(2からのつづき)

生きてここから出てやる

 隔離室にいるとき、壁にたくさんの落書きがしてあるのをひろみさんは読んだ。「なんで私がここにいるのか」といった落書きや名前が書いてあるのもあった。

 その名前の女性――まだ入院中だったので、隔離室から出されたあと、ひろみさんは会いにいった。統合失調症の診断をされている女性。薬漬けになっていて、ほとんど廃人のような状態だったが、話はできた。

「おとなしくしてたら、出れるから」

 そう慰めてくれたという。

 その他にも、入院中、ひろみさんは大勢の患者と話をした。そうやって自分を保とうとしていたのかもしれない。そんな中、今でもつき合いの続いている友人もいる。


「目がうつろ、幽霊みたいな歩き方。友人の○○ちゃんに△△ちゃん。みんな隔離室に入ったことがあるんです。怖い怖いと怯えて、看護師に監視されながらではごはんも喉を通らず、何度も何度ももどしそうになっていた。ごはんを食べなければすぐに点滴、流動食です。ご主人が面会に来たときだけ、踊るように小走りに面会室まで走っていく女性もいました。でも、面会の人にも扉の中のことまではわからない。

 絶対に生きて、ここから出てやるって思いました。おかしいことをおかしいと言える、その正気を保ったまま、絶対ここから出て、この現状を世間に訴えてやるって」

 そして、ひろみさんは退院するためならあらゆる努力をした。


 病院には公衆電話があって、精神保健福祉センターの電話番号が張り出されていた。そこへ電話をかけ、退院請求の手続きを教えてもらった。

ものすごく煩雑な手続きだし、要点だけ話してもかなり電話代もかかる。ここにいる高齢で耳の遠い人、話すのが苦手な人たちには到底無理じゃないかと感じた。

なんとかひろみさんは事務手続きをすることができたが、結局センターから退院請求は却下された。


退院

 入院からおよそ2ヵ月後、最終的に退院が許されたのは、病院が紹介する心療内科に、家族が責任をもって通わせるという条件を飲んだからだった。面会を重ね、家族が電話してもなかなか話せない主治医や病院の事務手続の悪さなどに疑問を持ち、必死で退院できる道を探ってくれた結果、そういう手段をとることにしたのである。要は、退院しても「責任を持って家族が看ます」と説得してくれた形である。

 その時点でもまだひろみさんは自分の病名を知らなかった。そして、紹介状に書かれていた病名を見て、初めて知ることになった。「産褥精神病」。

ひろみさんは助かったと思ったという。これが、もし、統合失調症や、双極性障害の診断になっていたら、今も薬を飲み続けなければいけなかっただろう。そうならないように、院内でありとあらゆる努力をしたつもりだった。


「通うことになった心療内科の先生は、ちゃんと目を見て話をしてくれる人でした。どんな質問をしても逃げない。先生を信じよう、この先生なら信じられるって」

そして、家族もひろみさんが診察の日はつきそって、夫、両親、みんなが診察室に一緒に入って、医師からの説明を聞き、質問攻めにすることもあった。

心療内科の医師は、はじめは、その時点で、入院中に飲んでいたハロペリドール・アキネトン・サイレースを処方し、一週間ごとの診療時に様子を見て減薬をしてくれた。

しかし、ようやく薬がなくなりかけた頃、フラッシュバックが起こった。院内で受けた医療行為(隔離・無理やりの注射・他の患者に対する行為)などが思い出され、精神的に不安定になった。

ひろみさんは家族に付き添われ、直ちにその心療内科を受診した。減っていたハロペリドール・アキネトンが元の量に戻り、さらに追加で新しくリスパダール2ミリグラムが処方された。

 しかし、今回は、信頼できる医師から薬のきちんとした説明を受け、新しく追加された薬も一種類だけだった。減薬も途中までできていたので、また頑張ろうという気持ちもあり、納得できる診療だった。

その後も何度かフラッシュバックに苛まれるが、その度に家族や友人の理解があり、薬に頼らず、それを乗り越えることができた。


精神科病院の現実を知ってほしい

減薬が進み、去年の10月くらいから薬は一切飲んでいない。

薬の量は少ない方だと自分では思っているが、それでも退院して1年ほどは薬を飲まなければならなかった。病院で医師にいわれるままに大量の薬を飲んでいたら、どうなっていたのだろうと思う。きっと今でも断薬できなかったのではないか。

「病院で仲良くなった人がまだ、あそこにいるんだと思うと、本当にいたたまれない気持ちになります。自分の友だちがまだあんなところで、あんなふうに扱われているのかと思うと……。

だから、今の私にできるのは、正常な人間になって、こういう病院の現実を訴えること。友だちはこんな経験、みんな忘れたいと言うけれど、私は絶対に忘れない。

あそこは人間のいる場所じゃありません。さまざまな叫び声、先生の名前を呼び続ける人、念仏を唱えたり、そういう声が耳について眠ることなどできない。看護師は看護師で、また言っているな程度で、そうやって日常が流れていく世界です。看護師の中にはいい人もたくさんいましたが、医師の指示には従わざるをえません。私は、病院のストレスで、過呼吸、口内炎、摂食障害にもなりました。血圧もすごくあがったし……。

おかしいと思います。あんな世界、おかしいです。あんなところから、友だちを出してあげたいと思う。私に何ができるかわかりませんけど、これから少しずつ、あそこで見てきたこと、体験したことを表に出していければと、それがあの世界を見てしまった私の使命じゃないかと、今はそう思っています」


精神保健福祉法には以下のようにあります。

3 遵守事項

1)隔離を行っている閉鎖的環境の部屋に更に患者を入室させることはあってはならないものとする。また、既に患者が入室している部屋に隔離のため他の患者を入室させることはあってはならないものとする。

2)隔離を行うに当たっては、当該患者に対して隔離を行う理由を知らせるよう努めるとともに、隔離を行った旨及びその理由並びに隔離を開始した日時及び解除した日時を診療録に記載するものとする。

3)隔離を行っている間においては、定期的な会話等による注意深い臨床的観察と適切な医療及び保護が確保されなければならないものとする。

4)隔離を行っている間においては、洗面、入浴、掃除等患者及び部屋の衛生の確保に配慮するものとする。

5)隔離が漫然と行われることがないように、医師は原則として少なくとも毎日1回診察を行うものとする。

 

 これに対するひろみさんの意見です。

「わたしの入院先は、1.2は守られていましたが、3~5は不十分だったと思います。

私はたまたま10日で出られましたが、となりの隔離室の方は2ヶ月以上入っていましたし、狭い室内でほとんど運動ができないからか、隔離室から出てきたときには足腰も弱っていました。入る前は自分で歩いていたのに、出たころには車椅子になっていた人もいます」

「特に、5の1日1回の診察が守られていないことは、大きいと思います。看護師は毎日患者の様子を見ているでしょうが、医師が許可しない限り、勝手に隔離を解除することはできません。そのせいで、漫然と隔離されている方が多々あったように思います。

私が10日で出られたのも、来てくれる看護師さんに一生懸命事情を話したり、仲良くなったりして、看護師さんが随分アピールしてくれたのと、だんだんと状況が飲み込めた家族が「隔離しないで」と何度も病院に電話してくれたおかげでした」



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