30歳の女性と何度かメール交換をしているうちに、彼女から、カルテ開示をするつもりだと知らされたので、お会いしてカルテを見せていただくことにした。

HNは何にしますか、と訊ねると、「意味がないような適当なのがいいのでXとか某とか」ということなので、Xさんということにする。

それで、Xさんに「なぜ、カルテ開示をしようと思ったのか」と質問すると、

「通院中の12年間の記憶がかなり曖昧だから」という答えが返ってきた。


18歳、ODで入院

Xさんが本格的に精神科に関わったのは(それ以前、高校生のとき一度だけ精神科かかかったが、そのときは一回きりで終わった)、今から12年前のこと。カルテはその年(平成13年)の1月からである。

(ある地方都市の精神科病院初診時)のカルテから――

「症状――幻覚、幻聴、希死念慮、過食、嘔吐、抑うつ気分など。

元来、内気で友人は少なく、変わり者と見られていた。

平成12年高校卒業後、実家を出て、単身東京でアパート暮らしをして、○○で働き始めたが、3ヵ月後、抑うつ気分、意欲低下、過食、嘔吐が出現し、やがて通勤できなくなり、制止も強く、日中寝ている状態となる。

実家に度々戻っていたが、症状改善せず、昨年の10月9日、都内の××クリニックを受診して、うつ状態にてドグマチール、リスパダールなど処方されたが、「頭の中で人の話し合う声がする」「足に猫がいたり、犬が自分の手をなめる」などの幻聴、幻視に加えて、わけのわからない「イライラ」のため、12月上旬には8針縫うリストカットを行った。

その後も大量服薬を繰り返すため、12月13日、当科受診。リスパダール増量により幻覚は治まったが、焦燥感が強く、平成13年1月、大量服薬を行い(東京の大学病院に)緊急入院となるが、同日、閉鎖での治療が必要とのことで、当院に医療保護入院となる。」

これがXさんの18歳当時(高校卒業後1年弱経過)の状態である。

それにしても、都内クリニックを最初に受診したときに、うつ状態ということで「ドグマチール、リスパダールなど処方」である。「うつ状態」であるにもかかわらず、(ドグマチールは別の意味合いもあるものの)2種類の抗精神病薬がさらりと出ていることに驚かされる。

もちろん、この病院に入院したときも、ドグマチール(50)3T、リスパダール(2)3Tが処方され、加えてレキソタン、アキネトン、ロヒプノール、LP(レボメプロマジン・ヒルナミン)(5)9Tである。

カルテにはさらに――

「両親へ、必ずしも自殺は防げないと伝える」とあり、自殺についてかなり用心していることがうかがえる。


Xさんのメールを紹介する。

「高校卒業後、就職し、一人暮らしをしていましたが、最初の会社がブラックで、月~土曜日の8:30くらいから23:00近くまでの勤務で、うつっぽくなり、退職しました。翌月には別の会社に入りましたが、日給5500円で8:30くらいに出勤、退社は20:00頃、という生活で、辛くなって心療内科に通いはじめ、職場に診断書を提出して休職退職勧告退職、となりました。高校生の頃から少しやっていたリスカが激しくなり、腱断裂するまで切って右手に添え木をされ、左手も切って両手に包帯、という時もあり、実家に出戻りました。実家にいても具合が悪く、入院したくても紹介された大学病院が満床で、入院のめども立たず、実力行使!とばかりに、処方されていた薬を全部飲みました。その為、別の病院の閉鎖に医療保護入院となりました。」

 診断名は「統合失調症」である。


両親との確執

 カルテを読むと、「精神療法」の欄には、Xさんの家族への感情を語った言葉が度々記されている。

「父……くどい。

 母……妹を大切にする。」

「父母に反抗している。それでも言いきれない部分を聞いてほしい。小さい頃の傷について、あやまってくれない。ただいま→返事がない。憎い……と母に言われた。親とは暮らせない。」

「死にたい気持ちについては、親との葛藤があったらしい。親に言われたことを思い出すと、これ以上は限界となってしまう。もう少し普通にしていれば愛されていたかもしれないと内省している。家での居場所のなさ、安心感のなさが一つの問題。」

「小・中学時代について、母親とのやりとり(葛藤)、いじめられたこと。母親に支えてほしかったのに、敵にまわってしまった。」


 多くが両親との関係での悩みである。

 実際Xさんに 会って話を聞いたときも、やはり両親との確執の話になった。

「両親は私のやることなすことすべてが気に入らなかったんだと思います。私が興味をもったことはみんな否定されました。本を読むのは小さい頃から好きで、中学生のころだったか、『戦争と平和』を読んでいたら、父親から「子供のくせに、背伸びをするな」と言われたて……本当は本が好きだったのに、読書の喜びを潰された感じです。おまえは暗いとか、よく言われたし……」

 かと思うと過干渉の部分もあり、高校受験はすべて親が決めた高校を受験させられたという。そして、成績のよかったXさんが大学に進学したいと言うと、自宅から通える国公立大学ならいいが、それ以外の大学なら、経済的に学費も生活費もすべて自分で何とかすることという条件を出された。学校では奨学金も勧めてくれたが、両親は大のローン嫌いなため一蹴された。

「大学生になっても実家から逃れられないのなら、行く意味ないと思って、就職することにしました」

 彼女には5歳下の妹がいるが、妹さんは東京で一人暮らしをしながら短大に通っているのだ。後に、そのことを親に問うと、

「あんたには大学に行ったのと同じくらいお金を使った、と言われました。精神科通院や入院の出費のことです。それと、大量服薬をしたときに何十万円かかったと具体的な金額も言われました」


 このように、親との関係について、Xさんはたまりにたまったものがある。再びメールの一部を紹介する。

体が丈夫な私と違って、か弱く、素直な妹は、ちょっと疲れたら体育は見学し、私は発熱がない限り休ませず、習い事もちゃんと通ってるのに「マンネリ」「怠けだ」とけなされました。妹といつも比較。それだけでなく、幼児期には実在するのかもわからない子供の話で、「ママの知ってる三歳の子は、朝ちゃんと自分で起きて、一人で着替える」とか言って説教される。

両親からは、ほとんど一日中説教(その大半が私の人格否定)ということもザラだったのに、妹はそういうこともなかったように思います。

学業においては学校の成績も優秀だったし、運動だってできたのに、平均を下回ることが多い妹は、そういうところも含めて素直で愛嬌があるから良くて、可愛くない私は出来て当たり前でした。

小学校は班登校が義務だったのですが、ある朝、またよくある父親の長ったらしい説教で班の集合に遅れそうになって、私が切り上げるような形で家を出て、班登校しているとなんと、最初にさしかかる交差点に父親が車で先回りして待ち構えてて、班から離脱させて話の続き。終わってから車で送ってくれるかと思いきや「走って班に追いつけ」。

父親には、小さい頃から遊びでも「本気」でやらされました。運動部に所属したことはないのに、ドッジボールは男子並み、バドミントンやバレーボール、バスケットボールなどは、その部活の部員レベルくらいにできます。早朝や、夜、休日に父親に特訓されたので。運動会の前にもスタートダッシュの練習をさせられたり……。

母親に「髪の毛が鳥の巣みたい」と厭味を言われるけど、毎朝5分程度、ただブラッシングするだけだった中学生の時に、父親から「鏡の前で何分も髪の毛ばかりいじって」と、「オシャレにうつつをぬかす女子」扱いで厭味を言われる。

成人してからも同級生を名乗る電話を「自分が知らない名前だから」と取り次がない。

遊び相手ができる度、その子の親の職業など、直接その子に聞かないだけマシだけど私にいちいち、家庭環境などを聞き、自分が気に入らないところがある子の悪いところを私に言う。

私が遠出する際に、「その地に近いところに住んでる知人に会う」と話しただけで、相手の名前だけでなく、住所・電話番号ほか、個人情報を明かさなきゃ会わせないと主張(相手ドン引きでもう交流がなくなった)など。

幼稚園でお遊戯会みたいなものがあってステージに立った時、私の役柄が星かなにか背景同然だったにもかかわらず、何故か私は、はしゃいで跳びはねてしまって、帰宅してから母親に「バカみたいに跳びはねて」と批難されたり、お店のゲームコーナーの床に剥きだしだったコードに躓いて転んだ時に他人のフリして離れ、後から「何もないところで転んでバカみたい」。」


ずっと自殺願望があった

 自分は両親から愛されていない、という思い。自分はいらない子、という思い。

 Xさんの中でその思いが消えることはなかった。

 だから、物心ついたときからすでに自殺願望があったという。生きていても仕方がない、消えてしまいたい。

中学時代に出てきた摂食障害という症状も、食べることへの罪悪感、それは言ってみれば、生きていることへの罪悪感だろう。

しかし、親の過干渉もあり、食事をしないわけにはいかなかった。だから、食べたくない食物を無理やり口に押し込んで、そのあと嘔吐を繰り返し、左手の甲には吐きダコができていたという。

そうした重い心を抱えながら、リストカットをすることで何とか生きてきた。言い方が矛盾するが、リストカットをすることで、Xさんはイライラした心が多少なりとも和らぐというのだ。そして、「自分は弱い人間だと思うが、こんな痛みに耐えることができる強い人間だとそのときは思えるから」と。

左右両手をリストカットし、両手に包帯を巻いたこともあるというが、その姿はあまりに孤独で痛々しい。

深く切って、縫うこと8回。

また、ODで胃洗浄すること3回。(そのうちの1回の処置について、母親から費用がいくらかかったと言われたのだ)。

そうやって、Xさんは自分の体を痛めつけ続けた。


発達障害? いじめにあう

 診断は受けていないが、Xさんは自分はおそらく発達障害だと思うという。

 なぜ診断を受けないかというと、診断の際両親からの聴取が必要と医師に言われたからだ。

「親が医者に何を言うのかを考えると、絶対に親の同席は嫌です。私について親がどう思っていたのか、それを知れば、もっともっと傷つくことになる」

 発達障害だと思うのは、Xさん自身小さい頃から、自分は他とはちょっと違っているという自覚があるからだ。

 メールにはこんなふうに書いている。

「自分が発達障害だと思うのは、子供の頃から要領が悪く、幼稚園の帰りに、他の子がみんなお母さんに手作りのなにかをプレゼントしてる時に、私はそういった物を持ってなくて、みんながなんでそうしてるかもわからない、プレゼントを作った記憶も、渡すよう指示された記憶もないとか、そういうことがありました。

また、学校で健康診断などのイレギュラーな行事で、普段と違う行動をする時に、クラス全員で移動した後に、検診などが終わって各自で教室に戻らなきゃならない時に、次の動作がわからない、普段使わない教室から、自分の教室への帰り方がわからない、などがありました。

高校生の時からバイト代わりに親の手伝い(自営業をしているので)をしてても、仕事の効率が悪く、「メモしろ」と言われてもメモの取り方がわからない(図や絵も描けない)、メモをとってもどこに何を書いたか覚えてない、ちゃんととったはずのメモが間違ってる、などがあります。」

さらに会ったときに訊ねると、マネキュアをするのに2時間かかったり、なぜか「ケンジ」という名前が嫌いだったり、人の体に触れることができない……おそらくそれは「こんな私があなたに触ってしまってごめんなさい」という究極の自己否定があるためと彼女は分析している。(ただし触れられるのはOK)

図画工作はまるで駄目。

過集中で、声をかけられても気がつかないときがある(それで無視していると受け取られて、嫌われてしまったところもあると思う)。

感覚に鈍いところがあり、つい最近まで自分が「猫舌」であることに気がつかなかった。

そのくせ、過敏性もあり、炭酸が飲めない、掃除機の音がうるさい等々。

言葉を文字どおりに受け取る傾向がある。

中学時代、外出するのが嫌だった。なぜなら、周囲の目が気になり、どういう服を着ていけばいいのかわからなかったから。

学校の先生に対して、おかしいと思うことがあると食ってかかる。等々。

そして、とにかく、小学校、中学校時代はほとんどいじめにあっていた。

「菌」と呼ばれていた。すれ違いざまちょっとでもXさんに触れると、相手はあからさまに洋服をはたいてみせたり、彼女がよそった給食は誰も受け取りたがらなかったり。

班分けのときは最低だった。仲間はずれ。あまった人たちだけが入るグループに入るのが習わし。

中学時代、班行動がほとんどの修学旅行には絶対に行きたくなかったので、そのとき逃げ道としてXさんは精神科を思いついた。医師の診断書があれば、行かずに済む。

実際、それより前から、いじめ、家庭での親の非受容的な態度に晒されていたため、うつ状態だったのは確かだ。何もしたくない、好きな音楽にさえ興味が湧かない。病院嫌いな親を説得して、何とか病院に連れていってもらい、診断書を書いてもらって、修学旅行は行かずにすんだ。

高校時代、あからさまないじめはなかったが、どうやって友だちを作っていいのかわからない。誰のことを友だちと呼んでいいのか(思っていいのか)わからない。休み時間はトイレにこもった。

ともかく、家にも学校にも居場所がない感じ……。