前回のエントリのコメント、ありがとうございました。

 ホームさんの体験されたことは、精神科病院に入院(まして隔離室、鍵のかかる個室)したことのある人なら、多くの人が目の当たりにする「病院の現実」でしょう。まったく理不尽といえば理不尽、病院の対応は、患者ではなく病院側の方が「狂っている」としかいいようのないものです。



隣の人が泣きさけんでいるのを聞いて、怖くて怖くて。
「カギをかけられたら私もああなるしかないんだ。絶対閉じ込められたらいけない!」と必死で、すべての感情を殺して、人間としてではなく、生物として、次の朝まで生き延びました。
何も知らない人が見たら、「あんなに叫んだり暴れたりしてたら閉じ込められても仕方ない」って思ってしまうかも。
でも、あべこべなんです。」



 まさにその通りです。

 しかし、精神科病院の現実は、「隔離したからパニックになっている」という視点は微塵もなく、「暴れるから隔離する」という論理しかありません。

そして、その論拠はといえば、「隔離によって、自傷、他害の危険性を回避する」というもっともらしさです。

したがって、恐怖のあまり泣き叫んでいたとしても、それは「精神錯乱」としてとらえられ、それどころか、泣き叫べば泣き叫ぶほど「自傷、他害の危険性が高い」として、蟻地獄にはまっていく結果となります。

 精神を病む人の中には、確かに自傷、他害の危険性の高い人は存在するでしょう。

だから、st.Michaelさんが書いたように、「精神科の患者は何をするかわからない。殺人をしでかす患者ばかりなので信頼関係など築けない。だから、患者が暴れたとき、職員だけでも逃げられるように、病院には必ず裏口が設置されている」ということになるのです。



 そして、この考え方を敷衍すると、精神病者はそういう「危険性のある人間だから」人権侵害もやむなし、ということに行きつきます。


 

 この問題を考えるとき、私はいつも以前私が関わっていた「ハンセン病の問題」を思い起こします。

「伝染の危険性のある人間だから……」

 つまり、その個人の人権などより、社会の安全のため、伝染を未然に防ぐという大義名分のもと、患者狩り(密告によってハンセン病者をあぶり出したり、家に生き場所を失った浮浪患者を、野犬狩りのごとくトラックに積み込んで収容所に強制収容したり)のようなことが公然と行われていたのです。

 しかも、ハンセン病の菌は風邪ほどの感染力がないにもかかわらず、あえてそうした情報を隠ぺいし、国民総動員で、ハンセン病者の人権を無視し続けながら、ハンセン病撲滅へと躍起になりました。

 この歴史の中に、患者の人権は存在していません。

 そして、また、精神病者の歴史にも、「自傷、他害の危険性を回避するため」という大義名分のもと、人権は存在しません。

 精神病者は精神を病んでいるだけで、犯罪人ではありません。医療者側の論理は、「まだ、犯罪者になっていないだけ」というものでしょうが、犯罪人でないことには違いありません。


人権の最も基本的なもののひとつであり、最も重視されるべきは「自由の尊重」であり、したがって、それを束縛するには(つまり刑務所に収監するには)裁判という厳格な法手続きと、慎重な審理が要求されます。

 ところが、精神科病院では、その「危険性が高い」というだけで、医者や看護師の恣意的な判断のもと、隔離室に隔離したり、身体拘束を行ったり、閉鎖病棟に閉じ込めたり……(これほどの自由の束縛があるでしょうか)。

しかも、病院側にとって不都合な患者を「取り締まる」ため、そうした「罰」をちらつかせながら、患者を「黙らせる」というやり方は、医師や看護師が警察権どころか、司法権まで行使しているのに等しく、これは言ってみれば、法治国家の根幹さえ揺るがす由々しきことなのです

なぜ、このようなことがまかり通っているのでしょう。

法曹界はなぜ沈黙を通すのでしょう。



 ハンセン病者はただ病気ということだけで、何の科もなく隔離され、社会から排除される涙を流してきました。

 精神病者もただ病気というだけで、同じ涙を流しています。

 いや、ハンセン病が本当はたいした感染力もない病気だったのと同じように、精神病者・統合失調症といっても、本物の統合失調症の患者がどれほどそこにいることか……。

 しかも、前回のエントリで紹介した二人など、精神病者でさえなく、したがって「自傷、他害の危険性」が高いわけでもない人たちです。このブログで精神科病院の体験談を寄せてくれた人たちはみなそうです。

 にもかかわらず、隔離室に隔離されました。

 もう一度言いますが、確かに「保護」のため隔離を必要とする人もいるにはいます。

 その事実を足掛かりに、精神科病院は(あるいは社会も)、精神科の患者は他科の患者に比べて、自害、他害の蓋然性が高い――という社会の共通認識をつくりあげました。

そして、危険性回避のため「人権侵害」もやむなしというコンセンサスのもと、それをどんどん拡大解釈していった結果が、このブログに体験談を寄せてくれた人たちの身に起こったのです。

 もちろん、「保護」という名目のもと、現行のような隔離室が必要なのかどうかの論議は残ります。私には、緊急避難的に収容するにしても、今のやり方が許されることとはとても思えません。

 しかも、そうしたやり方(考え方)を、どんどん拡大していき、精神病者でもない人間にあてはめて、結果、精神に決定的なダメージを与えてしまう、これは決して許されるべきことではないでしょう。



 現在は、さまざまなキャンペーンのおかげで、精神科の敷居もぐっと低くなり、大勢の人が気軽に受診するようになりました。治せもしないうつ病を簡単に治ると言って薬を飲ませ、結果、具合はどんどん悪くなっていきます。

そして、病状は薬を飲めば飲むほど複雑怪奇なものとなり(つまり副作用、離脱症状によって)、ついには精神科病院に入院――。

 精神科病院に入院するということがどういうことなのか……。

 ある意味、これほど一般の人々にとって精神科病院が「身近に」なった時代もないのではないでしょうか。

 昔は、精神科病院といえば、そのほとんどが今でいう統合失調症患者でした。

 しかし、今は違います。

 その意味で、精神科病院の問題は表に出やすくなっているとも言えます。

 そして、これは絶対に許される問題ではなく、変えていかねばならない現実です。



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