その後、ヘンリーさんは自分の置かれた状況を吟味して、ただ叫んだり、懇願したりしていてもラチがあかないと判断した。拘束され続ける中で、どうにか平静を保とうと努力をし、さらに、看護師たちを懐柔(友だちのように話しかけたり)、いかなる行為にも無抵抗を徹しようと、その後のECTもおとなしく受けるようにした。

 そのかいあってか、入院後2週間余りたった3月1日に隔離室から開放病棟へと移動になり、4日後の3月5日に退院とこぎつけた。およそ3週間の入院期間だった。

 退院直後の様子を、ヘンリーさんの手記から引用する。




ようやく退院

「どのように帰宅をしたのかは覚えていません。記憶を失ってしまった事は明らかでした。退院した日から処方された薬を止めました。私は、被害妄想ではなく、事実を主張し、薬物中毒等を患っていないと自覚していたからです。

しかし、薬を止めた日から体調に異変が起こりました。脳ミソが6個位、クルクルと回り続けていました。自覚出来る自分の本当の脳ミソもありました。他の脳ミソを選ぶと、あたかも自分ではない気がし、突発的になりそうになりました。意に反して、ヨダレが垂れているのを洗面台の鏡を見て知りました。顔色は、どす黒く、今までの自分の顔色とは程遠く、非常にショック状態に陥りました。

夜は、隔離・拘束の回想・フラッシュバックでうなされ続け、苦しみました。現在もかもしれません。自宅でも、隔離・拘束された苦痛は忘れることなく、寝ていても突然起き上がり、手で顔を触ると発汗状態などの日々が続きました。」



 ところで、この事件においては、ヘンリーさんの母親の奇異な行動に関心が向きがちだが――事実、ヘンリーさんも一審において、病院関係者のほか母親も告発していたが、控訴審では、弁護士のアドバイスもあり、病院関係者に的を絞ったのである――やはり、一番の問題は、母親の一方的な話を鵜呑みして、「お迎え入院」と称して医療保護入院を行い、入院直後にECTを行った医師(病院)の行為そのものであるはずだ。



担当医の黒崎医師は、ヘンリーさんを統合失調症と診断しているが、ヘンリーさんは、入院の3ヵ月前、保険師の紹介によって精神科医の診察を受け、精神疾患は認められないとはっきり判断されている。さらに、退院後の平成22年10月18日にも、精神科医の診察を受け、統合失調症ではない、と診断されている。つまり、入院の前後では、2度ともその病名は否定されているのである。

 私自身、ヘンリーさんに何度も会っているが――初めて会ったのは昨年7月であるから、退院後2年4ヵ月ほど経過していたことになる――彼から統合失調症のような印象を受けることは一切なく、ごく普通の(といっても、裁判で頭がいっぱいの)29歳の青年である。




控訴理由書

 ここにヘンリーさんの弁護士が作成した「控訴理由書」がある(一審での敗訴を受け控訴したため、控訴理由ということになる)ので、被控訴人(一審でいう被告人)黒崎信也の不法行為(民法709条・損害賠償請求)について述べた部分をわかりやすく要約してみる。




控訴人(ヘンリーさん)は平成21年2月13日午後6時半頃から、同年3月1日までの期間、○仁病院に入院を強制された。その間、黒崎は以下のような行為を行った。



①職員3名に命じて、ヘンリーさんをはがいじめにする方法で、逮捕した。

②職員に命じて補助させて、ECT、すなわち、ヘンリーさんに通電し心身に傷害を与えた。

③2月13日夜から23日まで(10日間)、四肢拘束を継続し、逮捕行為を継続した。

 四肢拘束は文字通り、両手両足を紐で結わき、それぞれの端をベッドの四隅に結わいつけるというものである。ヘンリーさんの場合、まさに両手を広げて万歳の格好をして、両足を開き続けてベッドに縛り付けられていた。食事のときも、拘束は緩められず、ヘンリーさんは手を使わない状態で、刻まれた食物を口の中に流し込まれる形で食べさせられている。

④同じ期間、カテーテルを泌尿器に挿入し、バルーンを残置して導尿するという身体への侵襲行為を継続した。

⑤2月13日から25日まで、外鍵のついた隔離室において監禁した。

⑥2月13日から3月1日まで、ヘンリーさんを閉鎖病棟において監禁した。

⑦2月13日から3月5日の退院の日まで、薬物を大量投与して、心身に傷害を与えた。服薬当時は意識混濁が生じた。

 

 そして、この件における医療保護入院の問題点として、次の点をあげている。

①そもそもヘンリーさんは精神病に罹患していなかった。

②医療保護入院に関して、本人の同意を得るための説明と説得の努力をまったく行おうともしなかった。

③医療保護入院という入院形態をとるに際して、ヘンリーさんともっとも対立的立場にあることが明白な母親を保護義務者に選任している。




①ヘンリーさんは精神病に罹患していなかった

 被控訴人黒崎は、ヘンリーさんを統合失調症ないし精神作用物質精神病(アルコール、鎮痛剤、鎮静剤等)であると判断した旨、主張している。

 黒崎は、ヘンリーさんが「母親がおれに人生を滅茶苦茶にした」「おれは自作自演されている」「両親が、親父とお袋が、おれをいたぶる」などと叫んだことにつき、被害妄想状態であることや、スタッフを押しのけて飛び出そうとしたりすることが衝動的であるとして統合失調症であると診断した旨、原審(一審)で主張している。

 しかし、上記のような言動をもってして被害妄想状態と判断したり、統合失調症特有の衝動性を認定することはできない。

なぜなら、母親との確執は現にあり、ヘンリーさんの主張は妄想とは言えないものだからである。むしろ、上記のようにヘンリーさんが叫ぶのは、彼が置かれた客観的状況に合致するものでありこそすれ、決して「妄想」ではない。

 また、耳鼻科に行くつもりが、突然精神病院に連れてこられ、何の説明もなく周りを看護師に囲まれた者が、部屋を出ていこうとするのは当然の行為である。すなわち、ヘンリーさんが黒崎に会った時点において、統合失調症特有の衝動性などまったく認められない。

 さらに、2人の精神科医による診断もある。



 また、黒崎はヘンリーさんが精神作用物質精神病の可能性があるとして、医療保護入院の対象としているが、そもそもヘンリーさんはアルコールを飲まず、また鎮静剤を常用していた事実は存在しない。

唯一使用していたのは鎮痛剤で、それがボルタレンである。しかし、ボルタレンを処方した耳鼻科の医師は、「処方した量のボルタレンでひどい精神症状が現れるとは、常識的には考えられない」と言っており、しかもこの日、ヘンリーさんはボルタレンを服用していなかった。



 黒崎は、ヘンリーさんの母親から、彼がふだんからアルコール、鎮痛剤、鎮静剤を過量に服用していると聞いていたので、「滅裂、興奮、被害妄想状態の原因は、慢性的過量の飲酒、過量の鎮痛剤、鎮静剤の服用が原因と考えた」と原審では認定している。しかし、黒崎がこれらの根拠だけをもって、ヘンリーさんが精神症物質による精神病と判断したというのならば、明らかな違法行為であり、その過失も極めて大きい。

――もし、黒崎がそのように考えたとしたならば、入院に先立ち血液検査等を行うのが当然である。しかし、黒崎は、一切の科学的検査を行うことなく、即、精神作用物質の影響などという抽象的な診断を下しており、黒崎の杜撰な診断行為の違法性は明白である。




②医療保護入院は医師の適切な調査、診断を予定している制度である

 医療保護入院は、あくまで自傷・他害の恐れがないケースであり(恐れのあるケースの場合は、措置入院になることを精神福祉保健法、29条は定めている)、本人が精神障害者であることにつき、必要な時間をかけて、適切な問診、検査を行うことを予定しているのである。

 本件では、黒崎は十分な問診、検査を行わず、ヘンリーさんを精神障害者と判断しており、その違法性は明白である。



 黒崎自身、医療保護入院を決めるための診察は10分程度しか行っていないことを尋問において供述し、さらに陳述書においても任意入院を勧めた事実についての記載は一切ない。実際のところ、任意入院をヘンリーさんが選択できるような説明、説得をしていないことは明白で、初めから医療保護入院ありきの結論をもって、診察に臨んでいたことは明白である。




③対立的立場の母親を保護者に選任している

 ヘンリーさんは入院当時、兄に対して刑事告訴を行っていた。そのため、ヘンリーさんの母親はヘンリーさんにより自身の子を刑事告訴されている状態であった。したがって、母親が「保護者」として資格を有しなかったのは、法20条1項2号の趣旨から明らかである。

 加えて、本件では母親はヘンリーさんに対して110番通報したり、また精神障害はまったく見つかっていないのに、精神障害があるかのように言い立て、それが原因でヘンリーさんと対立的立場に立っており、この実態からも母親が「保護者」とはなりえないのは明白である。



 黒崎はヘンリーさんが「母親がおれの人生を滅茶苦茶にした」「おれは自作自演されている」との発言がなされているにもかかわらず、何の調査をすることもなく、母親を保護者とすることは明らかな違法行為である。

一方的に母親のみの話に基づき、ヘンリーさんの話を被害妄想と断定し、安易に母親を「保護者」としたのは、黒崎の重大な過失であるといわざるを得ない。

 

以上のとおり、被控訴人黒崎の各実行行為により、ヘンリーさんの自由権は侵害され、それが、黒崎の医療保護入院の要件を満たさない、杜撰な医療行為の結果であることは明らかであり、不法行為の成立は疑いようもない。もっとも、最後に念のため、本件においては、違法性を減じる事由すらないことも論じる。




電気ショック

 この「控訴理由書」の中では「電気ショック」についても論じられているので、その部分を紹介する。

「電気ショックは、外国において死刑執行の方法にも使われる残酷な処分である。精神医療における電気ショック療法は、過去において、多数の犠牲者を出しており、電気ショック療法により患者の舌が呼吸経路をふさいだために窒息死した事件は、神奈川県内の県立の基幹病院でも、2000年以降も発生している。のみならず、痙攣により呼吸器循環器が傷害が残ったり、記憶障害が残ったりする例が多く見られる。

 そのため、電気ショックを療法として用いる場合の基準としては、認知行動療法や投薬が繰り返されていても症状が改善しない、難治性の見られる場合、治療抵抗性が強いと解される場合に限定されている。

 本件の場合、ヘンリーさんにはそもそも精神疾患がないし、向精神薬により治療歴はまったくない。そのような患者に、前提もなく電気ショックを行うこと、しかも、入院時や緊急時に1回というのではなく、6回おこうことを当然の治療方針とすることには、何らの相当性もない。」



 ECTのついては、以前ブログでも「奇妙な入院」として連続してお伝えしたことがある。

 http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10945259347.html

 その中で使われていた「舌根沈下」という言葉、「呼吸回復」(つまり停止していたということ)という言葉は、あまりにリアルで、ECTの残酷さを物語るものだった。

 

 ヘンリーさんのECTに関する診療記録が手元にある。

 2月13日、医療保護入院となったその日に行われた第1回目のECTの記録。




術前処置にてアトロピン0.5㎎ 1Aiv モニター装着する。

施行者(黒崎) 吸入(○○) 記録者(○○)にて実施。

0分00秒  ラボナール200㎎ 術式開始

0分30秒後 意識消失す。

1分16秒後、 サクシン40㎎

1分28秒後  ファンキュレーション開始。反応は(弱)

2分00秒後  ファンキュレーション終了。

2分45秒後  (100)%にて通電。

3分40秒後  痙攣(中)開始。

4分15秒後  痙攣終了。(65)秒間。

         刺波が(普)、徐波が(普)であった。

5分11秒後  自発呼吸再開。

5分36秒後  (咳、嘔気、嘔吐・なし、処置は(吸引・なし)