたい

S子さんは、彼に出会った時から、あまりの薬の量の多さに驚き、何かできることはないかといろいろ探して、分子整合栄養学に出会ったといいます。自分なりに栄養学を勉強し、ビタミン、ミネラルやナイアシンなどさまざまなサプリメントを取り入れて、食事もこれまでのジャンクフード生活を一掃。玄米とお味噌汁は毎日作っていたといいます。

生活もS子さんのリズムに合わせ、朝起きて食事をきちんととり、夜は眠る規則正しい生活にしました。

そんなある日のこと、彼が夜中に突然泣き出したことがあったそうです。子どものように体を丸めて、ボロボロと涙を流しているのを見て、S子さんは食生活の改善などが彼に正常な思考や感情をよみがえらせたのではないかと思ったといいます。

S子さんは婚約者として彼のことについて主治医とも話し、薬の量が多すぎるということで、減薬(断薬)に踏み切ることになったのですが、断薬後も、最低2年は食事、栄養療法を頑張っていくつもりでした。



(S子さんのメールから)

「でも、禁断症状の辛さから、合法ドラッグに手をだしてしまった。

私はそれを、主治医に何かあったらと社交辞令でもらっていた名刺のアドレスにメールしてすべて報告しました。

処方薬のだるさを取るため、合法ドラッグを使い、合法ドラッグが脱けるときの離脱症状、禁断症状が辛くて処方薬を飲んでいるので、「真実」を理解して、きちんと治療してくれと。

その結果、私が彼に「依存」している?と思ったのでしょうか。主治医は、私と彼を会わせない方がいい、と母親に言ったようです。」


そして、彼はS子さんの元を離れ、今は母親の近くで、1人で生活しているようですが、もう半年以上連絡が取れない状況です。それでも、S子さんは、携帯と彼の母親と弟さんの住所はわかっているので、月に1度メールをするか、家に残ったままの季節ものの彼の衣類を送ったりしています。

しかし、婚約者とはいえ、家族ではない。だから、これ以上踏み込むことはできない……。彼の母親は、息子がS子さんのせいでおかしくなったと思っているかのような対応で、完全無視と言います。



誰かのために生きること

「私は、アカシジアがひどく、いつもぼんやりした表情だった彼に初めて会ったとき、「この人を誰が救って上げるのだろう。私の宿命なのではないか」と思ってしまったのです。

 当時、彼は統合失調症と診断がくだり、生活保護を受け、グループホームで生活していました。私は、生活保護を切り、自分が(安定した職業なので)彼を全部受け入れるつもりでした。

しかし、助ける、という言葉は適切ではないかもしれません。人が人に出来ることは、「許す」という行為だけですから。

彼の場合、そもそもの始まりは、10代でマリファナ、ケミカルのドラッグにはまったことです。多分コレが、父親が通っていた心療内科へ連れて行かれたきっかけでしょう。

私はそういう彼も受け入れてきました。そして、断薬し、苦しくて合法ドラッグを使った彼も受け入れてきました。

弾みで打ち身やケガもさせられました。

それでも、何年かかっても、「食事」「生活リズム」を正常にすることで、ときおり見た、本来の彼に戻ってもらいたい、本来彼が生きるべきだった人生を一緒に取り戻したい、と思うのです。

友人たちからも、「被害者になってまでかばう必要はない」「そんな人間もその家族も記憶から消せ」「捨てろ」いろいろと言われました。

ただ、私の母と弟は私の話をすべて理解してくれ、私の生き方、私らしい、と認めてくれました。

彼も私も両親の離婚を経験しています。

私はほぼ家庭内別居、男尊女卑の父から、言葉の暴力を受けて育ちました。何で私は女なんだろう、どうしてこういう父親なんだろう。私はどうして産まれてきたんだろう。

その事をずっと考え生きてきて、『路傍の石』の中の言葉に救われました。


たったひとりしかいない自分を、

たった一度しかない人生を、

ほんとうに活かさなかったら、

人間、生まれてきた甲斐がないじゃないか。


誰かのために生きることも自分の人生だと思うのです。そして、生き甲斐にも繋がることもあります。

ドラッグ(マリファナからケミカルまで)が出発点だったので、彼は自業自得と言ってしまえばそれまでですが、最初から心療内科などに行く必要性はなかったのです。

私にとって彼は入籍こそ間に合わなかったけれど、家族同様の気持ちです。彼の中ではもうプロポーズしたことも、私の母と話したこともどうでもいい、忘れたい記憶でしょうが、今、正常ではない彼を見捨てるようなことは、やはり私の生き方ではないんです。

自分が生まれて来て、何かこの世で役に立てれば。今、自分が生きていることに意味を持たせることが出来るのです。

彼の家族にも、もっと勉強して欲しいですが、医者まかせ、本人まかせ……。そして今、自宅の離れで自由にさせているようですが、本当に悲しいです。本人を軽く軟禁しているようなものです。知識のない親、兄弟、親戚、そして自覚のない本人。世間体ばかりを気にする家族。

彼が本来生きるべきだった人生を一緒に取り返す。

これが今の私の心の支えです。」



重なり合う問題点

ここには多くの問題が横たわっていると感じます。

まず、彼と薬物(マリファナ等)の問題。そこから精神科薬へとつながっていったこと。

しかし、あの驚くべき処方量は、違法薬物問題を凌駕するほどの合法薬物問題であろうかと思います。

そして、それを一気に断薬してしまう乱暴さ。

その離脱症状の辛さから再びドラッグに手をだし、その禁断症状に処方薬を飲んでしまうという悪循環……。

主治医がS子さんを彼から引き離すように母親に助言したのは、もしかしたら、彼女が物事の核心を突いてしまったからかもしれません。何も言わず、おとなしく、自分の「治療」に従う彼と彼の家族とだけ、医師は関わりたかったのかもしれません。

私は最初、S子さんからのメールを読んで、やはり彼とは距離をとった方がいいのでは、という意見でした。まだ結婚していない……という思いもありましたから。

それでもS子さんは以上のようなメールを書いてきました。

今、正常ではない彼を見捨てるようなことは、やはり私の生き方ではないんです」

 今は、それでいいのだと私も考えが変わりました。S子さんがそこまでいうのなら、もう何も他者が言うことはありません。それがS子さんの納得する人生なら、応援したいと思います。