久しぶりに離脱症状について書きます。

ここのところ(というか以前からですが)、離脱について考えさせられる出来事がいくつか重なりました。

そのひとつ、以前、ブログに登場してくれた薬剤師のBさん

http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11001463874.html#main

 先日、彼から電話をもらい、ついにすべての薬がゼロになった(4週間ほど前)と報告をいただきましたので、まずはその話から。



 Bさんが服用していたのは、ベンゾジアゼピン系のロヒプノール、ベンザリン、それと、抗うつ薬のレメロンで、それ以前の電話で、ロヒプノール(1mg)を切ったとの話は聞いていた。そのとき、離脱症状は多少あったが、我慢できないほどではなく、なんとか達成。

 そして、今回は、残ったベンザリンとレメロンの断薬に成功したということです。


 Bさんの場合、ベンゾジアゼピン系は最大で5種類処方されたこともあったが、切る順番としては半減期の短いものからとりかかったという。半減期の短いものを切っても、それより長いものがあれば、離脱症状を多少マスクしてくれる。抗不安薬だろうが睡眠導入剤だろうが、ベンゾはベンゾであるから、切り方としては半減期で考えた方がいい。それがBさんの考えだ。

 また、残ったベンザリンとレメロンでは、ベンザリンを先に切った。Bさんの場合、レメロンが睡眠をカバーしてくれていたので、そちらを残したということだ。

 そして、そのレメロンも、4週間前、ついにゼロになった。

「いまは、体のしびれとか多少ありますが、なんとかやっています。この調子なら、将来に向けて、計画も立てられそうな気がします」

 以前、電話で話したときは、多少くぐもった声だったが、このときは、かなりはきはきした口調で、薬の影響はほとんど感じられなかった。


 詳しい減薬方法は省くが、減らし方として、Bさんは1週間単位で計画を立てた。

 減薬を行うのは、金曜日である。

もちろん、土曜、日曜は調子が悪い。そして、水曜、木曜くらいになると多少体も落ち着いてくるので、金曜日にまた減薬して、一歩前進。

 このパターンを繰り返して、ついに断薬へとたどり着いたというわけだ。

 最初の報告をいただいたのが、8月末だったから、2ヶ月弱での減薬、断薬ということになる。



離脱のことは忘れる

 ベンゾジアゼピンの離脱症状で苦しむ人は多い(実に多い!)のは、それだけ医師が安易にベンゾを処方するからだろうが、離脱症状の強弱、期間は人によってばらつきがあるのも事実である。

 私のところにも、離脱症状についての問い合わせがいくつも寄せられ、相談も受けるが(以前も書いたが)、私は離脱に関してアドバイスをする立場にないし、その知識も資格もない。

 それをわかった上で、なおも「苦しい」とメールを寄せてくる――それほど苦しく、行き場を失い、訴えられる相手もいないのだろう――しかし、私に打つ手はない。これはどうしようもない現実である。

 Bさんの場合、離脱症状が軽かったのかどうか――長引く離脱に苦しむ人はそう思うかもしれない。

しかし、以前のブログを読めば、Bさんも「この世のものとも思えぬ離脱の苦しみ」を味わっている。それでも、なおそれを乗り越え、離脱に成功した。

一気に薬を切ったときの恐ろしいばかりの経験が、のちの離脱を軽いものに感じさせたということはあるかもしれない。しかし、離脱は離脱であり、苦しさに変わりはなかろう。

 Bさんによれば、そうした日々の症状を緩和するためには、「離脱を忘れること」が一番だという。

 1日24時間、離脱症状はついて回るのかもしれない。だから、忘れたくても忘れることなどできない、という人も多いだろう。

 しかし、そういう苦しさばかりに意識をフォーカスして、自身の体調、離脱症状の具合を1日中、監視していては、余計に苦しくなるのではないか……(これは私が経験者でないから、こんなふうに言えるのかもしれないし、嫌というほど苦しみを味わい続けている人には腹立たしい話かもしれない)。

 だが、当事者であるBさんも「離脱のことは忘れた方がいい」と言う。したがって、離脱に関するブログなども一切見ない。

 その代わり、自分の好きなことに熱中する。趣味にのめり込むのもいい。

幸いBさんはアニメやゲームが好きだったので、DVDを1本見ることを自分に課した。好きなことといっても、やはり苦しい離脱症状の中のことであるから「自分に義務を課す」くらいの気持ちがなければ、DVDも見る気にはなれないだろう。だから、そこは「あえて」見るように「努める」ということだ。

 また、マージャンも好きだったので、夕方(朝より体調はよくなっている)、雀荘に出かけていき、数時間マージャンを打つ。頭を使うし、他者とのコミュニケーションもとれるし、ある意味リハビリのつもりで通っていたという。

 それから自宅に戻ると、携帯をいじったり、いつも日記を書いているmixiに日記を書いたり、好きに過ごした。



家族の理解・減薬に協力的な医師の存在

 しかし、離脱症状は周囲の理解を得るのが非常に難しい。そのことで別の辛さを味わっている人も大勢いる。

たとえば、高熱でも出して、うんうん唸っていれば周囲も気遣ってくれるが、離脱症状は目に見えず、一見、普通に見えるし、どこがどう苦しいのか、本人も伝えるのに困難を覚えるくらいであるから、他者は(親といえども)想像するのが難しい。

だから、たとえば、Bさんの行動にしても、ブラブラしているように見えるし、周囲は「怠けている」と非難したくもなってくる。

 したがって、「家族の理解、支えは不可欠」とBさんも言う。

 ある程度、家族が離脱のことを理解して、どっしり構えてくれていれば、当事者も離脱症状に耐えやすいだろうし、じっくり取り組める。

この期間は薬を減らすことに専念すると自分で決めました。もちろん、将来のことを思うと焦る気持ちにもなりましたけど、それはもうあきらめて、この期間は他のことはせず、自分は薬を減らすのが仕事だくらいに割り切ったんです」

 そういう気持ちの持ちようができれば、やはり離脱症状(とくに精神的な症状)は、かなり楽になるのではないだろうか。

 Bさんが完全断薬に成功したことを知った父親は、「よかった」と言って、息子に握手を求めてきたという。家族ももちろん戦っていたのだ。

 そして、医師との出会いも大きかった。減薬に理解のある医師は、薬剤師の資格を持つBさんに減薬の方法は任せ、薬が減っていくたびに「よく頑張った」と激励し、それがどれほど励みになったかわからない。この先生との出会いがなければ、断薬はできなかったかもしれないとBさんは言っている。

「薬漬けになっていた1年前は、薬を止められる日がくるとは夢にも思わなかった」

 今から7年前、メンタルクリニックの門を叩いて、あっという間に薬漬けとなり、1年前には14種類の薬を飲んでいた。

 職、恋人、そして時間、Bさんは多くのものを失ったが、いまようやく再起のスタートラインについた。



症状にこだわり過ぎない

 もちろん、Bさんのように好条件に恵まれず、たった一人で耐え続けている人もたくさんいる。そういう人たちに対して私が言えるのは、ただ「耐えるしかない」「時間が必要」ということだけだ。

 それでも、Bさんの話は何らかのヒントを与えてくれているのではないかと思う。

 苦しさに焦点を当て過ぎないこと。こだわり過ぎないこと。メンタル以外の世界に目を向けること。ネットである程度情報を得たのちは、それ以上深追いしないこと。



 離脱症状のあまりの辛さに耐えきれず仕事をやめてしまった人(男性)がいた。しかし、そののち、思い切って肉体労働の仕事を見つけてきた。もちろん、生活のため、いずれは仕事をしなければならない状況ではあったが、よりによって肉体労働(運送業)とは……。

しかし、その人が言うには、「おかげで離脱症状にあまりこだわることなく、過ごすことができた。肉体的な疲労で、不眠も解消したし、体力をつけることもできた」。

もともとその男性は体育会系の人だったので、そういう荒療治ができたのかもしれないし、これを理想とも思わないが、離脱症状緩和のため、こういうことをする人もいるということである。

そして、食べていかねばらないという状況は、あるとき人をとても強くする。



自分でなんとかするしかない

 いわゆる離脱サバイバーの方からメールをいただくこともある。

 そして、驚くのは、離脱に成功した人たちがほぼ似たようなことを書いてくることだ。

 経験者だけに少し厳しい。

 薬漬けになるのは医療によってであり、離脱に関して医療はほとんどの場合無力であり、抜け出すのは当事者一人の闘い。本当に理不尽であるが、それでもその理不尽さを嘆いているだけでは、離脱はできないということだ。

 もちろん、離脱症状の激しさや、それに伴う思考の鈍化、強迫観念など、普段のその人とは違った精神状態に陥ってしまうのも、また離脱症状の恐ろしいところだが、それでもなお、ある人によると「自分を省みて、ベンゾによって出てくる異常な精神状態は、一部には自分の「本来の気質」が増幅されて異常値までいったものだったりする」のである。

「誰かになんとかしてもらえないか」、「どうすればいいのか教えてほしい」、「助けてください」。

 しかし、ベンゾにやられてしまったら、最終的には「自分でなんとかするしかない」――。そして「自分でなんとかしよう」と決意した人であれば、まわりはいくらか手助けすることもできる。



 またある人は、「治りたい」と無意識にでも本気で思っているかどうかが分かれ目かもしれないという。

一人で耐えているのは本当に孤独だし、しかも理解されることの方が圧倒的に珍しいわけだから、自分と同じ経験をしている人の存在はこの上なく心強い。辛くなったら愚痴を言って、それに対してフォローしてもらえることで、どれほど気持ちが楽になるか。

しかし、そこにとどまっていても、やはり離脱は「自分で決断し、なんとかするしかない」ことなのだ。

そして、心底本気で「治りたい」と思うということは、やはり「他力本願」ではなく、「自分でなんとかする」という方向に向かうのが本当だろう。

離脱症状に苦しむということは、ある意味、「自分自身」に向き合うことを余儀なくされることなのかもしれない。

症状と性格がからみあって、事態はさらに複雑になり、苦しさもまた複雑なものになるのかもしれない。

今現在、家族の理解も医療の後ろ盾もなく、たった一人で離脱に耐えている人に、これ以上「頑張れ」とは言えない。すでに「限界」なのかもしれないし、実際私にそう伝えてくる人も数人いる。

 しかし、それでもなお、今日書いたことは伝えておきたいと思う。私は経験者でないから気楽なことを書いている、批判的なことを書いている、と感じる人もいるだろう。先の見えない毎日を過ごして、絶望的になっている人には、きつい言葉だったかもしれない。

 それでもなお、「本気で治りたい」と思うなら……ということである。

 そして、私はその答えを持っていない。