去年の3月、「強制入院させられた当時17歳の少年」としてブログで取り上げたサトシ君。http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10841002735.html

 高校2年生のとき、教師へのちょっとした口ごたえから精神科受診となり、診察中逃げようとしたところを取り押さえられて、ヒルナミンの筋肉注射をされ、そのまま保護室に入れられた。

 入院は1か月ほどだったが、その後の2年間、彼はほとんどひきこもりの生活を続けている。あまりに頻繁にリストカットをしてしまうので、通販で手錠を買い求め、自らを縛り付けたこともあった。母親を殴ってしまうので、自分から110番通報したこともある。

 自分の体が自分のものでないような感覚に襲われて、外に出ると衝動的に自殺をしたくなったり、人を殺したくなったりするので、、外へはほとんど出られない……。


 じつはサトシ君とはブログ掲載後も何度も電話で話をしている。先日も電話があったが、状態にほとんど変化はないようだ。いや、さらに悪くなっているということだろう。

 そのとき彼は、閉鎖病棟の電話室から私に電話をかけてきたのだから。

 電話をもらう少し前に、メールがあり、こう彼は書いていた。

「自分は何があっても負けたくないです。

あと2カ月で21歳になってしまいますので、9月中に僕の内容をブログに記載して頂きたいのですが、お願いできませんか??

自分は成人式にも出る事ができずに、20歳の記念がひとつもないので、せめて生きている証だけでもブログで確かめたいのですが……。」


自殺衝動がとまらない

17歳で退院してから、サトシ君は近くのクリニックに通院し、PTSD的状態(解離、パニック状態から)と医師に言われ、症状を抑えるためずっとランドセンを処方されていた。しかし、症状(特に自殺衝動がひどい)は飲んだとき「なんとなく効いたような気がする」程度で、改善の気配ない。この異常な状態を何とかしたい。

そこで彼は、数か月前、親に内緒で、別の病院の精神科を受診した。その病院での診断は、まず統合失調症ではない(17歳で入院させられたときは、統合失調症の診断だった)と言われ、「家族関係に問題がある」として「適応障害」という診断名がついた。そしてリーマス(リチウム塩・気分安定薬)が処方された。

しかし、3週間ほど飲んでも何の効果もなく、かえって呂律が回らなくなるなど副作用が出て苦しい状態に陥ったため、服薬を中止した。

その後再び、激しい自殺衝動が出てきてどうにもならず、やむなく彼は自分で救急車を呼んで別の病院へ行った。入院したいと思ったが、医師は入院の必要なしとして、彼をそのまま帰宅させた。

それが7月のこと。家に戻ってから、彼は私に電話をかけてきたのである。


サトシ君の話し方は非常に丁寧である。「申し訳ございませんが、一面識もない○○様に(彼は私のことを、苗字に「様」をつけて呼ぶのが癖だ)このようなことを言っていいものかどうか……」というような言い方で、自分の辛さ苦しさを(しかしそれをどう表現していいのかわからないといった感じで)語り続けた。

とにかく、自分が自分でないような感じ。自殺衝動がものすごくて、飛び降りが一番怖い。操り人形みたいになって、勝手に飛び降りてしまいそうで、もう自分でも止められない、それが何より怖くて……。


苦しくて、交番に駆け込んだ

私に電話をしてから5日ほど経った頃、またしても「ものすごく苦しく なって、自殺しそうになって」、サトシ君は思わず家を飛び出したという。夜の10時過ぎ。

目についた交番に駆け込んだが、そこにお巡りさんがいなかったため、近くの焼肉屋に走っていった。「助けてください!」

焼肉屋のご主人が彼を交番まで連れていってくれた。そして、デスクの上の電話でお巡りさんを呼び出した。

サトシ君はお巡りさんに切々と苦しさを訴えた。精神病院でひどい目にあったことも、薬を飲んでいることも、自殺しそうになってしまうことも、正直にしゃべった。いつしか4人のお巡りさんが彼を取り囲んでいた。

2時間くらい話を聞いてくれただろうか。困ったなと同情を示すお巡りさんもいた。しかし、しばらくすると、背広を着た強面の男の人(警察の人)2人が加わって、サトシ君に厳しい目を向け、荷物検査を始めた。「家の人にも連絡をするので、電話番号を言いなさい」。

途端に怖くなったサトシ君は「帰らせてください。もう自殺するとか言いませんから」と言ったが、「いや、ダメだ」と警官は言い、突然、両脇から腕を組まれた。

「病院へ行こう」

 見ると、黒っぽい車が用意されていた。サトシ君は背広姿の男2人に挟まれる形で後部座席に押し込まれたのである。制服を着たお巡りさん4人も車に乗り込んだ。

 彼はパニックを起こしそうになった。このままだと大暴れしてしまうと感じたサトシ君は「薬を飲ませてください」と頼んだ。ランドセンは警官に取り上げられた荷物の中に入っている。それを飲めばなんとかパニックを起こさずに済みそうだと思ったのだが、警官の一人が「おまえ、薬依存になってるな。絶対にやらん」。

 それで結局、キレてしまった。後部座席で大暴れが始まった。前の座席の背を思い切り蹴飛ばす。押さえつけられた腕をふりほどいた。すでに動きはじめていた車は、彼のあまりに激しい抵抗に、20メートルくらい行って、すぐに停まった。

 そのすきに、サトシ君は警官を押しのけて、車から飛び出したのである。振り返ると、どこから来たのか、いつの間にか警官は7、8人にも増えていて、全員が彼を追いかけてくる。

 サトシ君はあえなくつかまり、手錠をかけられた。以前、衝動を抑えるために、通販でおもちゃの手錠を買って自分を拘束したことがあったが、今度は本物の手錠だった。

「おまえは何も悪いことをしていないけど、薬依存になっていて、大暴れしているので、手錠かけさせてもらうかなら」と一人の警官が言った。

 それでも彼はおさまりがつかず、体を動かそうとしたが、どうにもならない。すると、以前もそうなったように幽体離脱のような感覚に陥りはじめた。このままだとたいへんなことになる。彼はじっと目を閉じて、こらえていた。

 誰かがタンカーを持ってきた。タンカーには拘束のための帯がついている。拘束は嫌だ、タンカーだけはどうしても嫌だと言い張り、それは認められたが、今度は幾人もの警官によって体中を押さえつけられ、頭、胴、足を持ち上げられ、そのまま前より少し大きめの車に乗せられた(救急車ではなかった)。その間もパニック発作が起きそうになったが、何とかやり過ごした。

 着いた先は、もちろん精神科病院である。

 そのとき、警官は15人くらいに膨れ上がっていた。警官総動員しての、「ヤク中」護送というわけだ。

サトシ君は怖くなり、「帰りたい」と言ったが、「だめ」の一言で却下。

恐る恐る「強制(入院)になる?」と訊ねると、

「そうだろうな」

「措置?」

「たぶん」

 警官の見込みではそういうことだったが、彼を診察した医師は「君がそんなに苦しいなら、任意でいい」と言ってくれた。

 サトシ君とすれば入院そのものが不本意だったが、これ以上抵抗すると、17歳のときに経験した保護室にまたしても入れられると思い、しぶしぶ入院同意書にサインをした。

 それでもサトシ君はあのような形で入院になってしまったことがどうしても納得できず、医師にかけあい、1週間で退院。任意だったので、それが可能だったというわけだ。

入院中はSSRIと睡眠薬が出ていた。医師が言うには「自殺衝動があるから、抗うつ薬と睡眠薬を飲まなければ危ない」とのことだった。

 しかし、退院して家に戻ると、母親が薬に関しては否定的だった。17歳のとき、薬の副作用で母親への暴力が出たことがあったからだ。両親が病院に電話をして、薬は飲ませない旨伝えると、医師は「薬を飲まなければ彼は治らない」と言ったという。

 それでも両親は服薬を強制することはなかった。しかし、息子の状態については、ひどく無関心だと彼は言う。

「僕はこれまで110番通報を1回、救急車を2回呼んでいますが、親は、知らん、勝手にしろといった感じです。17歳で入院して、僕がこんな状態になってから、そういう僕の状態にまったく理解がなく、僕がこんなに苦しいのに、協力してくれません」


再び、入院する

退院後も状態は不安定だった。相変わらず、自殺衝動が止まらない。頓服でランドセンを飲んでいたが、効果は薄い。

 またしてもどうにもならなくなり、7月に救急車を呼んで駆けつけた病院に、今度はタクシーで乗り付け、そのまま任意で入院することにした。8月8日のことだ。

 そこの医師の診たては「強迫性障害」とのこと。ここでも「統合失調症ではない」と医師から言われ、サトシ君は、やはり17歳のときの診断は誤診だったのだと確信し、それは両親も認めていることだという。

「あのとき、医療保護入院で入院させられたのは、僕が統合失調症だからという理屈です。でも、それが誤診だとわかって……」

 だから、その入院そのものが間違っていたのだ、とサトシ君は言いたいのである。なぜ、誤診で、あんなひどい目に合わなければならなかったのかと。

以前の電話でも彼は、

「僕はどう考えても、あんな体験をしなければならないようなことは何もしていません。僕は悪くない。あんな目に合わなければならないような、悪いことは何もしていない。それなのに、なぜ……」と訴えたことがある。

 学校の先生に説得された親(特に母親)によって病院に連れていかれ、薬が嫌で逃げようとしたが、突然取り押さえられ(ロン毛の体格のいい看護師によって――彼の脳裏にはその姿が焼きるいているようだ)、注射をされて、保護室に入れられた。

 その経験以降、自殺衝動が強く、サトシ君はほぼ外出が不可能となり、現在に至っているのである。まる2年以上。

「同じ年ごろの子たちは、ディズニーランドに行ったり、あっちこっちに遊びに行って、僕は成人式にも出れなくて、家に引きこもっている。自分にはなんにもない。自殺衝動があるだけで、本当に自分にはなんにもない。悔しくて。自分の存在を確かめたい。これまでも、○○様(私のこと)が自分のことを書いてくれたブログを読んで、自分の存在を確かめていた部分がある。だから、11月に21歳の誕生日を迎える前に、大学に行っている友だちがまだ夏休み中の9月いっぱいに、僕のこと、ブログに書いてほしいんです。生きている証に」


 現在彼は閉鎖病棟にいる。薬は医師と相談しながら、やはりランドセンを頓服ではなく日に2回飲んでいる。メジャーを勧められたが、強い薬は自分にはきついからと言って断ったら、医師もそれ以上勧めることはない。

 家族と離れた方がいいと、医師は言っている。自分でもそう思うが、どうすればいいのかわからない。外に出られないから働くこともできない、経済的に自立できない……。

 自殺衝動は裏を返せば殺人衝動である。サトシ君は決して声を荒げて何かを訴えたり、誰かを罵ったりすることはない。しゃべり方は前にも書いたが、ひどく丁寧で、少々回りくどく、ある意味では自分の感情を持て余している感じもする。

が、彼はもしかしたら、心の底から怒っているのではないだろうか。自分を破壊しそうなほどの怒りが彼の中でくすぶっているのではないだろうか。そんな気がしてならない。

 誰に対して、何に対して? 

 一つには、彼に施された理不尽な精神医療という「医療」に対してであることは間違いない。自分をこんな状況に陥れた、しかも誤診の果てに、保護室に隔離して、彼の言葉でいえば「病気がうつってしまったような状態」にさせられた「医療」に対してである。

さらに、家族の問題……。医療保護入院をさせた家族に対する感情……(だからといって、医療保護入院に家族の同意を不必要とする流れがあるが、それはまたまったく別の問題である)。

 サトシ君のケースも、「統合失調症かもしれない」という点で早期介入の事例である。しかし、彼が体験したような、あのような経過で、あのような形で、思春期の子どもを精神科病院に入院させるということが、どれほどリスクのあることか……いかなる解決ももたらさないばかりか、問題を複雑化、長期化させるだけのこと、そしてその間の子どもの人生は意味なく潰されてしまうことになる。

 サトシ君の人生がこれからどうなっていくのか、もう少し年齢を重ねれば、もう少し他者との経験を積むことができれば……祈るような気持ちである。