(5からのつづき)

☆診察時間の短さ、杜撰さ

黒崎医師の診察行為は、診察行為と呼ぶこと自体ためらいを感じるくらいとても強制的、一方的で杜撰なものだ。ヘンリーさんは黒崎医師と面会後、自身の目的とする耳鼻科受診でないことに気づき、また、母にだまされたことに気づいて怒り、「オレは自作自演されている! 両親がオレをいたぶる!」と真情を吐露しかけたが、黒崎医師らは、そのようにヘンリーさんが「興奮気味にまくしたてる」と、これのみを診療録に記載した。

またその後、唐突に、搬送してきた救急隊がそれをまったく認めていないにもかかわらず、「A(アルコール)やボルタレンなどを大量にOD(過量服用)していることによるせん妄興奮強い」と、何ら根拠、情報源、検査値等の併記のないまま即断で記載している。そして、これ以外の所見の記載もないまま(表情、瞳孔、眼球結膜、口の渇き、プレコックス感等、被告医師らが第一審で必須診断要件として陳述していたはずの観察所見の記載も皆無)、上記18時30分、医療保護入院・隔離・拘束を決定している。

さらに、診療録の18時30分の記載では、「救急車にて外来に到着、Dr診察、興奮気味で診療室を出ていこうとする。スタッフ数名にて静止し、再度Drと話をする。その後も落ち着かないため、HPD(5)(セレネース5㎎)2管とラボナールを注射し、四肢体幹、肩、拘束施行」とのみ記載しているが、ヘンリーさんは本人が望んでいない医療保護入院、いわば、診療契約の押し売りに対して怒り、これを拒否して帰ろうと「診療室を出ていこうとしている」だけであるにもかかわらず、これを静止しても「落ち着かない」という理由だけで、抗精神病薬をいきなり注射し、ベッドに縛り付けてしまっている。

このように被告医師らの行為は、およそ診察の体をなしていないのであるから、最初から医療保護入院ありきの結論を決めていたと考える外ない。




これに対する反論は、もう反論の体をなしていない。

つまり、M医師がヘンリーさんを精神障害者ではないとした意見に対する正当性をこちらは認めないので、これを前提とする上記意見の正当性は不明といわざるをない、というのである。

そして最後はやけくそのような言い分である。

黒崎医師は、控訴人を診断した結果、医療保護入院とすべきであると判断したからそうしたのである。」




M医師の主張

母親との面談すらない

実は、被告黒崎医師自身は、強制入院決定・拘束・注射の実行時刻である18時30分より前には、母の話すら聞いていないのである。母は、前述のとおり入院当日の午前中に、○仁病院にて医師と面談しているが、この医師は被告黒崎医師ではない。第1審の記録を見ると、××医師となっている。

すなわち、被告黒崎医師は、母の話も聞かず、かといってヘンリーさんの診察もきちんと行おうともしていなかった。それなのに、医療保護入院を即座に決めたのは、あらかじめ、医療保護入院を行うことを決めていたからであろう。そして、前記18時30分より後になって、母と初対面して聴取した記録が診療録にあることが明らかである。



 それに対する反論。

「記録を検討することなく述べられた意見、あるいは、意識的に記録を無視した上での意見であり、不当と言わざるを得ない。

黒崎医師が、控訴人が入院した当日、××医師とともに、その後ろで、控訴人の母の訴えを聞いていたことは明らかである(母親の尋間調書、黒崎の尋間調書など)





 さらにM医師はこの医療保護入院の適否について意見を述べている。

☆医療保護入院をさせるべきではなかった

 精神保健福祉法は……治療の名のもとで患者の人権への恣意的な侵害が発生しないよう、適正な手続きを定めている。しかし、本件では、患者への逮捕・監禁・拘束行為、薬剤・通電等、身体への重大な侵襲を伴う医療保護入院が、上記のとおり、適正な診察過程、診断根拠の明示・治療方法の本人への説明・同意等のないまま、いきなり一方的に強行されている。



医療保護入院は、「精神症状により、判断能力を耗弱・喪失した患者」であったり、「自傷他害(のおそれ)を伴う場合」に行われる措置入院とは異なり、ヘンリーさんからの同意を得る努力を一切することなく、強行した本件医療保護入院の違法は明らかである。



また、黒崎医師らは、ヘンリーさんの発言を暴力や暴言、被害妄想と決めつけ、母の話の検証を怠ったまま、丸ごと真に受けとった。そこには、被告医師らの専門医、指定医としての技量・注意義務・倫理のかけらも感じられない。



本来なら、初対面時に、ヘンリーさんからの異議申し立てを尊重し、何故それほど怒ってただちに帰ろうとするのか、その言い分をきちんと教えてほしいと、最低限の市民社会の常識的な礼儀を尽くし、突然の診療契約の押し売りの無礼を詫びた上できちんと尋ね、その怒りにこそ耳を傾け、それでもヘンリーさんが帰るのであれば、後日その言い分を聞かせてほしいとでも伝えて見送っていたならば、こんなことにはならなかったはずである。これは、指定医・精神医療従事者としてのイロハのイである。先に母親から相談された地域の保健師らは皆、そのように適切に対応している。

しかし黒崎医師らは、有無を言わさずいきなり注射、拘束し、全身麻酔をかけ、強制的に電流を通電する行為にまで一気に及んだというのが本件の実態である。

さらに、本来、母親との間で紛争があるのですから、ヘンリーさんの医療保護入院の保護義務者に母親を選ぶのは不適切であった。




反論。

控訴人に付き添っててきた実母から聴取した結果などから、家庭内トラプルの解消の手段として健康な控訴人について不当に医療保護人院が利用されているなどの疑いが生じない限りは、控訴人の母を医療保護人院の保護者として選択しても何ら不当ではない。

そして、本件においては、黒崎医師が、控訴人を診断した結果として医療保護入院が必要であるとの判断をした当時、控訴人に付き添ってきた母から聴取した結果などから家庭内トラブルの解消の手段として健康な控訴人について不当に医療保護人院が利用されているとの疑いを生じさせるような事情は存在しなかつた。したがつて、黒崎医師が控訴人の母を医療保護人院の保護者として選択したことは何ら不当ではない。

また、そもそも、診断した当時にその医師が知り得なかつた事情について、しかも、その事情について事後的に一定の評価をし(控訴人の母が正常な控訴人を医療保護入院させようとしていた)、それに基づいて、過去になされた判断、すなわち医療保護人院の保護者として控訴人の母を選択したことの正当性を検討するというM医師の検討方法は、診断者に不可能を強いるものであり、到底、許されるものではない。」



つまり、母親とのトラブルなどその時は知らなかったのだから、それを責められるのは酷であると言っているのである。それをするのが、専門医・指定医として当然であると主張している反論が、こういうことである。




カルテの記載――年齢、名前の誤り

 その後、ヘンリーさんと電話で話す機会がありわかったことだが、実はヘンリーさんが生まれたのは、昭和56年、現在30歳ということだ。

 しかし、カルテの一部には昭和57年生まれと記載され(私はその部分を見て、現在29歳と書いたのだ)、さらに調べたところ、別のカルテには、「昭和50年生まれ、33歳」と記載されているものまである。

 さらに、ECTの診療記録の何枚かには、ヘンリーさんの名前の文字が一字間違って記載されている。

 なんという杜撰さだろうと思う。このことだけをとってみても――その多さからも単なるミスとは言えない――医療従事者として患者をどう見ているか、扱おうとしているか、この病院の体質そのものがわかろうというものだ。



 ヘンリーさん側代理人は、上記のような「被控訴人準備書面」に対して、以下のような書面を準備した。




本件訴訟の特徴

1 本件訴訟は、控訴人への人権侵害の救済をはかるための裁判である。

本件・訴訟の最大の特徴は、本件が控訴人の有する基本的人権を侵害し、その人権侵害行為からの救済を図る裁判だという点である。

控訴人(ヘンリーさん)を看護士によって羽交い絞めにしたことや、ベッドに両手両足を紐で結わいつけて拘束したことは、法的に評価すれば逮捕行為に当たることは明らかである。

また、本人が入院を望んでいないにもかかわらず閉鎖病棟等に閉じ込めた行為は監禁行為にあたる。さらに、ECT療法を行ったり、薬物を投与したことなどは傷害行為にあたり得る行為であることは論を待たない。




すなわち、本件は、憲法18条の保障する奴隷的拘束及び苦役からの自由、憲法22条1項の保障する居住・移転の自由、憲法31条や同法33条ないし40条の精神である、身体拘束からの自由、及び憲法13条により保障される身体の自由、同法後段により保障される生命、身体のあり方に関する自己決定権の一内容としての「医療を受けるか否かの選択の自由、どのような医療をうけるかについての自己決定の自由」への侵害が問題となつている事例なのである。




忘れてはならないのは、本件では、被控訴人ら自身が、控訴人に対する上記行為の正当化理由として、「慢性的な過量の飲酒、過量の鎮痛剤・鎮静剤の服用が原因と考えられたこと(被告準備書面1 2)、被控訴人が統合失調症であったこと(控訴人黒崎本人尋問)を挙げているにもかかわらず、そのような客観的事実は存在しない点である

すなわち、控訴人が慢性的な過量の飲酒、過量の鎮痛剤、鎮静剤の服用の客観的事実はなく、だからこそ被控訴人は、自身の入院患者であるにもかかわらず、控訴人の過量の飲酒等を裏付ける客観的資料を証拠として提出できていない。

また、控訴人が本件入院前後、あるいは本件入院中に統合失調症ではなかったとする3名の精神科医師の診断があり、客観的には本件入院当時において、控訴人は統合失調症ではなかったと判断する外ない。



このように、控訴人は、法で規定する精神障害者ではなかったのにもかかわらず、控訴人は(注射をされた上、隔離拘束、カテーテル、閉鎖病棟、大量薬物投与、ECT等)を受けているのだから、当時、控訴人への人権侵害があったこと自体は既に明らかであるとも言える。基本的人権の侵害行為からの救済は、まさに司法の役割である。

従って、控訴人の人権侵害が、被控訴人らの違法行為によってもたらされたものであるかにつき、十分な審理がなされる必要がある。」

と主張している。




 裁判はいまのところ、まだいかなる見通しも立っていない。

 これだけの事実が明らかになってもなお予断を許さないのは、精神医療裁判だからだろうか。

 結果として、ヘンリーさんのこの裁判に勝訴がもたらされれば、以降の精神医療裁判においてもいくばくかの変化が生ずることになるのではないかと期待する。

そして、いまはただ、この裁判の実態をより多くの人に伝えて、彼へのエールとし、今後も裁判の成り行きを一緒に見守っていただければと思う。

もちろん、判決が出た時は、このブログでお知らせします。