ある薬学部教授のブログから

「処方薬依存」という言葉はここのところかなり知られるようになったようだ。しかし、一般的にそれが意味するところは、私が考えていることとは微妙、というか、かなりの違いがあるように思える。

 例えば、ある大学の薬学部の教授のブログにはこんな記述がある。

http://from-toyama.jugem.jp/?eid=232


 



睡眠薬や睡眠導入剤、鎮痛剤、向精神薬の多くは医家用であり、医師の処方箋に基づいて薬剤師が調剤することで購入できます。それを、指示どおりに服用することは、何ら依存でも乱用でもないです。医師の意図どおり、よく眠れるようになったり、痛みがひいたり、精神状態で緩解されれば、それは、正当な医療です。

 ところが、患者さんの中には、睡眠薬や鎮痛剤を飲んだときに気持ちが安らぐように思い、1錠飲むところが2錠になったり、朝から睡眠薬を飲んだりします。自分の手持ちの範囲で増やす分には、1週間分が3日でなくなったりしますが、それほど重篤なことにはならないでしょう。  そのうち、かかりつけ医に、よく眠れないと、いって、睡眠薬の量を多くしてもらったり、種類を変えてもらったりします。

主治医の中には、1カ月分出す方もいるでしょう (少し前までは、睡眠薬や向精神薬は1週間分しか処方できなかったのですが、今は、一部を除いて、その縛りはなくなっています・・だから、1カ月分処方することは何ら悪いことでなく、医師を非難しているのではないです)、それを数日で飲んでしまうようになり、同じ医師のところには、もらいにいけず、ちがう病院を回って、同じ薬をいっぱい手にいれ、やがて、手放せないようになってしまうわけです。
 このような方の中には、誤ったくすりの服用で、うつのようになったり、社会生活を送れなくなったりします。これを処方薬依存、オーバードーズといいます。

(引用おわり)


 


 つまり、この先生は、これを「処方薬依存」と考えているということだ。

 大学の薬学部の教授が「常用量依存」のことを知らないのだろうか? 医師の指示通りに服用して、結果として薬物依存になってしまう処方薬依存患者の存在を知らないのだろうか?


 


 確かに、この先生が言うように、「睡眠薬や鎮痛剤を飲んだときに気持ちが安らぐように思い、1錠飲むところが2錠になったり、朝から睡眠薬を飲んだり」する人もいる。しかし、それにしたところで、常用量によってすでに依存が形成されてしまい、その結果の行為である可能性は高い。


 



「処方薬依存者」=「乱用者」

それを、薬学部の教授が言っているのだから、世の多くの人たちがそう受け取ってしまうのはむしろ当然かもしれない。そして、患者に注がれるのは、冷たい視線だ。

 医師の指示に従わず、(医師をだますようにして)薬を溜めこみ、快楽のため、自分で勝手に多くの薬を飲んでいる――。その結果の依存症である限り、同情すべき余地はない、と。


 


 こうした考え方がある限り、処方薬依存の問題は、違法薬物による依存の問題と何ら変わることなく語られ続けるだろう。そして、根本の問題が解決することもない。


 


 医師の指示通りに抗不安薬や睡眠剤(ベンゾジアゼピン系薬物)を飲み続け、結果として依存症に陥った患者たちは、すでに常用量によっても離脱が生じ、減薬、断薬に向かったときのさらなる離脱症状をどうすればいいのか。

 その激烈な症状に対して医療は無力であり(もちろん薬を飲めば、症状は抑えられるが、それでは何の解決にもならない)、だから、医師(あるいはこの教授のような学者たち)は、医師の指示を守らなかったからそんな辛い目に合うのだと、まるであらかじめ逃げ口上を打っているかのようである。

 そして、「いいえ、指示通り飲みました」と言えば、「それなら、それは離脱症状ではなく、あなたの元々の病気が出てきたのだ」と決まって言う。


 



依存症専門病院

 ある国立の薬物依存専門病院のホームページを見ると、処方薬依存の治療も大麻や覚せい剤等の依存治療と同等の扱いである。

処方薬依存の対象者としては、

向精神薬や鎮痛剤を治療以外の目的で用いていて、自分では「やめなければいけない」と思っている方、あるいは、自分自身ではまだ迷いがあるが、周囲からは「やめた方がよい」といわれている方」

「治療以外の目的で用いている」というところに、すでに上記の処方薬依存の考え方が現れている。

 そして、治療はといえば、

「薬物依存症に対する個人精神療法: 薬物依存からの回復に役立つ助言や提案、動機付け面接、社会資源に関する情報提供を、依存症患者本人に対して行います。また、受診に同行する家族への相談にも、適宜対応」

 つまり、精神的依存に主眼を置いた治療ということだ。もちろん、止めたくても離脱症状が激しくて止められないという人はいる。そうした精神療法も行ってくれるというのか?

 処方薬、とくにベンゾジアゼピン系の依存は身体依存が大きい。それへの対応についてはどうなのか? あるのは、「薬物関連精神障害に対する薬物療法」である。

処方薬依存の「薬物療法」?

 もちろん、覚せい剤等の禁断症状として幻覚等を抑えるための「薬物療法」は考えられる。(しかし、これにしたところで、別の薬物(非合法から合法的な薬物)に依存を移行させるだけではないのか?)。

処方薬依存の場合の「薬物療法」とは?

減薬のための置換を意味しているのだろうか?

 ということは、減薬、断薬の方法をもっていてきちんと指導してくれるのだろうか? 

その際の離脱症状に対する対応は? 記述には離脱の離の字も書かれていない。



 


試しにこの病院に電話で問い合わせたところ、薬物専門の医師がいるので、相談すれば薬の置換など行ってくれるとは言うが、実際どのような「治療」が行われるのか、未知としかいいようがない。

とにかく、依存症専門病院といっても、入ってみなければわからないというのが実情なのだ。

薬を減らしてあげますよ、と言われて入院しても、減るどころかかえって薬がどんどん増えてしまったという話もよく耳にする。

置換といっても、とんでもない薬に置換するところもある。

 


「常用量依存」という言葉や概念はかなり認知されているはずだが、なぜ「処方薬依存」となると、こうもとらえ方がずれてきてしまうのだろう。

 常用量依存を認めれば、上記の教授の言っていることはことごとくおかしなものになる。これまで言ってきたことが崩れるから常用量依存も認めないというのだろうか。それとも、常用量依存は認めるが、処方薬依存は、患者が勝手にODした結果と、矛盾した主張をするのだろうか。


 


そもそもは、医師の指示通り飲んで、そうなるはずがない、という「前提」があるのだろう。その医師が常用量依存も知らないというケースも多々あるということは、「医師の指示通り」がいかに危ういものであるかということだが、日本の場合医師は腐っても医師なのだ。

そんな医師でも、とにかく医師が指示した通りに薬を飲んで処方薬依存を起こすということは、あり得ない。まさに「想定外」であり、製薬会社も医師会も、それは想定していないということだ。想定していないことに対処法が用意されているわけがないことは、今回の原発事故を思いだすまでもない。

だから、処方薬依存はODの結果ということになる。

しかし、医師の指示通りの服薬で依存症になっている人は大勢いる。

現に起こっていることと、医療界・医療現場とのギャップ。

そのギャップに、離脱症状を抱える処方薬依存の患者は、結局、行き場を失い、「医療難民」として、自宅に引きこもり、ひたすら耐えているというのが現実ではないだろうか。