昨年の3月に「裁判で争われる医療保護入院」と題して、ヘンリーさん(現在30歳)の裁判について伝えたが、実はその後、その記事に関して、相手側の弁護士から、弁護士の書いた文章を引用しているとして、「著作権」が主張された。その点に関して、こちらがあえて突っ張る必要もないので、エントリそのものを取り下げることにしたのである。(途中で消えてしまった記事について問い合わせをいくつがいただきましたが、そういうわけでした)。

 したがって、現在もその記事は「公開」していないので、はじめてこれを読む人は詳細がわからないかもしれないが、ヘンリーさんの裁判(高裁)、実は、昨年の11月22日に判決が出たのである。判決文を読んで、怒りのあと襲ってきた脱力感をどうしようもなかった。


大まかに紹介しよう。


まず、「公開」していない記事を要約すれば、こういうことである。

家庭内のいざこざの果て、母親が精神科病院に相談に行き、数日後、ヘンリーさんは救急車で搬送され、そのまま医療保護入院となってしまったのだ。

当時ヘンリーさんは鼻の病気を患い、非常に体調が悪かった。入院当日も自室で横になっているところに突然救急隊員がやってきたのである。ヘンリーさんとすれば、体調がひどく悪いので救急車が呼ばれたと思い込み、いわれるまま、自ら救急車に乗り込んだ。鼻の治療のための病院に行くものと、まったく疑いもせず、救急車内では静かに横になっていた。しかし、着いた先は、母親が手をまわしておいた精神科病院だった。

10人ほどの看護師がヘンリーさんを迎え入れ、そのまま医師の診察。有無を言わせぬまま、注射をされ(全裸にされ、拘束、導尿カテーテルが装着された)、その一時間後には電気ショックを施されていたのである。

入院は3週間に及び、その間、電気ショック(ECT)は6回施行。向精神薬の大量投与も受けた。


以下、ヘンリーさんの訴えと、それに対する高裁の判断を述べていく。



医療保護入院の違法性

① 誤診の問題

ヘンリーさん側の主張は、まず、救急搬送された際に、主治医がヘンリーさんを精神障害者であると誤って診断をしたというもの。つまり、そもそも病気ではないので、医療保護入院は必要ではなかった(違法である)という主張である。

しかし、判決では、これを認めていない。

そこには彼を精神科病院に入院させたがっていた母親の証言が大きく物を言っている。母親の証言によって、ヘンリーさんは医師からアルコール中毒、薬物中毒と見なされ、統合失調症の疑いがあるとされているのだが、判決ではその診断は「問題がない」となっている。

ヘンリーさんは、この入院を挟んで3人の医師の診察を受け、いずれも「精神疾患は認められない」とする陳述書を提出しているが、これも認められなかった。

なぜなら、問題はこの日のことであり(その前後に行われた診断は無関係ということだ)、母親から救急車の出動要請を受け、ヘンリーさんは緊急を要する患者として搬送され、到着後「滅裂、興奮の症状が顕著となり、指定医として、早急に医療措置を決定しなければならない状況であったことが認められるのであり、医師が救急外来したヘンリーさんを、母親からの情報、入院当日の診察時におけるヘンリーさんの言動から、精神作用物質使用による精神障害、統合失調症の疑いがあると診断し、入院加療が必要であるとして医療保護入院の措置を取るべきであると判断したことは妥当」であるというのである。



② 任意入院の説明がないこと

医師はヘンリーさんに任意入院の説明、説得をしなかったが、これも、当日のヘンリーさんの様子から(といっても、あくまでも医師が主張する彼の様子……滅裂、興奮、被害妄想……である)精神保健福祉法22条の3の任意入院が行われる状態にはなかったと判断された。つまり、ヘンリーさんは病識に乏しく理解が得られなかったため、母親の同意を得、また、口頭、文書でヘンリーさんにも医療保護入院の説明を告知したことが診療録にも記されているとしている。



③ 母親が入院を同意していることについて

対立関係にある母親が医療保護入院の同意をする資格がないとの主張に対しても、判決では、母親の資格を認め、対立関係の有無については精神科病院側が判断することではないとしている。



④ 看護師の行為

入院時、看護師がヘンリーさんに対して違法、不当な「有形力の行使」をしたと主張するが、その証拠がないとして、しりぞけられた。



入院中の診療行為の適法性

① 理由なく拘束したことについて

 判決では、この部分についてのみ、被控訴人(主治医)の不法行為を一部認めている。つまり、ヘンリーさんが不穏状態であったときの拘束は適法だが、その後、彼がほぼ平穏な状況に戻ったにもかかわらず、拘束を続けたことは「違法であり、過失があったといわざるを得ない」としているのだ。

 

② 理由なき隔離、監禁について

 この違法性は認めていない。

 医師はヘンリーさんが入院時、不穏、せん妄があり、母親の説明から、ヘンリーさんが両親に暴言、暴力を振うとの情報を得ており、他の患者に対する暴力行為や自傷行為を防止する必要があった。さらにヘンリーさんを刺激の少ない静かな環境の中において、そうした症状を緩和させ(つまり隔離することで症状が緩和できると考えて)、ECT療法や薬物治療を実施して、その後のヘンリーさんの変化をきめ細かく、かつ注意深く観察し保護することが必要であると判断したものと認められるので、主治医がヘンリーさんを数日間にわたって隔離した行為は、不法行為には当たらないというのである。



③ ECTについて

ECTについて、判決ではこう述べている。

「……タブー視された時期もあったが、薬物治療抵抗性の精神疾患が問題とされるなかで、近年再評価されている療法である」

 記憶の障害についても、数日から数週間で消失し、重篤な副作用や死亡は5万回に1回程度として、その安全性を裁判所自らが認めている(相手側の弁護が出した資料をそのまま信じるかたち)。

 したがって、診察時、ヘンリーさんが不穏状態に陥ったとして、ECTを実施したことに過失はなく、不法行為とすることはできない。

 また、1回目のETCは診察から1時間後に行われているが(十分な検査、措置がなされたかどうか?)、これもヘンリーさんの当日の症状から、治療の緊急性が認められるので、不法行為には当たらないとしている。(ここで、判決ではこう述べている。「結果的に特別な問題もなく施行され、治療が終了したことが認められるから」――結果的に何もなかったからこれは不当ではないという論理は、普通の感覚で考えると、非常に理不尽に聞こえる……それなら、何か障害が残った場合、はじめて不当ということになるのだろうか? これはどう考えても論理的とは言い難い)。



④ 大量の向精神薬投与について

 ヘンリーさんは当日、被控訴人(主治医)によって滅裂、興奮、被害妄想状態と診断されているので、その改善のための治療として、これも認められる。治療行為が人権侵害に当たるなどと認めるに足る証拠はない。


以上のことを踏まえて、判決では、身体的拘束の違法性を認めて、被控訴人は控訴人に、慰謝料○十万円を損害賠償として支払え、というものである。



判決から感じたこと

 この判決文を読んで、私は背筋の寒くなる思いに駆られた。

 耳鼻科の治療をするつもりで救急車に乗り込み、突然、その病院の大勢の看護師に連れられて主治医の前に連れていかれ、生年月日の確認をしただけで、すぐに注射をされそうになったら……。

 誰でもパニック状態に陥り、わめき、否定するに違いない。場合によっては、暴れることだってあるかもしれない。そうなるほうが、平然としているより、むしろ「正常な反応」といえるだろう。

それを、一人の医師の一方的な判断で、「滅裂、興奮、被害妄想――被害妄想とされたのは、以前からヘンリーさんと母親の間に確執があり、精神科に連れてこられた時点で、ヘンリーさんには母親にはめられたとの思いがあったため、そうした発言をしたのだが、医師はそれを被害妄想と受け取ったのだ――」と決め付けられ、統合失調症として隔離、拘束、ECT、薬物治療等が施された。

判決ではそれを、身体拘束の一部を違法としながらも、他のすべての治療行為を、ヘンリーさんは病気であったため医師は当然の処置をしたまで、として「適法」としている。

しかし、ヘンリーさんが被控訴人(主治医)に会ったときは、まだ平穏であったのだ。それは救急車の中でも同様で、何も暴れて手がつけられなくなって、精神科に連れてこられたわけではない。彼は、医師が注射器を持ちだしたとき、恐怖に襲われ、はじめて、あえていえば「不穏な状態」になったのである。

なぜ、裁判所はそこを見ないのだろう。医師の主張のみをなぜそのまま受け入れるのだろう。

この判決が意味しているのは、ヘンリーさんのような状態で精神科に連れてこられた人のほぼすべての人間が、「精神障害者」とされ、「治療」と称して、何をされても、それを甘んじて受け入れるしかなくなるということだ。

そして、抵抗すればするほど、否定すればするほど、拒否すればするほど、底なし沼に足を取られたように、ずぶずぶと底に引きずり込まれることになる。

そもそも判決では、医師の診断を100%認めているのである。3人の医師が、ヘンリーさんに精神障害はないとしているにもかかわらず、判決は、この被控訴人の診断を受け入れ、すべてそれを前提にして判決を下している。したがって、ヘンリーさん側としてはそれ以上の主張は不可能となる。ヘンリーさんは精神障害者であるから、治療はすべて適法――診断して1時間後のECT施行も、薬物の大量投与も、隔離も、最初の拘束も、すべてOKということだ……。


日本は、なんと恐ろしい国なのだろう。


しかし、この判決の矛盾……例えば、前述、赤字で記した部分だが、ECT療法や薬物治療を実施して、その後のヘンリーさんの変化を主治医はきめ細かく、かつ注意深く観察し、保護することが必要であると判断したものと認められる……とあるように、主治医はヘンリーさんをよく観察し、保護が必要と考えていたので隔離した、というのである。しかし、もし、本当に注意深く観察していたのなら、なぜ、ヘンリーさんが平穏を取り戻したことがわからず、そのまま拘束を続けたのか、裁判所はそこに過失を認めて、慰謝料の支払いを命じているにもかかわらず、なぜ、主治医が注意深く彼を観察していたと、隔離の部分だけ認めるのかわからない。

拘束を続けたのは、医師がヘンリーさんを注意深く観察していなかったからではないのか(それとも、平穏になったが、ついうっかり拘束を続けたというのだろうか、判決はその「ついうっかり」を過失としているということだろうか。そんなバカな。ついうっかりを犯す人間は、他でも決して「きめ細かく、かつ注意深く観察」などしないものである)。したがって、隔離においても、ヘンリーさんを「きめ細かく、かつ注意深く観察していた」とは言い難いのではないだろうか。これは明らかに自家撞着に陥っているといわざるを得ない部分である。



それにしても、精神医療に関する裁判の難しさを痛感する。

今回の判決は、一部拘束の違法性を認めることで、単にお茶を濁しただけと言えなくもない。ここまで明らかな事例でさえ、判決はこのような結果である。

だとすれば、こうした被害者はどこに怒りをぶつければいいのだろう。何のための、誰のための法なのか?