今回は精神科病院における隔離室について、改めて考えてみたいと思います。


以前もブログに登場してくれたKさん。

http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10707895331.html

彼女にひと月ほど前、ようやくお会いすることができた。

そして、状況を詳しくうかがうにつけ、精神科病院の隔離室の「恐怖」を実感するとともに、そこがいかに理不尽で罪深い、新たな「病気」を生み出す場となっているかがよくわかりました。

それは精神医療というものが内包する負の本質であり、しかも、その本質は形を変えて、つまり精神薬として、巷間のクリニックにおいて、新たな「病気」を生みだし続けているのです。


思うに、人は精神科というところに一歩足を踏み入れた瞬間、精神科の患者となり、つまり精神病者として扱われるのです。そこでは一挙手一投足が、すべて精神病との関連でとらえられる。いや、むしろ医師はその「兆候」を躍起になって探しているのかもしれません。



措置入院と隔離室の恐怖――心の喪失

3年前、Kさん(46歳)もそうでした。

家の人がKさんの言動から「自殺をしてしまうのでは」と心配をしたことからすべては始まります。

Kさん本人が言うには、当時はただちょっと落ち込んでいただけ。確かに性格的に不安定になりやすいタイプではあるが、決して死にたいと思っていたわけではなかったそうです。が、彼女のちょっとした言動を、不安を抱いていた家族は大げさに受け取り、それで「自殺をしてしまうのではないか」と疑心暗鬼になった母親がついに警察を呼ぶ事態になってしまった。

パトカーがやってきて、数人の警察官からKさんはいろいろ質問をされた。

「いえ、大丈夫です」というKさんに、

「大丈夫じゃないからお母さんが110番してきたんでしょう」

「衝動的になって、やってしまう人は大勢いるんだから」

 そんなやり取りのあと、Kさんはパトカーに乗せられました。二人の警察官に挟まれるように後部座席に座り、姉が同乗してきた。

そして、病院へ行くと、5人の白衣をした人間(男性3人、女性2人)に囲まれ、パトカーが来たときからすっかり心の平静を失っていたKさんはますます「わからない状態」に陥り、ものすごい恐怖に襲われた言う。

自分でも何を言っているのかわからないまま、とにかく、「帰りたい」「大丈夫です」「立ち直れるので、家に帰してください」とそればかりを訴え続けたが、医師は、

「錯乱していますから、注射をします」

 Kさんは注射をされて、そのまま気絶。

結果は措置入院である。


会った感じでは、Kさんはかなり繊細な感受性の持ち主で、何かを声高に主張するようなタイプではない。そんな女性が、夜間、パトカーに乗せられ、病院に連れてこられて、いっさい何の説明もなく、異様な雰囲気のなか、5人もの白衣を着た人間に囲まれて、取り乱してしまう。ごく当然の反応だろう。しかし、そんな当然の反応も、精神科医の目から見れば、「精神病者の錯乱」になってしまうのだ。


Kさんは、気がつくとグレーの壁、天井に小さな照明のある部屋にいた。そして、ベッドから起き上がろうとしたら、まったく体が動かない。動くのは首と手首のみ。両手首が南京錠のようなもので柵に縛り付けられていて、全身拘束されていたのだ。そして、着ているものはといえば、いつの間に浴衣に着替えさせられ、尿道カテーテルにつながれていた。

自分の身に一体何が起こったのか……。

頭が割れそうに痛くて、喉が渇いていた。水がほしいと人を呼んだが、誰も来ない。

両隣からは、うめき声や悲鳴や怒声が聞こえてくる。「出してくれ」「水をくれ」「ここから出せー」

男女の声が絶え間なく聞こえ、とぎれとぎれに看護師らしき人間の声も聞こえてきた。

「そんなに騒いでいたら、ここから出られないよ~」「飲み物? ないよ」

Kさんはものすごい恐怖心に襲われた。

そして、あまりの喉の渇きに、たまらず縛り付けられていた手首の拘束具をベッドの柵に当てて音を出した。

ようやく1人の看護師がやってきたので、「どうしてこんなことをするんですか? 外してください」と言ったが、「あなたにその権利はない」と看護師は言い放ち、とにかく水だけは飲ませてくれたが、それきり再び放置された。

 時間の感覚がなく、どれくらい経過したのかはっきりしないが、その病院には1日だけだったように思う。全身を拘束されたままストレッチャーに乗せられ、少し離れた別の病院に搬送された。

車には母親が乗っていて、「大丈夫よ」と声だけ聞こえたが、そのときKさんは、自分はもう死んだのだと思っていたと言う。

 次の病院でも隔離室に収容された。あとで知ったが、自殺未遂の人はみな隔離室に収容されるということだった。

 そこでも周囲からさまざまな患者のうめき声や悲鳴が聞こえた。そして、食事の盆を出し入れする隙間から外を見ていたKさんは、女性の看護師と目が会い、看護師が「何か用?」と言ったので、「どういうことになっているんでしょうか」と尋ねたが、看護師は「暴れたり、泣いたりわめいたりしたら、即縛りますからね」と言ったという。

 そして、数日後、初めて主治医と名乗る人物に会った。医師いわく。

「もう死にたいと思っていませんか?」

 何も答えずにいると、

「あなたは死にたいから、ここに来たんですよ」

「私にはそんな気持ちはまったくありません。ただ、頭が痛い、心臓が痛いです」

「もう少し、ここで休んだ方がいいですね」



 その頃のことだが、Kさんは頭の中で、まるで爆弾が落ちたような音がするのを聞いた。


 隔離室には1週間ほどいた。そして、閉鎖病棟に移ったが、Kさんの中に「私はへんだ」という思いが生じた。

 ほとんど話をしなくなった。顔から表情がなくなった。寝ても覚めても「私はおかしい」その思いが消えることはなかった。



「心がなくなっちゃったと言えばわかってもらえますか。頭がないみたいです。3年経った今でも同じです。疲れた~とか、気持ちいいね~とか、花がきれいね~とか、きれい? 言葉の意味はわかるけれど、それがどういうことなのかわからない……。 震災のニュースを見ていても、情というものがなくなったのか、感じないんです。かわいそう? 気の毒? どういう感覚だったのかわからない」

 Kさんはもともとは保育士で、また福祉関係の仕事をしたこともあり障害者の人たちとの交流もあった。情緒豊かで、感受性が鋭く、だから家族が自殺を心配するほど精神的にも不安定になりやすかったとも言えるが、だからこそ、隔離室での経験はそんな柔らかい喜怒哀楽の心を殺してしまったのだろう。そのときの恐怖心がKさんから「感情」というものを奪ってしまったのだ。

人間は、許容できるレベルを超えた恐怖に襲われたとき、心を殺すことによってその恐怖から自分を守ろうとする。感情を殺せば、恐怖も感じなくてすむからだ。自己保存本能として解離。


 色がないとKさんは言う。わくわくすることもない代わりに、落ち込むということもない。時間の感覚もない。気分転換に外出したら? とよく言われるが、気分がないから転換しようがない。心の動きがない。テレビのドラマの内容も、人の心の動きが読めないので、よく理解できない。とにかく「何もない」という感覚……。

 ある国立の精神科の病院に4ヵ月ほど入院し、さまざまな検査を受けたが、異常はなかった。医師も症例がないと言い、しかも本人に向かって「こんな状態では人は生きていけない」と自らの考えを吐露している始末である。

                              (2へつづく)