再び入院、薬が戻る

しかし、数カ月後の12月、突然、胸をかきむしり苦しみを訴えだし、その直後、何かがのりうつったように暴れだしました。

本人自ら「入院させてほしい」と何度も何度も懇願。「死にたい、死にたい、苦しい苦しい」と言い続け、泣く泣く再入院させることとなりました。

かなり落ち着きを取り戻していたし、薬も徐々に抜けてきていました。それに、いきなりくる興奮は離脱症状と思っていましたが、あまりの苦しみように再入院となり、減薬は結局降り出しに戻ってしまったのです。

入院後は、以前の量の薬にすぐ戻り、またしてもオムツをつけて保護室で拘束され続けました。ヨダレを垂らし、すでにそこには可愛い久美はおらず、廃人そのものに見えました。

1ヵ月後、先生に薬のことで相談したのですが、私の話を聞いた先生は烈火のごとく怒りだし、「私の処方にたてつくのであれば、今すぐ退院してください」。

その日にそのまま強制退院となりました。

最低限の薬を次の入院先が決まるまで頂くという確約のもと、家につれて帰りましたが、先生からは「もう診察はしない」と言い渡されました。



恐ろしいばかりの離脱症状

そこからが地獄の日々でした。

入院中に量が増えていた薬が、突然先生から放り出されて、薬はリーマスデパケンだけ。

激しい離脱症状で、それはそれは恐ろしい状態に陥りました。しかも、次の病院は見つからないまま。

久美が暴れるので、ベッドに手足をネクタイでくくりつけ、口にタオルをかませました。私も夫も長女も傷だらけ。大声で叫ぶため、近所からも苦情が出ました。

「死のう……家族四人で死んでしまおう」

何度考えたかしれません。しかし、長女のことを思い、断念しました。



ようやく見つけて訪ねた病院では、久美の激しすぎる病状に入院を拒否されました。

2軒目の病院では、知的障害の子を診るのは前例がないと言われましたが、どうにか泣きついて引き受けてもらえることになりました。(現在、ここの先生が主治医です)


それと時を同じくして、夫が家を出ていきました。
 夫とは再婚で、久美の本当の父親ではありません。久美の症状で、地獄のような毎日を過ごさせてしまった、夫もいわば被害者だと思います。寝ずに久美の面倒をみて、毎日仕事に出かけることで、きっと心も体もボロボロだったと思います。


 久美の主治医は、薬は極力増やさない方針で、単剤が基本のようです。多剤にすると症状がぼやけるからとのことでした。

このときも、離脱症状が激しく、一時は保護室に入りましたが、症状が落ち着き大部屋に移されました。

症状もかなり安定し、4ヶ月の入院後一旦退院。

その後も先生は「いつでもしんどくなったら来ていいからね」と常に優しく言って下さいます。

その後、2ヶ月間自宅療養したものの、時々ある興奮(以前ほどではない)に久美自ら再入院を希望して、3ヶ月入院。そして、この3月1日に退院となりました。




なんとか落ち着きを取り戻す

現在薬は、ニューレプチル(抗精神病薬) アタラックス(精神安定薬) テグレトールのみです。頓服でリスパダールも出ていますが、飲むことはほとんどありません。

エレクトーンの教室にも通えるようになりました。家の手伝いもすすんでしてくれます。先日はお友だちと電車にのり遊園地に行ってきました。

 しかし、まだときどき、心おだやかでない時があり、「苦しい、しんどい」と言って薬を欲しがります。が 、我慢我慢と言い聞かせ、車に乗せて気分転換に出かけるようにしています。

久美のその苦しがる姿を見ると、あの頃のことを思い出し、私も涙が出ます。

今はいつ離脱症状が出るかわからず、私か長女、誰かが必ず付き添って24時間目を離すことができません。私も働かなくては生活が成り立たないことから、綱渡りの生活です。




この闘いを言葉でどう表現すればいいのか……

ここには強制退院を迫った先生とのやり取りを、簡単に書きましたが、もっともっとそこに行き着くまでには大きな経緯がありました。

強制退院は私と先生の信頼関係が築けなかったことによる事情も大きな要因だと思いますが、本当の苦しみや苦痛を言葉で表現する方法がないことに改めて気づきました。想像を絶する今までの闘いをどう表現すればいいのか……。




久美は小さな頃から近視と乱視がきつくメガネをかけています。裸眼では0.01(両目)、メガネをかけても0.4が精一杯。そのため、人一倍メガネだけは大切にし、命の次にメガネが大切だと言っていました。

しかし、××精神医療センターで、恐ろしい数の薬を飲まされていたときには、その命より大切なメガネを計5回折り曲げて壊しました。

着ていた服もすべて噛みちぎってしまいました。

 体の傷は全身にわたり、一時は腕がひどく化膿して、パンパンに腫れ、高熱でうなされながらも、まだその化膿した腕の傷をもう一方の手で、笑いながら掻きむしっていました。痛みもすべてを奪い去る薬……。

双極性障害と言われながらも、あの躁のような症状はまさしく薬の副作用だった気がしてなりません。

いまだに残る全身の傷が年頃の女の子の体だと思うと切なくなります。



また、自宅で久美が使用しているベッドはいまは介護用ベッドです。離脱症状で暴れたとき、木のベッドを二回破壊したからです。

あまりの叫び声に、窓はペアガラスの上にさらに防音ガラスを取り付けました。ドアも防音壁をつけました。換気扇は、防音マットを詰めて埋めてしまいました。カーペットも防音に変えました。

ご近所のことを考えると、そうせざるを得なかったのです。


今は、以前に比べると随分と元気になってはいますが、時々突然に襲うイライラや喪失感、眠気があります。自立にはまだまだほど遠く、家での療養が続いています。

 それでも、薬については、これからも減らしていければと思っています。以前多量に飲んでいた時に薬を一気に減らし、かなりの離脱症状があったために、先生は慎重に減薬して下さっています。今後の希望は服薬ゼロです。

しかしながら、これ以上は先生にどのように伝えればいいのか、正直戸惑いもあります。

前のように先生にあまりに逆らうことで、今後どうしても入院しなければならない状況になったとき、入院する場所をなくしてしまいそうで……とても怖く、とても弱者です。

私が患者であれば飲んだ振りをしながら自ら減薬も可能でしょうが、娘は素直です。先生が言う言葉が絶対なので、私の判断で薬を減らすことは不可能です。




この子の生まれてきた意味はもうすでに十分すぎるほどあった

私も××精神医療センターで先生に随分と立てついたことで、先生から受診を勧められました。私のあまりにも殺気立った言動に私の方が病状が重いとでも思われたのでしょうね。ただただ、子供を守りたい。それだけだったのですが……。




どうぞ、久美のことをブログにお載せ下さい。

もう一度、改めて久美と一緒に闘っていくぞとの決意表明のためにも。

私は久美を助けたい。

なぜなら私を助けてくれたのは久美ですから……。


私は18歳で長女を、久美を二十歳で産みました。

当時はヤンママという言葉さえない時代で、ただただ周りからは好奇に映っていたと思います。

夫のアル中、暴力、障害者を生んだ私への八つ当たり。

子供の手を握りランドセルだけ背負わせて家を出たのが、私が28歳の時。娘たちのへその緒も母子手帳も残してきたまま。

きちんとした教育をつけてやる事ができないだろう、と周りから随分と心配の声が上がっていました。

しかし、久美が発達障害だったおかげで、毎日必死にならざるを得ず、私は早い段階で母であるという強い自覚を持つことができたのです。

その後は奮起して福祉の世界に飛び込み、まったく勉強もしてこなかった私が介護福祉士を取得しました。長女も妹の障害で看護の道を志し、ぶれることなく看護師になりました。

私と長女の道しるべを示してくれたのは久美なのです。

この子の生まれてきた意味はもうすでに十分すぎるほどあったのだと確信しています。




まだまだ薬をやめてしまう術がない私たち親子のことを、この場所で皆さんに伝えていいものか。現にまだ薬に頼っています。

それでも、私の経験が誰かの目にとまり、少しでも共感していただけるのであれば幸いです。



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以上がお母さんから寄せられたメールです。

じつは、お母さんは以前ブログで紹介した「サヤカちゃん」の話を読んで、メールを送ってきてくれたのです。薬剤性と思われる攻撃性――家の物を壊し、激しい興奮のあと、突然憑きものが落ちたように脱力する、そんな状態がとてもよく似ているということで。

これまで何度も何度もこのブログの体験談の中で語られたことですが、薬による副作用を病気の悪化ととらえてさらなる薬を処方するという悪循環が久美さんの場合にも繰り返されています。

薬を飲む前と飲んでからの状態の変化を、なぜ医師は病気の悪化ととらえるのか。精神医療現場でなぜこのように全国津々浦々同じようなパターンが繰り返されるのか……患者を診ずに、出てきた症状だけを見て、鎮静させることしか考えない精神医療。まず薬を入れておいて、それをさらに薬でいじくりまわしてしまうこんな医療で、いったい誰を救えるというのでしょう。

そして、何より腹立たしいのは、××精神医療センターの医師が、患者家族が処方について疑問を口にした途端、強制退院、受診拒否をしたことです。患者の生殺与奪を握る医師が、その権利を悪用して、さらに患者を追いつめる。これはどう考えても許されない行為です。




































 久美はこの病院に入院となりました。