(1からのつづき)

三軒目を受診
その後も改善の兆しは見えず、2004年5月、知り合いに勧められ、自宅から遠方にもかかわらず、三軒目の精神科を受診した。医師は東大出身の中年男性医師だった。

その医師の処方した薬を飲むと、うつ状態からすぐに躁転。香織さんは自分でも良くなったものと勘違いし、仕事を始め、資格取得のため学校にまで通い出した。当時の写真を見ると「私の目は完全に覚醒剤使用者です」と言う。

精神科には、その後も4週に1度通い続けるが、医師の治療方法は奇妙としか言いようがないものだった。例えば、ぬいぐるみをかわいがって自分を癒す。食べ物を根拠なく制限する。診療内容をテープに録音し、それを家で繰り返し聞くことを指示する。


「とにかく薬漬けにされ、再通院後4ヶ月で、私は自力では眼球しか動かせなくなりました。覚えている薬はドグマチール、リボトリール、パキシル、デパス、その他です。

破壊行為に走り、姿見の鏡やストーブ、ピアノの脚、こたつの脚など、ありとあらゆる物を壊しまくりました。(その他、メガネ、携帯2台、リモコン、ドアを蹴破る、ドアのガラスを本を投げつけて割る、壁を蹴る、雑誌を引きちぎる、服を破ったり切り刻む、水の入ったやかんを床にたたきつける等々)。

医師は、咳を一つしただけで頼んでもいないのに、「風邪かい? 薬出しますね」と薬ばかり売り付けました。長期通院患者は、精神病院の入院患者そのものの顔になっていました。若いのに歩行に杖をつき、それでも医者を疑わず通い続けていました」


そして、通院で改善が見込めないため、香織さんは入院を勧められた。2005年3月のことだ。


4軒目を受診

2005年3月~2010年8月まで通院。


「現在62歳くらいになっている日大出身の男性医師でした。知人がこの医者にかかって入院したところ、「3ヶ月できれいにうつが治った」などと、今考えればそんなバカな話があるかと思う話を聞き、薬漬けの動かない体が楽になるならどうでもいいと思い、受診。

そのときの第一声は「元気がないねぇ」のみ。

それから「今どんな薬を飲んでるの?」と聞かれ、三軒目のクリニックのおくすり手帳を差し出すと、血相を変え「なんでこんな薬を飲まされてるんだ!!」。

それで、それまでの薬を一気に断薬、新しく処方された薬を飲むと、次の日に体が動くようになり、病気が1日で改善したと、あり得ない勘違いをし、その後凄まじい勢いで躁転し激躁状態になりました。


私がこの病院にかかり始めた当時、患者に処方箋が渡されず、自分がどんな薬を飲まされているのかまったく把握できないという状況でした。

その約1年後、処方箋を発行するようになりましたが、私は医者が把握して、治してくれさえすればどうでもいいと思い、薬にまったく無関心。このときから5年間も、薬に関して何も調べることなく、漫然と飲み続けてしまいました。ちなみにこの時、医者は「薬の名前が知りたかったら手書きで書いてあげるよ」とのこと。

今までの高圧的な医者とはまったく違い、話を聞いてくれるいい先生と、とんでもない勘違いをして、それが不信感を抱くこともなくずっと過ごしてしまった原因だと、今では本当に後悔しています。私以外の患者さんは3分診療なのに、私だけは平均20分。しかし治療とはまったく関係のない世間話をして、私も悪い気がしなかったのも大きな原因だと思っています」


その病院で処方された薬は、ホリゾン、レキソタン、メイラックス、デパス、セパゾン、リボトリール、ソラナックス、ハルシオン、レンドルミン、ロフピノール、ジェイゾロフト、デプロメール、ルボックス、トレドミン、トリプタノール、セロクエル、エビリファイ、ドグマチール、レメロン、アモバン、ベゲタミン、マイスリー、リスパダール……

残っている薬の説明書だけでも、これだけの薬が記されている。しかも、1~2週間単位で頻繁に変動を繰り返され、結果、どの薬がどの副作用や離脱症状を起こしていたのかまったくわからない状態だった。


「この医者にかかっていた間、私は1年の半分以上、特に春と秋、年末年始は決まって動けなくなり、何度もアルバイトを変えては辞めの繰り返しでした。あの時離脱症状と気づいていれば、と思うことばかりです。年中、うつ躁転(見かけだけの回復)→離脱症状を延々と繰り返し続けていたような気がします」


入院

 入院したのはこの病院に通院し始めて4ヶ月後の2005年7月。期間はひと月で、その間、ずっと閉鎖病棟だった。香織さんはそのときのことを自分のブログに書いている。

(以下転載)

「私は今から6年前、閉鎖病棟に入院経験があります。鍵の中、とは病棟の出入り口が鍵で閉められた内側で入院生活をすることを指します。

食事の時には「ご飯だよ~」。おやつの時間には「おやつだよ~」。タバコの時間には「タバコだよ~」。薬の時間には「薬だよ~」。

そんな具合に、病院の治療という名の下で、患者は与えられるだけ、結局自分で何もできない状況にされてしまうのです。

自発的に何をするわけではなく、ただ時間を食い潰して行く。薬でとにかくコントロールされるのだから、長期になればなるほど、自分の意思でできることがなくなっていく。

今考えると、身の毛がよだつほど恐ろしいです。

特に薬を飲むのは、「飲まされる」と言った方が正確な感じです。水の入ったコップを持って、一列に順番待ちをし、係の看護師が「◯◯ちゃん(どんな若造の看護師で、患者がどれだけ年配でも「ちゃん」付けです)、このお薬ね。はい口開けて~」。

「ちゃんと飲んだ? お口開けて見せてね~」と、チェックまでする。

私は何回か飲んだフリをしてすぐトイレに行き、舌下に留めた薬を吐き出して捨てたことがあります(何で中途半端にそんなことしてたのか、自分でも意味不明ですが)

幸い私は1ヶ月で出られましたが、この入院時の記憶はかなり鮮明に残っています。

今では、まったく治療とは名ばかりの、恐ろしい薬漬けの実態調査をしてきたように思います。実際、入院したって治らなかったわけですから(治す気ゼロなんですから治るはずがないです)

本当に、あの閉鎖病棟で入院している患者さんが気の毒としか言いようがありません。何のための病院なのか、実際入っても、私にはまったく理解のできない世界です。


医師の回診がない

また、私が経験した限りでは、閉鎖病棟に主治医が病室まで回診に来て、状態を聞くことは皆無でした。
私の入院期間が1ヶ月だったからというのは理由になってないと思います。(略)

繰り返しますが、医者は病室を一回も、具合がどうか覗きに来ませんでした。全部、看護師任せです。

薬を飲ませるのも、毎朝血圧や体温を測るなどの名ばかり検査も、お通じがあったかどうかの記録(出ないと言えば即座に下剤が出されます。私はそれがイヤで毎日出ていたとウソをついていましたし、バレもしませんでした)も、看護師がやる仕事なのはわかりますが、私が入院中受けた「治療」はそれだけです。

医者の仕事は看護師が記録した結果のカルテだけを見て、毎日患者の飲む薬が決められてるんじゃ受け手はたまったものじゃありません。

そんな風にしか思えないほど、私が入院した病棟では医者が仕事をしている姿を見られる機会はありませんでした。

薬でおとなしくさせられる状態が、患者本人やその家族の望む治療なんですかね…。普通の病院に入院する感覚とはまったくかけ離れているのが精神病棟なのです。

(転載終了)


また、香織さんが入院当時つけていた日記代わりのノートがある。彼女はそれを呼んで、当時は(薬のせいで)自分がいかに何も考えていなかったか、感じることができていなかったかがよくわかるという。

「しかし、その日記も、日を追うごとに筆跡がだんだん怪しくなり、ミミズののたくったようなものから蚊のように細かくて頼りないものになっています。

どんなものだかわからない薬をどんどん盛られ、動けなくなっていったのがよくわかります。それでも、私は記録を残そうと必死に書いていました。

内容は読む気が失せるほどめちゃくちゃです。筆跡はよれよれで何が書いてあるのか判別がつかないほどです。

「薬が強すぎて文字を一文字書くのも一苦労」などと書いていながら、とにかく医者を疑う下りがまったくない。恐ろしい洗脳ぶりです

でも、当時は必死になってまともなことを書いていたと思いますが(動かない頭や手を必死に動かしていたことはやたらよく覚えています)、自分のことよりも入院していた他の患者さんにおせっかいをしていた記録が残っています。

その患者さん自身が書いたメモが残っていますが、書いてあることは、「まとも」そのものです。


以下引用(原文ママです)

「薬の強さの度合いを下げてください、もっと言うなら薬はいりません」
「私は病院にいたくない」「とにかく私は退院します」
「香織さんにお話したのは17年7月6日です。院長先生に言えなかったので(会えないし)、院長と話が出来ない(短い、ダメ、出来ない)退院したいとか開放に行きたいとか言っても、そういう返事しかこないので話にならない。往診にも来ないで、かん者のじょうたいや気持ちがわかるんですか。医者しかも精神科の先生なのにちゃんと話も聞いてくれないし、理解してくれない。それから体質に合わない薬を出さないで下さい。私は入院していたくない。それから院長先生の顔が少しこわいから、もう少しおだやかな顔にして下さい」


筆跡は、私のものより遥かにしっかりしています。この方は、すでに何年も入院されていたようですが、入院してきた新参者の私の顔を見て、「自分の話がわかってもらえると思った」と言っていたのが忘れられません。

私の主治医が当時院長だったため、私から話を通してもらいたいと頼んできた方です。

おとなしくしていれば問題視されない病棟で、これだけ自己主張していた方ですから、看護師やヘルパーに目を付けられ、ことごとく邪険に扱われていました。

まともなのに、気の毒でなりません。

私も医者や看護師からあからさまに、「あの人と仲良くしちゃダメだよ」的な言葉を何度も聞かされました。

入院していた当時、薬で自分がおかしくなっていることに気づけなかった私より、この方の方が何百倍もまともな神経を持っていたことが、今になって本当に良くわかります。

私は反抗的な態度をとるより、「看護師が大事に扱ってくれる」と錯覚していたために、病棟内の人間に感謝などしていたようで、それが「好評価」になっていたのかもしれません。

自己主張する患者さんとは仲良くできないように、看護師からとにかく間を裂かれていました。本心はどうだか知りませんが、薬漬けでおとなしくなってしまった患者さんとはまた違う「扱いやすい患者」だとでも思われていたのでしょうか。

本当に良く生きて出て来られたと思います。

その後の外来で再会したヘルパーさんから、「もう戻ってきちゃ絶対ダメだよ」と、人気のない場所で言われたのが忘れられません。
 でも、当時はその言葉の重みがまったく理解できていませんでした。

私は精神病院の看護師も医者以上に人間じゃないと思っていますが、まともな人も中にはいるんだなと思います(もちろんいるはずです)、それが何ともやりきれないです」

                      (3につづく)