被控訴人側の反論

ヘンリーさんの代理人が作成した「控訴理由書」に対する反論――「○仁病院」と「黒崎信也」の代理人弁護士が作成した「被控訴人準備書面」を見てみよう。

その中で、医療保護入院を行う際、ヘンリーさん本人の同意が得られなかったので、病院側は保護者として母親の了解を得て入院に踏み切っているが、ヘンリーさん側はそのこと自体――ヘンリーさんと敵対関係にある母親の言葉のみを信用して、ヘンリーさんを統合失調症、被害妄想と判断したこと――を問題視している。

そのことについての相手側の反論はこうである。




「原審(地裁での審理)が認定したとおり、当時、控訴人には病識がなく同意能力もなかったため、黒崎は、控訴人の母親に対して、控訴人の病状、医療保護入院の必要性などを説明し、控訴人の母親の同意を得て医療保護人院としたものであり、何ら問題はない。」

 と断じ、さらに、

「母親が事前に控訴人(ヘンリーさん)の医療保護人院について相談をしたことからは、母親が息子の健康状態を心配して相談にきたものだと認識するのが通常であること、また、黒崎は、単に控訴人の発言(叫び)だけで被害妄想との診断をしたのではなく、控訴人との会話、控訴人の表情、控訴人の母親の説明などに基づいて診断を行ったものであることなどからすると、黒崎の診断には何ら問題はない。」




「控訴人は、控訴人が「母親が俺の人生を減茶苦茶にした」、「俺は自作自演されている」、「両親が・・・親父とお袋が,・・俺をいたぶる」などと叫んでいたことからすると、母親と控訴人との対立が推認されたなどと主張する。しかしながら、上記の控訴人の叫びから推認されるのは、対立よりもむしろ、控訴人の被害妄想状態というべきである。」



 さらに、診断の際に一切の検査を行わなかったことに対しては、

「黒崎は、控訴人の滅裂、興奮、被害妄想状態の原因は、慢性的な過量の飲酒、過量の鎮痛剤・鎮静剤の服用が原因と考えたものであるが、その判断に際して、控訴人が主張するような血液検査をする必要はない。

血中にアルコール等が残存しているときに限定して症状が出現するとは限らず、血中にアルコール等が残存していないときでも症状が出現するからである。」

さらに、

「控訴人は、「興奮」、「せん妄」状態であったため、転倒したり、壁を蹴ったり殴ったりするなどして負傷する恐れがあったのであり、それを防止するために四肢拘束を行う必要があった。

また、黒崎らは、控訴人の状況に応じ、適宜、四肢拘束をゆるめていたものであり、控訴人の食事の際も同様であつた。」

と主張している。




 つまり、被控訴人側が主張しているのは、

「黒崎医師は適切に診断し、適切な治療を行ったものであり、何ら問題はない。」

 ということにつきる。



 こうした裁判において、「適切に診断し、適切に治療を行った」という主張は、医師側の常套句であるだろう。




M精神科医の意見書

 ヘンリーさんは高裁を戦うに際して、さらにもう一人の精神科医の診断を受け(それ以前、二人の精神科医に診察を受け、いずれも精神疾患が認められないという診断を受けていたが)、高裁においてその精神科医の「意見書」を提出している。

 意見書を書いたM医師はヘンリーさんを7時間30分かけて診察し、さらに、専門分野以外のものについては、専門医を紹介(発達障害の専門医)、その返書によると、「かつて、その傾向(アスペルガー)あるも、今は正常範囲」という診断を受けている。

こうしたことも含めて、M医師はヘンリーさんを

「社会的自立をした、心身共に健康な青年であり、精神障害者ではない」と診断しているのである。




 また、アルコールやボルタレンの過剰摂取が原因とする「せん妄想・興奮・滅裂」という症状記載に関しては、診療記録に、アルコール臭の確認や血液検査・肝機能の数値は一切記されておらず、さらに、医療保護入院となったその午前中に母親が相談にやってきたときの「相談表」にも、アルコールの種類、一日量、頻度の欄は空欄であること、さらに入院翌日の血液検査の結果や、肝機能はまったく正常値であったことをあげている。

 また、救急隊の記録にも、搬送当日、ヘンリーさんからアルコール臭や過量服薬を確認できる記載はなく、逆に記録には意識レベルは「清明」と記され、「ベッド上に横臥位となっていた」「めまい、全身の痛みを訴える」とあるのみで、「体温は37.0℃」の微熱、救急隊の処置は、「毛布で保温」である。

この記録の全体を見れば、救急活動開始から搬送に至るまでの22分間、ヘンリーさんに「判断能力の耗弱・喪失」や「自傷・他害のおそれ」がなかったことも明白で、「せん妄、興奮、滅裂」や「飲酒・OD」、「不穏」などをうかがわせる記載は皆無である。

以上のことから、M医師は「ヘンリーさんにアルコールや薬物を理由とした精神障害などなかったことは明らかです」と意見書に記している。




これに対する反論である。

「黒崎医師は、控訴人の減製、興奮、被害妄想状態の原因は、慢性的な過量の飲酒、過量の鎮痛剤・鎮静剤の服用が原因と考えたものであるが、その判断に際して、血液検査をする必要はない。血中にアルコール等が残存しているときに限定して症状が出現するとは限らず、血中にアルコール等が残存していないときでも症状が出現するからである。(控訴理由に対する反論とまったく同じ)。

救急隊の記録については、M医師が整理しているとおりである。

しかしながら、黒崎医師は、控訴人との会話、控訴人の表情などから、控訴人を「滅裂」、「興奮」と診断し、搬送の際に付き添ってきた控訴人の母から、原告が普段からアルコール、鎮痛剤、鎮静剤を過量に服用していると聞いたので、滅裂、興奮、被害妄想状態の原因は慢性的な過量の飲酒、過量の鎮痛剤・鎮静剤の服用が原因と考えたものであり、何ら問題はない。」





 ここでも要は、適切に診断し、適切な治療を行ったと主張しているわけだが、よく読めば、黒崎医師は、単に母親からの情報を100%鵜呑みにして(検査をすることなく)診断したと自ら告白しているようなものではないか。



 さらに、M医師は、黒崎らの診断の仕方に対して疑問を呈している。

 つまり、黒崎医師らは、ヘンリーさんの診察を行う前の段階で、すでに医療保護入院を決めていたのではないかという疑問である。

 その証拠として、以下のものが提出されている。




☆入院に先立って「統合失調症」と決めつけていること

夕刻の入院に先だって、当日の午前中に、母のみで○仁病院で医師との面接を行っているという事実。

そして、ヘンリーさんの入院期間中の同病院診療報酬明細書、医科入院外の明細書の2月分をみると、「13日中に外来受診し、夜間に救急で入院となる」とあり、日中外来受診分の「通院・在宅精神療法(30分以上)」の医療点数360点と初診料273点の計633点(6330円)が診療報酬請求されている。つまり、この時点ではまだ母親にしか面談していないにもかかわらず、上記のような請求がなされているということだ

しかも、驚くべきことに、黒崎医師らは、まだヘンリーさん本人と一度も会ったことがないのに、この午前中の報酬請求書の診断名を「統合失調症」と記載しているのである。

ということは、つまり、黒崎医師らはヘンリーさんに会って、診察する以前から、彼を統合失調症として扱うことをすでに決めていたことを意味する。本人への面会前に、医師が、患者を統合失調症と決めつけることなど、本来ならあり得ないことである。



これに対する反論は以下の通りで、何とも苦しい。


悪意に満ちた暴論と言わざるを得ない。

診断に際しては、誤診の可能性を考慮してより重い傷病を疑うべきである。

黒崎医師らは、控訴人の母から控訴人の状況を聴取した結果、控訴人について疑われるより重い傷病として統合失調を疑ったものであり、何ら問題はない。

また、診療報酬請求に際しては、傷病名を記載することが必要であるため、控訴人について疑われる傷病として「統合失調Jと記載したに過ぎず、何ら問題はない。」




しかし、M医師はさらに突っ込む。

当日の診察時刻の記録のずれ

救急隊の記録によれば、「病院決定」が18時22分、○仁病院「到着」が18時33分、「医師引き継ぎ」が18時50分である。

ところが、○仁病院診療録によれば、救急来院時刻が18時20分、医療保護入院の決定・隔離・拘束が必要との判断の診療録記載が18時30分となっている。

つまり、この診療録によれば、救急隊の到着時刻より前にヘンリーさんは病院に到着していたことになり、隔離、拘束も行われていたことになる。これはつまり、黒崎医師らであらかじめ、診療記録を作っていたのではないかという疑問を生じさせる。




これに対する反論。

悪意に満ちた暴論と言わざるを得ない。

もし、仮に、黒崎医師らがあらかじめ診療録を作っていたのならば、むしろ、そのことが露見しないように、診療録の時間の記載について慎重を期したはずである。

ただ単に、救急隊の記録か診療録の記録のどちらかの記載が誤っているのか、あるいは、両方とも誤っているなどの可能性が考えられるのであり、救急隊の記録と診療録の記録が不一致であることから、直ちに、「黒崎医師らがあらかじめ診療録を作っていた」などという結論を導けるはずがない。」

                         (6へつづく)