44歳の女性(仮にK子さんとします)から、切実なメールをいただきました。
薬を飲み始めて5年。しかもこの1年というものは、じつに多くの薬(20種類)を医師に試され、現在はその副作用なのか離脱症状なのか、ともかくかなり状態が悪化してしまいました。
彼女からのメールを紹介します。
「わたしは5年前、職場での密な人間関係や上司との関係、任された仕事が多かったこともあり、軽い燃え尽き状態だったと思います。でも、今と違い、食べていたし、眠っていたし、仕事もしていました。
今、1人で外出できず、運転できず、味もわかりません。音過敏、映像への恐怖、ぐるぐると自分を責める自動思考が始まります。
息子と娘が泣いている幼い頃の姿がリアルに浮かび、手に触れたように感じます。なのにこの1、2年の記憶があまりありません。
睡眠薬に耐性がつき、常用量ではぼんやりといい気分になるだけです。これでは薬物中毒です。止めたくても自力では全く眠れません。
1人で置けないと判断され、付き添われて実家にいます。今、睡眠薬でやっと治まってますが、毎日、激しい離脱症状があります。明日、生きているのか? 味がわかり、体が動くなら生きていたい。パニックがなく、服薬しなくて眠れるなら生きていたい。
5年前、カウンセラーに話して、抑うつ状態と言われました。医者に会い、はじめは休職せず投薬のみでスタートし、8ヶ月後に初めてパニックを起こして休職しました。薬を飲むまでこんなパニックの経験はありません。医者に駆け込みました。
わたしは薬を飲めば悪くなり、医者は苛立っていきました。
今思い出すと視界に花火のような物が見え、激しい頭痛が起きて、何かわからず眼科へ行きましたが、あれはパキシルの影響だったと思います。頭痛も肩こりもほとんど経験がありませんでした。生理が半年止まったのはドグマチール。
眠れなくなりマイスリーから始まり、リスミー、ロヒプノールと増え、起きられなくなりました。メイラックスを途中から出されて、何の薬か知らず3年以上飲んでました。初めは怖い物がなくなり、気が大きくなり、だんだんぼんやりと細かいことができなくなり、好きだった編み物やお菓子作りも一切できなくなりました。娘の運動会さえお弁当がやっとで、眠っていました。
抗不安薬メイラックスも睡眠薬リスミー、ロヒプノールもベンゾジアゼピンであり、耐性と依存があります。始まりの量では効かなくなりました。抗うつ薬にも副作用と離脱があります。それを知らないでわたしは何度も心の専門家であるはずの医者に頼りました。
「悩んで落ち込んでるけど、まず3ヶ月休む?」との問いにびっくりして「とんでもない、休みません!」というほど元気なわたしに薬は要らなかった。休まないと言ったわたしに医者は満足そうに「よし」と言い薬をだしました。「太るかもしれない」とだけ言って。
自分でもネットでやって、あれ、大変、わたし「うつ」だと思ったあのチェック。あれがいけなかったんです。わたしが大げさだから、二週間落ち込んでるからうつ病にされました。わたしに薬は必要なかったと思います。
もし医者が聞いてくれていたら。効くかどうかわからないが、脳に作用しますよと。判断力がゆっくりなくなり、車の運転が出来なくなるかも知れず、依存性があって止めにくいけど飲んでみる?
わたしはそんな説明受けていない。太るかもしれない、元は胃薬だから。それだけです。ダイエットしなくちゃ。バカだからそう思いました。医者がだす薬で、明日死ぬか生きるかなんて目にあうなんて思わなかった。
セカンドオピニオン含め6人の医者誰もが精神科医という意味でチームです。薬出しても正しい減らし方を教えてもらえません。合うとか合わない以前に薬が問題だってやっと気づいたのが4月です。
出来たはずのことができず、眠れるわけでもなく、薬でただぼんやり、体も動かず、一番楽な姿勢をとってみたら胎児のようでした。ぼんやりしているのにささいな音に怯えながら生きて、出来たはずの家事や仕事を思うとき、わたしが生きている意味はひとつだけ。
大事な息子と娘がいるんです。自分たちを棄てたと思わせるなら、自分で楽にもなれない。大切な妹がいます。大変な思いをして育ててくれ今も頑張っている父母、せめてあと5年働きたい! 家族に元気になってまた会いたい。
眠れない、落ち込んだからと自分や家族に薬のませる医者はいるでしょうか?
わたしは心療内科の過剰診断、薬害だと感じています。矛盾だけど……もしいるなら本当に心療内科で治った人を知りたい、アドバイスが欲しいです。
飲み続けて良くならないから、止めたい。でも自分1人で耐えられない体のショックを体験してしまいました。乗り越える自信がないです。離脱があると認めてくれる専門家に減薬指導を受けたいです。
そして、健康を取り戻せると教えて欲しいのです。子供の力になりたい。送り迎えしたり食事を準備してやりたい、悩みを聞いてやりたい。贅沢でしょうか。」
離脱症状がわからず、次から次へと薬を出される
5年前、K子さんは精神科を受診して、うつ病と診断され、抗うつ薬を飲んできた。症状は改善せず、数人の精神科医を渡り歩いたが、結局どの医師も合う薬が見つかれば、よくなるはずというばかりだった。
1年前に、主治医の指示でサインバルタを減薬した。しかし、めまいやふらつき、過敏性が強まり――医師から離脱症状の説明もなく、もちろん本人も知らなかったため――病気が悪化したと思いあわてて服薬を再開した。
主治医は離脱症状で悪くなっていく(とくに動悸がひどくなった)K子さんに対して「のほほんとしてりゃいいんだ。脳なんてやろうと思えば何でもできる」と暴言を吐いたという。
K子さんは転院を決意した。しかし、その医師もまた離脱症状で調子を崩したK子さんに対して、「薬が合わなかったんだろう」ということで、大きな問題の起きなかったパキシルを処方(というのも、これが最初に飲んだ抗うつ薬で、まだその頃K子さんは元気だったからだ)。その後、さらにジェイゾロフト、ルボックスなど6種類の抗うつ薬を試され、またストラテラ、ジプレキサ、エビリファイ、レキソタン、デパス、ハルシオン、チスボン、コントミン……1年間で薬が次から次へと変わっていった。
「ジプレキサ、エビリファイで中枢神経をどうかしたとしか思えません。いくら食べても、泣きながら食べ続けました。じっとしていられずただ動き回る日もありました」とK子さんは書いている。
そして、今年の4月、薬への不信感から、K子さんはいくつかの薬を残して、後の薬をすべてやめてしまった。
現在は、ハルシオン、リスミー、ロヒプノールだけで何とか耐えているという。しかし、「死んだ方がまし」と思えるパニックへの恐怖心から、その兆候を少しでも感じると、マイスリー、ゾピクール(アモバン)(これはどちらも一応非ベンゾジアゼピン系)を頓服で飲んでしまう。
今は、自力で一睡もできない。味覚がない。時間や空間に異常がある。運転できなくなったのは1ヶ月前。
「わけがわからなくなるほどの苦しい全身症状が3時間続く日が何度かありました。耐える以外ないのですが、死ぬ以外ない、この苦しみで脳が破壊されそうです。今までは3時間でクタクタになって、そのあとちょっと楽な時間がきます。
今、途方に暮れています。なぜこんな目に合うのだろう、処方薬なのに。毎日、どうやって子供たちと家族を巻き込まないでいられるか考えながら、眠剤で気絶したような眠りと絶望感の目覚めです。」
今の主治医にこの苦しさを訴えると、「離脱は2週間で終わる」と言われたという。そして、K子さんが恐れている「全身症状」にも効果があるとして、抗うつ薬を勧めてきた。
家族も困り果てている。睡眠薬依存として入院を勧められている。
「今の症状など全くなかったのに。なぜ、やめた薬でこんなに今悪くなるのか? 時間が解決してくれるはずなのに、わたしはあとからあとから重ねてでてきています。
健康になった方々や、今、闘っていらっしゃる方々、本当にできると、存在しているという希望をください。
つらいけれど、これが現実で、耐えて、薬が抜ければ元に戻れるのでしょうか? 限界をこれからも越えていくのでしょうか?」