ベンゾジアゼピンの離脱症状に苦しんだ女性(S子さん・29歳)からの体験談を公開します。

S子さんは今回の震災被災者に対するいわゆる「心のケア」――向精神薬の安易な処方を知るにつけ、自分の体験と合せ考え、危機感を抱くようになったと言います。

あれほどの副作用、離脱症状を伴う薬がこんなにも簡単にばらまかれていいの……? 向精神薬の本当の怖さを知らせ、安易に服用することがないように、そのために、自分が体験したことが何かの役に立つのなら……と、私のところへ連絡をくれました。




最初の経験で、薬は安全と思い込む

S子さんが最初にメンタルクリニックを受診したのは今から8年前、大学3年生のとき(2003年)だった。友人関係のごたごたや、客員教授からいじめのような扱いを受けたことで心の調子が狂ってしまったのだ。

診断はうつ(状態、病かははっきりしない)ということで、パキシルユーパンが処方された。しかし、飲むとひどく眠くなり、大学へ行くこともままならず、1日18時間くらい寝て過ごした。地方出身のため一人暮らしをしていたので、食事もほとんどせず、かなり体重が落ちたと言う。

薬は5月から8月まで、3ヵ月ほど飲み、今から思えば自然治癒だったと感じるが、とにかく何となく良くなったような気がしたので、自己判断で断薬。そのときはとくに離脱症状もなく、そのため、向精神薬に対する警戒心が薄くなったのは否めない。

その後、大学4年の就職活動の頃、緊張しやすいということで、今度は地元の内科医院でワイパックス(以前飲んでいたユーパンが効いたように感じていたので)を出してもらった。

この時点で、ワイパックス(ユーパン)はどこでもすぐ処方される安全な薬だという認識になっていた。どちらのクリニックでも副作用や依存についての説明は一切受けていない。

また、パソコンでも薬について調べたが、依存の少ない薬、安全性の高い薬といった情報しかなかし、母親もよく安定剤を飲んでいたので、安心感はさらに高まった。




仕事のストレスから再び受診

S子さんは2004年、大学卒業と同時にIT企業に就職した。

しかし、IT企業のご多分に漏れず、長時間労働の上、辞めていく社員も多く、2年後、S子さんはまだ経験が浅いにもかかわらずプロジェクトリーダーを任された。明らかに無理のある納期と人員。

ふらふらになりながらもなんとか頑張ったが、真っすぐ歩けなくなり、また通勤のとき、電車を見ると飛び込みたくなったりして、さすがにこれはおかしいと、メンタルクリニックを受診した。

診断は「適応障害」だった。

適応障害とは、雅子妃についた病名だが、はたして薬物治療でどうにかなるものなのかと私は思う。一番の治療は、適応できなかった環境を変えること……。

S子さんも結局、診断書を書いてもらい、辞表を出すことになった。したがって、その時点でしばらく静養していれば、自然に回復したかもしれないが、メンタルクリニックでは当然のことながら、薬が処方された。また、S子さん自身、以前ワイパックスが効果的だったという思いがあり、ワイパックスを処方してもらうことになった。まだ薬への警戒心など微塵もない頃である。

しかし、ベンゾでは常用量で依存を起こす。当然のことながら、飲み続けているうちに効果が薄れ、そうなると量が増え、それでも効かなくなると種類を変えるを繰り返すことになった。ベンゾを飲み始めて多くの人が辿る道である。

 その後、そのクリニックから処方された薬は以下の通りだ。




ワイパックス(ロラゼパム)

 リーゼ(クロチアゼパム)

 レンドルミン(ブロチゾラム)(足がむずむずするようになり中止)

マイスリー(ゾルピデム)(数ヶ月飲みました)
抑肝散
ホリゾン(ジアゼパム)(長期間)
セパゾン(クロキサゾラム)(長期間)
デパケンR
バルプロ酸ナトリウム(髪が抜け始めて中止)
ヒルナミン(
レボメプロマジンマレイン酸塩)(2日目から激しい副作用が出て中止)
レキソタン(ブロマゼパム)(長期間)
リボトリール(クロナゼパム)(長期間)



これらをいつも2剤程度組み合わせたものが処方された。前述の通り、耐性ができ効かなくなった時点で次の薬、そしてまたそれの繰り返しというパターンである。一度に飲む薬の量、種類は決して多くはないが、それが長期にわたるとどうなるか……。

中でも長く処方されていたのは、ワイパックスホリゾン/セパゾンレキソタンリボトリールである。一番多くの量を飲んでいたときで、レキソタン12mg/day+リボトリール2mg/day



デパケンRとヒルナミンが処方されるきっかけは、幻覚が出たからだった。道路の滑り止めに作られた丸い溝が人の目に見えたり、郷里の家の押し入れに死体があるという妄想に苦しめられたり……。自分ではストレスのせいだと思っていたが、今から思えば、薬の副作用だったのだろう。しかし、そのことを医師に告げると、これまで多くの人が経験してきたように、すぐさま抗精神病薬が処方された。

幸いなことに(といっていいと思う)、副作用(全身の筋肉の痛み、体がふらふらする、息苦しいなど)が激しく、すぐに中止となったが、そのまま飲み続けていたらダメージはさらにひどいものになっていたかもしれない。




もう死ぬしかない

2006年9月の受診から、断薬に至るまでの約4年半飲み続けたベンゾジアゼピン系薬物。

その間、常用量依存による離脱症状や変薬による新たな薬の副作用をS子さんは経験し続けた。

 じつは、S子さんは最初の会社を辞めてから3ヵ月休養した後、職業訓練校に半年通い、その後、再就職を果たしていたが、薬の影響で朝起きられない、会社に行けないという状態が続いた。

そして、とにかく人に関心がなくなった。人間関係などどうでもよく、その結果、失った友人も数人いる。

 また、何度もリストカットをした。そのときは本当に死のうと思ってやっているわけではなく、何でもいいから傷つけたいという気持ちがあり、とりあえず自分を傷つけることで、何かが解消されていくようだった。

 常にイライラし、特に子供が騒いでいるのが我慢ならなかった。うるさい子供を見ていると、正直、どぶに蹴り落としたい、そんな攻撃性、殺意さえ抱くようになった。

 そして、つねに「死にたい」という思考に頭は支配されていた。

 会社が終わってからも家に帰るのが嫌で、死ぬ方法を考えながら繁華街を泣きながら、何時間もさまよい歩いた。

「この状況から逃れるためには、もう死ぬしか解決法はないと思っていました。どう考えてもそういうふうにしか考えられない。ここまで治療して、治らないんだから、もう駄目だ、生きていけない、もう自分には先がない、そういう絶望感が一番苦しかった」

 その頃はまだ薬に効果があると思っていたので、薬を飲んで(つまり正常な状態で)これほど死にたいと思うのだから、自分は病気のせいで死にたいと思っているわけではなく、冷静に、本気で死にたいと思っているんだ、そんなふうに考えていたと言う。

 薬のせいで……そう考える部分が薬によって最初にダメージを受けてしまう。だから、薬を疑うことができないのだ。そんなに薬をたくさん飲んで、普通ならおかしいと思うはずだが、「でも、なんか飲んでしまう」。

意志の問題ではないとS子さんは言う。すがるように薬を飲む。不安になると薬を飲まなければと思ってしまう。ちょっと辛いことがあると、薬を飲んでボーっとしなければと考えてしまう……薬物依存以外のなにものでもない。

                      (2へつづく)